(写真をクリックすると、大きな写真が表示されます)

Kの散歩帖
里庭掲示板
2025年11月30日(日)
苦し紛れの鍋
標題の“苦し紛れ”には、いつもの常套手段で、ネタ切れの際の料理報告という意味がある。
確かにその通りで、今日は一時間ほど草焼きをしたが、その他に特段報告できる作業を行っておらず、記事にするネタがないのが、命名の大きな理由の一つである。

ただ今回の“苦し紛れ”にはもう一つ別の意味があって、当日は鍋料理を作ったのだが、その鍋料理にいたる経緯に“苦し紛れ”の選択があったという意味も含まれている。

この鍋を作ったのは、一昨日の夕食である。
もともと当日は、最初の考えでは、冷凍庫にMが作り置きしたばら寿司の具材が保存してあり、この具材を使ってばら寿司を中心にしたメニューで行こうと考えていた。
しかし、そのばら寿司に添える、その他の副菜のメニューがちっとも浮かばないのである。
冷蔵庫や冷凍庫に保存してある食材を眺めるが、メニューを思いつかない。

そのうち、冷凍庫の中に鳥の”ささみ”があるのが目に入った。

この時閃いたのが「ささみで鍋」というアイディアである。
これまで鶏肉の鍋は何種類か作ってきたが、ささみで鍋を作ったことは一度もない。
ネットを探してみることにした。

何種類か出てきたが、その中で一番よさそうなのが次である。
 こちら→

幸いネギもキノコもある。これでゆくことにした。


この他に準備するものはつけダレがある。
レシピとしては2種類のつけダレが紹介されているが、我が家には昆布茶がない。
昆布茶を使わない方の、練りわさび、マヨネーズ、そしてポン酢で行くことにした。
このツケダレはK・Mそれぞれ自分の皿に準備する。

あとは鍋を火にかけ、煮ながら食べるだけ。

さてそのお味である。
予想以上に美味しかった。特に、練りわさび、マヨネーズ、ポン酢のつけダレが美味しい。
今回の鍋以外でも使えそうな、つけダレである。

今回苦しまぎれで初登場した“ささみとネギのしゃぶ鍋”であるが、今後は普段使いの鍋として、ちょくちょく登場しそうな気配である。



2025年11月29日(土)
公孫樹他の落ち葉掻き
晩秋のビッグイベントになる、公孫樹とその他の木々の落ち葉掻きを実施した。
昨年は12月3日に実施している。 こちら→(2024/12/3)

昨日、グランドゴルフから帰っての午後と、今日は終日という大仕事となった。

昨年までは公孫樹の落ち葉が中心で、公孫樹の木の直下になる「欅台」と「二の畑」が主な場所であったが、見ると「一の坂」とか「一の坂脇」と名付ける、裏山に至る小道にも落ち葉が多い。今年はこれらの場所の落ち葉も併せて処理することにした。

最初に結論を載せてみる。


撮影した場所が若干異なるが、作業の前と後の比較写真である。


次に表示するのが具体的な作業。
作業の内容は大きく分けて二つあり、一つが「欅台」と呼ぶ場所の作業で、散り積もった公孫樹の落ち葉をレイキで掻き集め、一輪車に乗せて、落ち葉の集積場に捨てるという作業である。


長年同じ作業方法を採用しているが、外周からかき集めてきて、順次その輪を小さくすると言う方法を用いている。
落ち葉の捨て場所も毎年同じで、欅台の奥の、目立ちにくい場所に設けてある。
この間、一輪車で運んだ回数を、算木をもって数えてみたら25回運んでいた。


もう一つの作業が、落ち葉を焼く作業。
この作業は今年初めて経験する。
先に述べた公孫樹を運ぶ作業と同時並行で実行したのだが、公孫樹以外の落ち葉を、「二の畑」に掻き下ろしして焼いたり、あるいは、その場近くに焼き場を設けて集めて焼いたり、などするというもの。


かき集める作業は、昨日粗方実施しておいたので、今日は時折り覗いて様子を確認し、落ち葉を補充するなどして焼き終えた。


昨日は少しばかり寒い日であったが、今日は風もなく、しかも暖かな穏やかな天気。気持ちよく作業を進めながら、無事に作業をやり終えた。
要した時間は昨日が2時間、そして今日が午前・午後合わせて4.5時間。

晩秋の一大行事をやり終えて、大いに安堵である。



2025年11月28日(金)
今年最後のグランドゴルフ
毎月最後の金曜日は、軽スポーツの日。
夏の熱中症が危惧される時期と、冬の雪が心配される時期を除いて、雨模様でなければグランドゴルフが開催されるのが常である。

