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Kの散歩帖
里庭掲示板
2026年8月13日(木)
本日休刊
夏風邪をひきました。喉が痛く微熱があります。

午前中近郊のクリニックに行き、薬を処方してもらいました。
コロナとインフルエンザの検査をしてもらいましたが、そちらは両者とも陰性で心配ないようです。

今日は一日横になっている状態で、本日休刊とします。



2026年8月12日(水)
小・中学校 ミニ同窓会
数日前の事。
昨今、小学校から高等学校までの在郷同期会の世話役を一手に引き受けてくれている友人から電話があって、盆前の今日(12日)、横浜から一人そして名古屋から一人、中学の同窓生が墓参りで帰ってくる。
ついては在郷の同窓生も一緒になり、ミニ同窓会を開かないかとの連絡があった。

私は参加する旨の返事をしていたが、どうせ集まる人は4・5名程度であろうと予測をし、今日の同窓会に臨んだのである。


ところが集まってみると思いのほか参加者が多い。横浜からの参加者は女性でご主人も一緒に参加。
在郷生でも1・2人都合のつかない人がいたが、残る人はほとんど参加。

総員で10名の参加となった。


高校の同窓会は、その後もしばしば開かれているが、中学の同窓会は古稀の同窓会以初めてのこと。しばらくぶりに会う人も数名いて、懐かしい思いに浸ることが出来た。

還暦と古稀の同窓会は中心になって、準備を万端整え、泊りがけの大きな同窓会を開いたが、これからはこんな手間なしミニ同窓会も悪くない。
元気で会えるのが一番である。

もっとも、いつまで参加できるかという大きな問題が残ってはいる。



2026年8月11日(火)
急に涼しくなってきた
7月8日に梅雨が明けて以降暑い日が続いていた。暑いというよりは猛暑である。
人に会えば定番の挨拶が「暑いですね」という毎日であった。

それが昨日の夕方から、何の前触れもなく涼しくなってきた。

我が家は夏の暑い時期だけ、2階の客間(物置部屋)にクーラーがあるため、そこに布団を敷いて寝ることにしているのだが、そのクーラーをつけるかつけないかの目安は、隣の部屋(Kの自室)の壁に掛けてある寒暖計(クーラーの影響を受けない)で、寒暖計の温度が28以上ならばクーラーをかけることにしている。一方トイレなどで起きた時は、この目安の寒暖計を確認し28度以下ならクーラーを消すわけである。

ところが昨晩寝る時に、目安の寒暖計を確認すると27度しかない。これならクーラーの必要はなく、網戸になっているガラス戸を開けて寝た次第である。

そして今朝になり、温度を確認してみると、各部屋に置いてある寒暖軽が24・5度しかない。
感じる体感温度は寒いほどである。なぜか一気に涼しくなったのであった。


この様子を目でも確認しようと、連続で記録している温度計を取り外してきてパソコンで温度を確認してみた。


この温度計の記録で確認するともう少し詳細がわかる。
体感で昨夜から一気にすずしくなったと思ったが、実は2日前の9日くらいから少しずつ温度は下がり傾向を示している。
それが最高温度が30度に達しない事態に至って、ようやく体は涼しいと感じたのであろう。


それにしても、ここにきて急に涼しくなってきたのはなぜなのだろう。
まだ8月の初旬、涼しくなるにしてはまだ早い。
異常な動きをしている、台風13号の影響であろうかとも思うが、これもよくはわからない。

ともかく、涼しいのは誠にありがたい。
このまま涼しくなってくれればと願うが、そうは行くまい。

本当にすずしくなったと実感できるのは、1ヶ月先であろう。
もう少し老体にムチムチつつ、我慢の日々が続くことになる。



2026年8月10日(月)
私の履歴書 神岡勤務時代余話 その8 “三井金属を退職”
私の履歴書シリーズ その65である。
前回は手作り文集を発行したという話を載せた。 こちら→(2026/8/7)

今回は三井金属を退職し、神岡部品へ転籍になるという話を載せる。


退職する日は満55歳になる前日で、満55歳になった当日は、すでに三井金属を離れ、神岡部品に在籍という形を取るのであった。

辞令書が残っている。


それまでは三井金属からの出向という形で、三井金属社員であったものが、それがなくなるということになる。

(注)このルールは私だけに適用されたというものではなく、関係会社の役員になっているもの全員に対し、適用されるルールであった。


同時に、退職金も支給される。その書類も残っていた。


退職した3日後には、指定の銀行口座に退職金が振り込まれている。


現在はどうなっているかわからないが、私が在籍していた当時は、社員は満55歳になると支払われる給料が25%減額になるというルールが存在していた。
それに合わせるためであろうが、退職後の私の給与も、神岡部品の社長宛に連絡書が届いていた。
減額ルールが適用されている。