今日がその日。
雨の心配はなさそうなのでグランドゴルフが開催されるであろう。
ただし、天候は急変している。
この数日暖かい日が続いていたが、今日は一転してひどく寒い。

少しばかり参加を躊躇したが、意を決して参加することにした。


会場に着くと参加者はまばら。5・6名しか居ない。寒さのために参加者は少ないかと思っていたら、そのうちパラパラと参加者が見えて、最終的には15名になった。
一組5名が3組でゲームが開かれる。


私はC組。男性2名、女性3名のグループになった。

少々腰に痛みを感じながら参加したのだが、プレイを始めるとその痛みも忘れる。
調子もなんとなく悪くない。そのうち長めのホールで思わぬホールインワンが出たりする。
そんな幸運も幸いし、今回は珍しく成績が2位であった。

世話人の最後のあいさつでは、グランドゴルフの開催は今年は今回が最後。来月は室内競技になるという。そして来年の再開は4月の予定とか。

今年最後のグランドゴルフで、有終の美を飾ることができ、心軽やかにして家に戻った。



2025年11月27日(木)
まだ 「秋じまい」
この2,3日比較的穏やかで、暖かな日が続いている。
そんな中、昨日と今日の午後のこと、「秋じまい」に関わる作業であるが、し残したことがあり処置をすることにした。

草刈りはしたものの、その後の草焼きができず放置されたままになり、さらにその上に落ち葉が重なり、もはや焼くに焼かれずという状態の場所がある。

処置する時間がなければ来春までこのまま放置して草が腐るのを待つつもりでも居たのだが、穏やかな陽気に誘われて処置することにしたわけである。

具体的には何をするか。
刈り倒した草を落ち葉と一緒に集め、焼かずに捨てるという方法である。


作業をした場所は、昨日が「元竹」、今日が「義衛台」。

それぞれ草刈りをしたのは「元竹」が10月10日、「義衛台」が10月9日。ただしその後左目の怪我に関わる「オイル抜き」の手術が行われて、安静期間になり、草焼きができなかったと言う経緯である。


周辺にはまだ紅葉した葉が残っている木もあり、景色はきれい。
少々腰が痛かったので、休み休みのんびりと作業をした。要した時間は昨日が1時間弱、今日が1時間強。

遅まきながらの「秋じまい」である。



2025年11月26日(水)
仲代達矢 出演の映画を集める
少し以前の話になるが、俳優の仲代達矢氏が今月の初旬になくなった。次は、これを報じる読売の記事である。


記事にあるよう、日本を代表する俳優の一人にちがいないが、私にとっても好みの俳優さんの一人であった。なんとなく知的な感じがするところがあって、アメリカの俳優なら、グレゴリー・ペックを彷彿とさせる雰囲気がある。こんなところが好みの原因であったのかもしれない。

我が家には、舞台で上演される演劇を見るという文化がないので、同氏が人生の半分をかけられたという演劇を見たことは一度もないが、残りの半分をかけられたという映画やドラマはいくつか見ている。

思い出すままに挙げてみると、映画では、用心棒、椿三十郎、切腹、天国と地獄、影武者などで、ドラマでは、清左衛門残日録、樅ノ木は残った、大地の子などである。


これらのうちいくつかの作品は、現在手元に録画して保存してあり、いつでも見ることが可能であるが、その他の作品や、またこれまでに見たことのない作品も、新聞記事には主な出演作品として作品名が掲載されている。
これを見て、現在手元にない作品を、映画を中心に、この際録画して保存しようかと思い始めた。
というのは、最近映画を無料で(あるいは格安で)録画する技法を習得したばかりで、この方法を持って録画をしようと思った立ったわけである。

習得した技法とは こちら→(2025/10/14)
プライムビデオに含まれるもので、サブスクリプションの2週間無料体験を利用するというものである。
この「プラス松竹」では、偶然にも“切腹”を録画保存していた。

表示された映画の題名をプライムビデオで検索をかけてみると、「プラスGAGA」とか「KADOKAWA」とかのサブスクリプション会社が運営している。
これらの会社と、2週間の無料体験契約を結び、映画を録画した。

録画のときは、ついでに仲代氏とは関係のない映画も録画をしたが、それらを整理して、仲代氏出演の映画のみまとめて表示してみると次になる。


紙上には12本の作品名が並んでいるが、収集できたのは、過去保有分も含めて10本。
“人間の条件”と“不毛地帯”はプライムビデオの中では見つけることができなかった。


一方、テレビドラマとしてはNHKが放送した“清左衛門残日録”という名作がある。
このドラマ名が読売紙上に掲載されてないのは不可解であるが、このドラマの録画分は既に所有していて
 こちら→(2022/10/6)
その後、このDVDデーターをファイル化して、すぐにパソコンで見ることができる状態にしてある。


仲代氏出演のドラマで、この”残日録”以外に保存してみたいと思うドラマは、今のところない。


亡くなったという新聞記事を見て思いついた今回の録画作業は、これをもって一応終了である。



2025年11月25日(火) ラベル1125
眼科健診 17回目
左目の眼科検診に行ってきた。
数えてみると、怪我をして以来17回目の検診になる。

毎回Mの運転で受診するのだが、片道丁度1時間。従って往復で2時間。検診時間が、検査と診察合わせてこれも約1時間、というのが必要時間になる。

予約時間が8時半前後を指定されることが多く、したがってそれに間に合うよう7時半前後には家を出る。受診を終えて、ついでに買物等することもあって、したがって全ての必要行動を終えて家に戻るのは12時前後ということになる。
これが眼科検診のおよその行動様式で、今日もほぼその通りの行動結果になった。


病院に着くと今日はなぜか患者は少なめ、定常の動きがあって医者による診察となる。
経過は順調で特に問題はないとの話が出る。

一方、私は一つ質問を用意していた。
というのは2日前の朝のことであるが、洗顔をしたとき目から血が出た。最後に濡れタオルで強めに目の周辺を拭いたのだが、その後目から、涙と一緒に血が出始めた。それも思いのほか大目に出る。少々びっくりしたという経緯があってそのことを質問した。

それを聞いて医者は即答する。「おそらく、それは涙腺○○(症状名が出たが、失念した)でしょう。たまに、涙腺に炎症が起こることがあって、そのために血が出たとも考えられます。も少し様子を見ましょう」とのこと。
「再度発生したら、教えてください」という話で、今回は診察が終了した。


Mの撮影による、帰り道での写真。


大田市内に公の農業関係研究施設があって、その参入道に並ぶ公孫樹の並木。両側合わせて40本あまり。
陽に映えて圧巻であった。



2025年11月24日(月)
里庭にも 熊!?
昨日までの予報では、今日は曇りとなっていたが、思いのほか良い天気。
日差しもあり思いのほか暖か。今日も格好の小春日和である。
そんな中、親しくしていただいている夫妻が、里庭の紅葉をみたいと訪ねて来られた。
午後のことである。


まずは散策と我々2人も外に出る。
落葉が始まって、紅葉は終盤に掛かってはいるが、それでも色鮮やか。30分あまり散策をして、母屋の方に下りかけている時に小事件が起きた。

Mが声を発した。柿の木を指さしながら「熊が出たのではないかしら?! 枝が折れて黒くなっている」という。
みると確かに、枝が折れていて、すでに若干枯れかけ黒く見える。
私が写真を撮っている間に、残りの3人は柿の木の根元に行き、そして幹を見ながら、「間違いない爪痕が残っている」という声も聞こえる。


私も木の根元に近づいて確認してみると、爪痕と思われる部分や表皮が剥がれている個所も見られる。どうやら熊が登った跡と見て間違いなかろうと思われた。

この柿の木に熊が来て実を食べるという事件は数年前にもあり、そして昨年は我が家の納屋の奥になる、敷地外の栗の木に熊が現れた形跡も見られ、熊の襲来は特に今年だけの珍しい話ではない。

さりながら特に今年は、テレビなどでも報道されるように、他の地でも熊が頻繁に出没しているわけで、そういう意味で、我が家の里庭に現れても不思議ではない。
やはり現れたかと言う程度の思いではある。


ただし用心は必要。
Mが以前から用意しているものであるが、一斗缶を設置しておいて、一人で裏山に登るときなどは、これを鳴らしてから後、登るようにしている。


設置した一斗缶は2個。一つは裏木戸を開けたすぐ脇に一つと、裏山へ至る小路で猪用の電柵を張ったその設備の元に1個の、2ヶか所である。

Mはこれまでも、この一斗缶を鳴らしてのち山に登っているのを見聞きしているが、Kの場合は怠りがち。今後は鳴らしてのち行動するよ心がけたいと思い直している



2025年11月23日(日)
好天の中で「秋じまい」
ここ一時寒い日が続いたが、昨日と今日は一転して良い天気。
気温も暖かく、風のない穏やかな小春日和になった。そんな中での「秋じまい」である。

まず昨日の午前中。
「墓奥傾斜」と呼んでいる場所の草刈りをした。


10時頃から始めて、10時半頃までの1.5時間。腰の状態が万全でないので、休み休み、ゆっくりと作業した。


そして昨日の午後。
草焼きである。


場所は「奥の田土手」。
11月10日に草刈りした場所で こちら→(2025/11/10)
そのときは草焼きができるかどうかと危ぶんだが、焼くことができた、と安堵の感がする。