以上の一連の動きは、私にとっては、ある意味では重要な出来事であった。

三井金属籍から外れたという寂寥感がないわけではなかったが、むしろそれよりは、三井金属での仕事をやり終えたという、ある意味満足の気持ちが強かったのである。

これを機に、それまでは意識の中でなんとなくぼんやりと描いていた、「島根に帰る」、「生まれ故郷に帰る」という思いが、具体的に形を作り始めたのであった。

ただしこの話はこれから後、追々と述べることになろう。




2026年8月9日(日)
干天の慈雨
7月7日の午後一時雨が降って、後8日に梅雨が明けて以来、初めての雨である。
この間丁度1ヶ月、八色石ではおそらく一滴も雨が降っていないはずで、まさに慈雨となった。


降り始めたのは午後の4時半頃。それから6時近くまで、強弱はあるものの降り続いた。

直線距離で1Kmほど離れた県が設置した公民館の雨量計では、この間に4mmの雨が降っている。
八色石に降った雨も、おそらくその程度であろう。

雨が上がって後、どの程度土地が湿気たか、Mが畑の土を掘り返してみたら、かなり深くまで水が浸透していたという。

まさに干天の慈雨であった。



2026年8月8日(土)
墓掃除
数日前から今日の墓掃除は予定に組み込まれていて、しかも暑くなるのは間違いないので、朝早くから始めようということは合意されていた。

朝の5時半頃から道具類の準備をし、掃除そのものを始めたのは、ほぼ6時頃からであった。


周辺の草刈り作業は事前に済ませていて、今日はその刈った草を集めて焼くのがとりあえず私の仕事。一方Mは墓の脇にある、黄楊や紫陽花の剪定をする。

それらが一段落して後。墓そのものの掃除になった。
墓石を水洗いするのがM。私は周辺の草取りを命じられた。

最後に回りをもう一度掃き清めて、すべての作業を終える。
終えたのがほぼ9時。3時間にわたる盆前の定例の墓掃除であった。



2026年8月7日(金) ラベル807
私の履歴書 神岡勤務時代余話 その7 二つの文集 後編
私の履歴書シリーズ その64である。

昨日の続き、手作り文集の2冊目の話。
今回は旅行記で、2000年(平成12年)6月に発行した。

実は、その年のゴールデンウィークに車で北海道旅行をしていて、しかも娘と2人という珍しいもので、その旅の内容をまとめたのである。


旅が実現した経緯は後ほど文集の中で紹介するので、とりあえず、日数と旅の行程のみあらかじめ紹介すると次のようになる。

まず日程。
4月29日に出発して、家に戻ったのが5月5日。6泊7日という日程であった。
この間ホテルと旅館に各1泊、フェリーで1泊、残る3迫は車中泊である。

次いで工程。
文集では旅程図として地図で示したが、ここでは通った場所を文字で示してみる。

神岡を出発して富山、国道8号線を北上して新潟、国道49号線に乗り換えて東進し郡山市。郡山で東北自動車道に乗り換えて北進、盛岡を経由して青森に着く。青森からはフェリーで函館という形で北海道入りした。
函館からは再び車で小樽、札幌。北進して海沿いを走り稚内を経て宗谷岬へ行く。
宗谷岬からは帰途に向かい、北海道の中央部を南に下り旭川、そして富良野経由で苫小牧まで行く。
苫小牧からはフェリー。秋田を経由して新潟まで。
新潟からは再び車で富山まで戻り、富山で娘と別れる、という工程であった。

この間車での走行距離は2,594キロメートル。娘は車の免許証は持っているもののペーパードライバー。すべての工程を私一人で運転した。当時私は56歳。今では考えられない元気さである。