土手の部分は集めてそのまま着火したが、溝から手前の部分は芝生の上。芝生を傷めないよう刈草を集めて、少し離れた場所まで運び着火した。
要した時間は、午後1時ごろから始めて1時間弱。


この土手の草焼きが思ったより早く完了したので、もう少し続けて草焼きをする。
場所は「再生雑地」の一部。11月7日に草刈りした場所である。 こちら→(2025/11/7)
一部はすでに草焼きを終えているが、陽当たりの悪い奥の部分の草焼きが残っていて、これを焼くことにした。


乾燥度が悪く簡単には燃えない。
火点を2ヶ所設け、集めた草を運んで、順次火点の上に乗せ、時間をかけながら焼くという作業である。

費やした時間は2時ころから4時頃まで。それでも全部は焼くことができなかった。
帰り際振り返ると、たなびく煙が夕日に映える。写真に撮ったのち家に戻った。


そして今日の午後である。
今日も天気が良い。昨日の続きの草焼きをすることにした。

現地に行って草焼きを始めたが、残っているのは昨日よりさらに日陰の部分で乾燥度が一層悪い。
1・2度は着火を試みたがうまく燃えない。方針を変えることにした。

周辺の草を集めて別の日当たりの良い場所まで運び出し、後日乾燥を待ってから焼くという方法である。
二度手間にはなるが致し方ない。


作業を始めたのが午後の1時頃。1時間程度で別の場所に運び終えた。

思ったより時間が早い。
ついでに昨日午前中に草刈りした「墓奥傾斜」の草も寄せ集め、先と同じ場所に運びこんで一緒に焼くことにした。
「墓奥傾斜」の草を運び運び出すのにおよそ1時間。今日は合わせて2時間の作業になった。


別の場所に集めた草を焼くという作業が残ったが、これは後日、乾燥を待って焼くことになる。



2025年11月22日(土)
我が家のTV録画を外出先で見る、確認実験
かなり以前のことになるが、テレビ番組を録画したビデオデッキ情報を、テレビではなく、パソコンやスマホで見ることができるように設定をした。 こちら→(2024/7/6)

この目的の一つは、台所に置いてあるテレビではなく、2階に居たままパソコンやスマホで録画番組を見るようにするという狙いがある。
この場合、屋内に設置したWiFiを介して、電波情報を取り込み、パソコンやスマホで見るもので、この目的は達成できたことを確認した。

一方もう一つ狙いがあって、むしろこちらの方が大事と思っているのだが、我が家の屋内ではなく、外に出た時、例えば病院などで、我が家で録画したテレビ番組を見る事ができないか、という思いである。
この場合Wi-Fiを介して情報を取り込むので、Wi-Fi設備がなければならない。

ただこの場合、我が家内のWi-Fiを使うことでは見ることができても、我が家から離れた施設にあるWi-Fiを使って、情報が取り込めるのかは、甚だ疑問でもあった。
機会を捕らえて実験をしてみようと思ってはいたのだが、ついのびのびになっていたものである。


その実験を一昨日実施した。邑智病院における定期検診の折りである。
邑智病院は約1年前に建て替わって新しい病棟となっているのだが、 こちら→(2024/12/12)
その際フリーWi-Fiも用意された。

このフリーWi-Fiを使っての実験を、今回思いついたのである(この間数度検診を受けているが、その時には思いつかなかった)。


私のスマホでは、邑智病院のフリーWi-Fiが設定済みなので、スマホを出して開いてみると既にWi-Fiには接続されている。
あとは「どこでもDIGA」というアプリを立ち上げ確認するのみ。

試してみると、問題なく、我が家の録画情報が表示された。
うまくいったという証拠に写真を撮る。
映す番組は何でも良いのだが、たまたま目に入った「3か月でマスターする古代文明」の4回目、エジプト編をスマホに表示し写真に撮った。


まずはめでたしという実験結果である。
今後は、Wi-Fi環境下であれば、いつでもどこでも我が家のテレビを見ることができる。
暇つぶしには持ってこいとなった。



2025年11月21日(金)
冬支度 2題
ここのところ病院に行く機会が増え、昨日は邑智病院、そして今日は歯医者にそれぞれ午前中に行ってきた。
それから帰った午後の仕事、冬支度としての作業で、昨日は下屋の腰壁設置、そして今日は雑木の雪囲いを行った。

いずれも冬を前にしての定例的な作業で、毎年この時期に行っている。
昨日行ったのが下屋の腰壁の方。


下屋に雪が吹き込むのを防ぐための処置で、半透明の波板を4枚、柱に取り付けるという内容である。
専用の波板が用意してあり、それぞれの波板には番号を振り、張り付ける場所もきまっていて、すでに穴も空いている。
手順を間違えなければ、あまり造作はない。30分あまりの時間で完了した。

ちなみにこの作業、昨年は12月6日に実施していた。 こちら→(2024/12/6)


そして今日行った作業。雑木の雪囲いである。


雪の重みで、幹や枝が折れないようにする措置。比較的小さな雑木に対して行っている。
黒いビニールテープで枝や幹を縛るもので、美的要素は全くなく、むしろ目立たないようにするのが作業の要諦である。

数えてはいないが、およそ50本程度の雑木に対して作業をしたものと思われる。要した時間はおよそ2時間であった。

ちなみにこの作業、昨年は12月1日に行っている。 こちら→(2024/12/1)

”年年歳歳花相似 歳歳年年人不同”
毎年同じ作業を繰り返しているのだが、やはり人同じからずで、ここにきて急に体力が衰えてきたと言う感が強い。



2025年11月20日(木)
邑智病院の定期検診
邑智病院での3ヶ月検診に行ってきた。

前回は8月21日であったが、左目怪我の安静期間中ですぐには記事にせず、経過を記事として載せたのは9月21日であった。 こちら→(2025/9/21)

8月の検診時はMの運転で行っていて、今回初めて自分の運転で受診した。

この間図書館までは数回自分の運転で行き来しているが、邑智病院は距離にして図書館の倍はある。
物が二重に見えるのを防ぐためプリズムを貼ったメガネを装着して運転するのだが、やはり見える景色はちらつく。途中で1・2度休憩をとりながら行ってきたのだが、少々疲労感が残る運転であった。


さて検診の結果である。
診察室に入って、医者の第一声は「血液検査の結果は全く問題がありません」との発言であった。

まず、飲酒の指標であるγ-GTP


前回より若干数値は上がったが、正常範囲内で全く問題なし。

つぎが、HbA1C


「10以下なら問題ありません」ということでこれもOK。


6ヶ月おきに検査をしている、前立腺がんの指標になるPSAは


許容値を外れているが、6以上が2回続くまでは問題なし、とのことでこれもOK。
その他の血液検査の結果も全く問題がないとのこと。

血液をサラサラにする薬など、いつも出る薬の処方を受けて戻ってきた。


おかげで、これからも当分気持ちよく酒が飲める。
ありがたいことである。



2025年11月19日(水)
冬支度 第2号
ここに来て急に寒さが増してきた。予報では、山沿いでは雪が降るかも、と放送している。
思い立って、車のタイヤ交換をすることにした。
ただし、作業したのは一昨日の午後のこと。



昨年の実施日を探してみたら、昨年は11月30日に実施していた。
 こちら→(2024/12/1)
それに比べると10日ほど早い交換である。


暑い夏から、一気に寒くなるという、短い秋を象徴する出来事かもしれない。



2025年11月18日(火)
公孫樹の樹高測定
毎年この時期、公孫樹が色づくこの頃に行う樹高の測定である。
昨年の結果は  こちら→(2024/11/24)

毎年同じ方法で測定していて、竹ぼうきを銀杏の根元に置き公孫樹と一緒に写真撮影して、写った竹ぼうきの大きさから銀杏の樹高を推定するという方法である。


ここで得られた結果を、以前得られた結果と一緒に掲載すると次になる。

 2020年 21.7m  
 2021年 22.6m  
 2022年 22.4m  
 2024年 23.7m
 2025年 22.9m

今年の値は、昨年よりも小さい値になった。

グラフ化すると次になる。


昨年の見解では、前年度より小さい値が出た2020年のデータを異常値として捉えていて、赤色点線のような想定曲線を引いているが、今年も前年度より低い値が出ていて、昨年の見解は誤っていたと考えるのが良いのかもしれない。

現在採用している測定方法であるが、考え方としては間違っていないが、結果としては欠点がある。
高さの基準にしている竹ぼうきが、公孫樹に比べ小さいという欠点である。
印刷して竹ぼうきの長さを測るとき2桁の値でしか読み取れない。したがって算出される結果はかなり大きな誤差(バラツキ)が出る、という問題である。
測定結果には誤差が大きいということを前提にして、想定曲線を引いたのが今回のグラフで示す赤色実線である。