さて、本題の文集である。
表紙と目次を示せば次の通り。


これまでの文集2冊はすべて手書き。文明の利器はコピー機のみであったが、今回の文集は表紙、写真や文字、全てパソコン製である。サイズはA4の縦書きとした。

最初に写真集を配置した。写真集は8ページからなるが、一例を示せば次の通り。


旅程図は地図で示した。


後ほど示す「あとがき」に、この旅程図は「マップ」の機能を使ったと記述しているが、今ではいかにして作成したのか思い出すことができない。

そして本文であるが、本文の総ページは27ページに及ぶ。一例として文頭、中ほど、文末の三カ所を示してみる。

あお、ここでは、子供らの名前の個所は伏字にしてある。

5月上旬に行った旅の内容を、1ヶ月余り経た6月下旬に書き上げている。
もちろん、会社業務を終えて帰宅後に作業をしているわけで、「あとがき」にも記しているように、相当エネルギーをつぎ込んで作成した模様である。
当時の備忘録を見てみると、深夜遅く寝たという記事も、ところどころに見え、また、ある土曜日には徹夜した、との記載もある。若かったからできた仕業であろう。

本文集も印刷部数は限定4部。
これまた希少本である。


追記;
本文集全編のPDFファイルを添付します。
興味を持っていただいた方は、お読みください。

 「北海道ふたり旅 父と娘の七日間」


蛇足;

昨日登場願ったピンクの衣をまとったNさんに、経緯は忘れたが、今回の「北海道ふたり旅」をせがまれたのであろう、貸したことがある。
しばらくして返却の折り、コメントが書かれた用紙が挟まっていた。


未だ手元に残っていて、添えてみることにした。



2026年8月6日(木)
私の履歴書 神岡勤務時代余話 その7 二つの文集 前編
私の履歴書シリーズその63である。

業務とは直接関係のない話に触れている。
前回は米国MCA社訪問についてのべた。 こちら→(2026/7/31)

以前、父義衛の死について述べたとき、父を偲ぶ文集を発行したと述べたが、神岡勤務中に、その他に2冊ほど手作り文集を発行している。
もちろん、いずれの文集も一種の遊びであるが、今回はその二冊の文集について触れてみようと思っている。


その1冊目。
1997年(平成9年)11月発行。

社員旅行に纏わる話で、その時の備忘録が残っていたので転載する。
『11月1日(土)
朝雨、雪含む
管理部の旅行、営業も一緒。7時出発。金沢のキリンビール工場で試飲。美方五湖を見て、若狭の港沿いの宿にて泊まる。女性3名、インド風の装いになる。飲んで、寝てのんびりの旅行。
11月2日(日)
曇り
7時半、宿を出発。近くの魚市場により魚4種類を買う。バスに揺られ、金沢近くでパターゴルフ。
夕食などし、家には午後7時ごろ着く。帰りはバスの中、かなり静か。』

という内容。

同時に写真も残っていて、掲載すれば次の通り。


上段左の写真のみで終わる内容であれば、普通の社員旅行なのであるが、残る写真にあるように、思いもしなかったインド風美人女性が3名突然現れ、それに触発されて、文集の作成を思い立ったものと思われる。


出来上がった文集(ここでは写真集としている)の表紙と序文を示せば次の通り。


載せた写真は次。
若狭路の海を撮ったもの1枚と、美人女性を写したもの、それぞれで3枚、計4枚である。


写真は印刷でなく、通常に焼き付けしたものを用紙に貼り付けた。

それに俳句のようなものを2首添えた
 秋若狭 ゆり動かして わが命
 三方の 白き御肌や 観世音



18×20Cmの変形版。表裏の表紙まで含めて12枚の用紙からなる小さな本である。

各女性に1部受け取っていただき、それに私用のものを含めて計4部作成した。
希少本である。


本日はここまで。
もう一冊については、次回に回す。



2026年8月5日(水)
サロン田屋
月2回、隔週の水曜日に開催される「サロン田屋」に出席した。

隔週のうち月頭の方の会には、Mはスタッフとして参加していて、昼食の料理作りなどを手伝っている。
スタッフは8時半から、我々一般参加者は11時前後に集まる。


今日のメニューは、梅の実ご飯、ポテトサラダ付き豚肉の生姜焼き、夏野菜の煮びたし、酢の物、冷茶碗蒸し、そしてでデザートとして、きな粉のお団子、という超豪華な品々であった。

参加者はスタッフ3名、一般参加者が4名の合計で7名。
いつも参加する男性陣が欠席で、男性は私一人という結果になった。


昼食の後は昼寝。
その後2時頃から皆で体操である。
体操の中には、しりとりが入ったり、また背中に文字を書く、文字送りなども取り込まれて多彩なメニューとなっている。