成長の度合いはかなり弱まっているが、まだ少しずつは伸びている、といってもよいのであろう。

これから先も測定を続け、精度を上げていきたいとは思っている。



2025年11月17日(月)
秋の里庭 写真集
大相撲観戦から戻ってみると、里庭周辺は一気に秋が進み、紅葉の最盛期である。
今日の天候は、午前中は概ね晴れ、そして午後は曇りというもの。
その中でMが撮影した紅葉の写真集である。

撮影された時間は、午前9時過ぎから11時過ぎまでの2時間余。
この間に撮られた写真の枚数は252枚。
その中から選び抜いたものである。


最初が母家周辺。



続いて裏山に至る場所。


「欅台」、「桜台」、「栗の木ベンチ」、そして「竹林跡」と名づけている場所あたりになる。

写る樹木は大半が落葉樹(針葉樹と竹類は切り倒した)。
このうち公孫樹、欅、そして柿のあわせて5・6本は前住者によって植えられたものであるが、残りの木々はすべて我々が移植したか、あるいは自生したものを切らずにそのまま大きくしたものである。


四半世紀前、この景色を目指して行動始めたが、ここにきてほぼ狙い通りの景色になったと満足している。



2025年11月16日(日)
大相撲九州場所 続編
昨日の大相撲観戦、その続編になる。

肝心の相撲観戦に触れてみる。
我々が座っている場所からは、ほんの10メートル前後の距離で取り組みが展開されるわけで、かなりの迫力であった。


力士の肌の色つや、締め込みの鮮やかな色などはっきりと目に入る。
さらに力士の息づかい、倒れた時のドッサという音まで耳に入る。
テレビでは感じることのできない迫力であった。

十両力士の土俵入り(注;十両力士の土俵入りが行われるのは、初めて知った)。幕内力士の土俵入り。そして両横綱の土俵入り。など、全てを間近に見ることができる。
化粧回しや締め込みの色が、これまたテレビで見ることの出来ない鮮やかさで目に入った。

そういう、視覚や聴覚に入る情報に気を奪われて、肝心の取組結果など知識情報はほとんど記憶にない。
現場の雰囲気に巻き込まれて、のぼせ上がっていた性と思われる。

当日の結びの一番は、豊昇龍と若元春の取り組み。若元春が身を交わし豊昇龍がつんのめって負ける一番(この場面の記憶は残っている)を見て会場を後にした。


話が少し転ずるが、今回の大相撲観戦に出発する前、Mは2・3の友人に、LINEでその旨の知らせを入れておいて旅に出かけた。
そのため、我々がテレビに映るののではないかと気にして、テレビで相撲観戦をした方があって、1.2の人から、テレビに映っていたよと連絡が入ったり等する。

我々も出かける前、午後2時代のBS放送から6時までの総合など、すべての時間に録画をかけておいた。
帰宅後録画を再生しながら、映っているかどうかを確認すると、放送の初期から終盤まで、思いのほかあちこちの場面で映っていた。


このテレビに映った映像でちょっとした珍事が起こる。
今日(16日)になって、M宛てに友人からLINEが入り、「Kの横に座っている人はタレントの山根千佳さんではないの?」という知らせである。
山根千佳さんについて、Mは多少の知識があるらしいが、Kは全くない。
その女性が写っている写真をテレビから抜取り(写真下段)、その友人宛て写真付きで、「この人山根さん?」と問い合わせたら、その友人から、「間違いなさそう。山根さんのSNSを見たら、写真付きで九州場所を見に行ったという情報が載っている」と返事が来た。

ネットで山根千佳さんについて調べてみると、相撲好きのかなり有名なタレントさんらしい。テレビにも度々出ている人という。
山根さんのインスタグラムを覗いてみたら こちら→
まさしく私の横に座っていた人が映っていた。九州場所を見に行ったという写真も載っている。

確かに当日横に座った人の様子を伺うと、若い美人らしい女性。ただし、まさか有名人とは知らなかった。
知っていれば一言ぐらい声をかけたかもしれないが、惜しいことをしたと少し残念である。


そんなこんなで、終日大相撲を楽しんで帰ってきたという話である。
冥土の土産話にはなるであろう。



2025年11月15日(土)
大相撲九州場所
随分前のことになるが、われわれは大相撲を一度見たことがある。
昭和51年(1976年)1月場所。まだ両国に国技館が建っていた時代で、大関の魁傑が引退する場所でもあった。その時長男は満1歳というときになる。
不思議なご縁のおかげで入場券が手に入り、大相撲を見たという経緯であった。

それから半世紀、今回もまた不思議なご縁の重なりのおかげで、入場券を入手することができ、ただいま開催中の大相撲九州場所を観戦してきた。
観戦したのは14日、場所としては6日目にあたる日になる。