最後がお茶。スタッフの手作りによるスイーツ付き。今日はいちごプリンであった。

散会するのは15時15分前後。ただし今日は昔話に花が咲き、終了したのは午後3時半を過ぎていた。


これで参加費は600円。
“コスパ”は非常に良い。



2026年8月4日(火)
 野芝が枯れ始める
備忘録繰ってみると7月8日に「梅雨明け」の文字が見え、その前日の7月7日に「曇りのち雨」の記述がある。
以来、1ヶ月近く雨が降っていないのである。

その影響で、別棟に株をを植え、広がりつつある野芝が枯れ始めたようにみえる。


緑の葉の色が、茶色に変色し始めた。

今日は久しぶりに曇り空、夕方には雨が降ると予報に出たが、パラパラと降ったのみ。
大いに期待を裏切られた。


Mの野菜作りも大変。夕方水道設備に取り付けた山水ホースで水を撒いているが、とても間に合わないらしい。

予報を見ると、これから先1週間は雨マークがない。しかも酷暑マーク付き。
思いやられる。



2026年8月3日(月)
空調作業服(送風ベスト)
昨年あたりからちょくちょく見かけるようになった、空調作業服(送風ベスト)を買い求めた。

その思いは、少し以前から持っていて、先日眼科検診で大田市へ出かけたときジュンテンドウに寄って調べてみたところ、一揃いで売っていなくて、ベストとバッテリーとファンが別々。それぞれに何種類かあって、組み合わせて一揃いにする方式であった。合わせると2万円程度になる。
組み合わせるのも面倒だし、価格も高め、そこでは買わずに帰ってきた。

今回買い求めたのは例によってアマゾン。数日前に発注して、8月1日の夕方に届いた。


ジュンテンドウのものに比べるとかなり安価。ただし口コミの評判は良い。
機能としては、ファンで送風するのみ。性能の優劣は起きにくいと判断し、安価ではあるがこの品を発注した。
届いた品のタグを見ると中国製となっている。

届いた夜にはセット作業ができなかったのでその翌日、昨日のことになるが、セットをして集落行事に参加することにした。

日本語の取扱説明書がついているが、なんとなく分かりにくい表現の部分があったりして、組み立てが完成するのに小一時間を要した。



着用して集落行事に参加する。
昨日の参加者の中で、送風ベストを着用している人は私を含めて4人いた。
その中の一人に感想を聞いてみると「まあまあ」との答え。

昨日の午前中とそして、今日も午前中草刈をしたのだが、そのときも着用してみた。
使用後の感想は、それこそ「まあまあ」という感じ。
使い方に、改善の余地があるかもしれない、と思うところもある。



2026年8月2日(日)
集落行事 「一日奉仕作業」
毎年8月の第一日曜日に、「一日奉仕作業」と名付けた集落行事が行われ参加した。
集会所になる保養館周辺の草刈りを行うのが主たる行事で、しかも午前中で終了するのだが、昔からこの名が採用されている。

参加者は14・5名であった。参加者の中では私が最年長。


なんとなく久しぶりの気がして過去の経緯を調べてみた。

すると
昨年は、左目を怪我し、安定期間中で欠席
その前の2024年は、Mと一緒に北海道旅行に出かけていて欠席
さらにその前の2023年は、義母の葬儀で欠席

と4年ぶりの参加であった。

これまで参加した時は、裏側にある傾斜の急な場所の草刈りに参加していたが、今年は昨年の目の怪我のこともあり、グランド周辺の平らな場所の草刈りで勘弁してもらうことにした。

3年続けて休んだので、いつ復活したのかわからないが、コロナ禍以前行われていた「直会」
 こちら→(2019/8/4)
が復活していて、それにも参加してきた。
直会の参加者は8名。昔に比べると少しばかり寂しいものであった。



2026年8月1日(土)
避暑室」の再開
夏の暑さをしのぐ対策として、「Summer Room」を開設したと報告した。
7月10日のことである。
 こちら→(2026/7/10)

その後しばらくはSummer Roomを快適に使っていたのだが、今年の夏は予想以上に暑い。
我が家の中では一番涼しいとされるSummer Roomでも、午後は31・2℃程度まで温度が上がってくる。

もはや、もったいないなどとは言っておれない気がし始めて、クーラーのきいた「秘暑室」を再開することにした。

「秘暑室」を再開したのは少し以前のことで、備忘録を繰ってみると7月22日となっている。


使ってみるとやはり快適である。

もはやSummer Roomに戻ることは出来そうにない。