昨今大相撲は大変な人気で、入場券がなかなか手に入りにくい。
我々も1・2度ネットで入場券の入手の試みをしたことがあるが、いずれも徒労に終わっている。
そんな中、この度不思議なご縁の連鎖のおかげで入場券が手に入ることになった。
入手できたのは、タマリ席(砂被り席とも言う)である。


タマリ席は狭く、しかも飲食ができない。
希望としては、広くかつ飲食もできる桝席が希望であるが、特別なルートを通じての入手でタマリ席になったという経緯である。


最初から見ようと言うことで、会場となる福岡国際センターに到着したのは、8時を少し過ぎた頃。


力士の名前を冠した幟が無数に立つ。そして一角にはNHKの中継車が何台も止まっている。大相撲の開催場所に到着したと言う印象が強かった。
会場の周辺をみて回ったり、歩いて入ってくるお相撲さんを眺めたりなどする。

正面には太鼓を打つ櫓が立ち、しばらくすると、開場を知らせる「一番太鼓」が8時45分から鳴り始めた。

会場への入場は9時から。我々もすぐに入る。
会場内には席を案内するスタッフがいて、案内を受けて指定の場所に座る。まだ相撲の取り組みが始まる前のことであった。
ほどなく審判員が入り着席すると、すぐに取り組みが始まった。儀式らしいことが何もなく、いきなり相撲という印象。
本日最初の相撲から見ることができ、記念に写真を一枚収めた。


観戦に疲れると、席を立って館内を巡ることもしばしば。幸い席が通路のすぐ脇のため遠慮せずに席を離れることができありがたかった。


館内には売店もたくさんあり、Mは記念の買い物等する。ただしKはそれはなし。
売店の一角に、親方が売り子を務めるコーナーがあって、そこで店員をしていたのが以前の隠岐の海。「島根から来ました。写真を一緒に」と頼んで、写真をとらせてもらったりなど。


ここで、予定の紙面が尽きてしまった。
この続きは、明日続編として掲載することにする。



2025年11月12日(水)
「秋じまい」の草焼き完了
一昨日と同様な話になるが、今回は刈り倒した草の、草焼きの話である。

草刈り後乾燥を待って、草を焼かなければならない場所が数ヶ所残っているのだが、そのうち少なくともここだけは焼いておきたいおきたいと思う場所があって、その草を昨日と今日草焼きした。

場所は、「一の坂脇」、「秋の七草通り」、そして「二の畑土手」と名付けた地続きの場所。
順に高低差がついているので、順次上から下に掻き下ろし、平地になった二の畑で下ろした草を焼くという作業である。

作業は、昨日眼科検診から戻ったのちの午後とそして今日の午後である。


昨日の写真。
上から下に掻き下ろす作業で1.5時間を要した。
まだ陽が残っている。焼けるだけ焼いておこうかと、向かって左側の部分の草を集めて着火した。
およそ一時間、左側半分を焼き終えたところで陽が落ちてきたのでやめることにした。
止めた時刻は午後4時半過ぎである。

そして今日になる。
残りの右半分を焼くことにした。始めたのは午後の2時頃。


昨日に比べ草の量は多いとは言え、今日は時間的に余裕がある。しかも気候は穏やか。
ゆっくりのんびり焼くことにし、火点の近くまで椅子を持ってきて、楽しみながら行った。

途中Mが様子を見に来たので、写真を撮ってもらったという格好である。
3時半ごろには全ての草を焼き終えた。


「再生雑地」の残りの部分 こちら→(202/11/7)
「奥の田土手」 こちら→(2025/11/10)
など草刈りを終え、焼きを待っている場所は残っているが、これらがすべてを焼くことができるのか、かなり疑わしい。


追記;所用にて、明日から数日小欄を休刊します。



2025年11月11日(火)
本日休刊(眼科健診)
本日予定通り眼科検診に行ってきました。

診察の内容はいつもの通り諸検査があったのち医者の診察になるのですが、「全体的には順調に経過をしています」という発言ののち、「オイル除去が終了したので次は二重に見える処置のことを考えましょう」との、発言がありました。
私も、気になっていましたので「お願いします」と返答をしつつ「その時期はいつ頃ですか」と尋ねると、「オイル除去のち、2・3ヶ月は後が良いでしょう。まあ来年の1月か2月頃実施でいきたいと思います」との返事がありました。

私の予想としては、11月か12月頃その手術が行われ、“目のことは年内にはすべて終了”と期待していましたので、思っていたより先の話になり、少々残念ですが致し方ありません。

今年の「冬仕事」は、どうやら目の治療と言うことになりそうです。



2025年11月10日(月) ラベル1110
不十分ながらも、「秋じまい」の草刈り完了
例年なら「秋じまい」の作業を終えている頃であるが、例えば こちら→(2024/10/27)
今年は未だ最中である。
目の怪我で遅れているわけで、これは致し方ないと覚悟はしているものの、ここだけは刈り終えておきたいという場所があって、他の場所の2・3個所を残しつつも、今日その場所の草刈りを完了した。

場所は「奥の田土手」。


草だけではなく雑木の小さなものが生える場所で、例年は6月か7月頃一度丸刃でかり倒すので、「秋じまい」の時はそれほどく大きくなっていないのだが、今年はそれがされておらず、雑木の苗も大きくなっている。刈り倒すのに苦労をした。

加えて足場も悪い。足元に溝が流れているのだが、草が刈ってないので草が繁り、水の水位が上がって足元がぬかるむ。これも作業性をひどく悪くした。

これらの悪条件で、普段なら2時間程度で刈り終える場所が、今日は午前と午後両方をかけてやっとのことで刈り終えた。
要した時間は午前が1.5時間、午後が2時間である。

ただし、今日は作業としては刈るだけ。「秋じまい」としては焼く必要がある。
果たしてそこまで行けるかどうか、かなり疑問ではある。


追記;明日は眼科検診の日。小欄は休刊と致します。



2025年11月9日(日)
大人の絵本(11) 人はどう老いるのか
私の絵本は、図書館で借りてきた「暮しの手帖}などの一部で、写真などが多く掲載されているページを撮影してまとめることが多いのだが、例えば こちら→(2025/10/9)
今回は文字ばかりで、絵本とは言い難いが、それも致し方ない。

今回のものは、やはり図書館で借りたものではあるが、単行本。


久坂部羊氏著作の講談社新書である。


同氏の著作による書籍については以前小欄で触れていて、 こちら→(2023/6/2)
このときは図書館に返却後、自分用に書籍を購入している。
この本の主題は、いつやってくるかわからない死にたいし、今がその二年前と捉え、充実した日々を過ごそうと、説いていた(と思われる)。


一方今回の書籍は、避けることのできない死に対し、その死を穏やかに迎えるための心構えに力点を置いて書かれている(と思われる)。

参考にすべき点もあって、今回も買い求めようかと考えたが、振り返って本全体を眺めてみると、言いたい主題は最後の章にまとめられている。
本全体がなくても、最後の章だけ残せば足りるのではないかと思い直し、大人の絵本として手元に残すことにしたわけである。

絵本としてコピーしたのは、最終章の「これからどう老いればいいのか」の中の、ページ211から229まで。
見開き2ページを一枚に捕らえA4用紙に写したので、絵本としては10ページのものになった。


この本の中の象徴的な部分を紹介してみたい。著者の父上も医者であったらしいが、その父上の生き様を紹介している。
少し長いが、原文のまま載せる(P213〜214)。

【長生きをしたいとか、いつまでも元気でいたいという思いは、だれにでもあって、それを捨てるのは簡単ではありません。
では、どうすればいいのか。
それができている人に学ぶのがいいのではないでしょうか。
私の父はそういう考えの人でしたから、よけいなことをしない効能や、安心や安全を求めすぎない気楽さ、あくせくしないことの賢明さなどを、私は学ぶことができました。
父がよく口にしていたのは、次のような言葉です。

・「無為自然」=作為的なことはせず、自然に任せるのがいい。
・「莫妄想(妄想するなかれ)」=不安や心配や迷いは妄想だからしないほうがいい。
・「少欲知足」=欲を減らし、足るを知ることが苦しみを減らす。

父は幸福や長生きに向けて無駄な努力はせず、糖尿病になっても甘いものは食べ放題で、煙草も吸い放題で、健康のための運動や節制はいっさいしませんでした(もちろん、それで病気が悪化して死ぬことになっても、受け入れるという覚悟の上です)。
そんなやり方で八十七歳で「いい人生やった」と微笑みながら自宅で亡くなったので、運もよかったのかもしれませんが、私には生きた手本となっています。】


迷いや妄想や欲もあって、なかなかこの通りにはいかないが、できる限りそうありたいと思ってはいる。



2025年11月8日(土)
収穫祭 2025
秋のこの時期、当地域では収穫祭を兼ねた神楽の会が、自治会と公民館主催で催されることが多い。
たとえば、昨年は こちら→(2024/11/9)
一昨年は こちら→(2023/10/22)

催しには毎年趣向が凝らされるが、今年はさらにビッグとなり、昼食付で「軽スポーツ&神楽」が開催された。
配布された案内が次のもの。


配布された案内が次のもの。
我が家は2人そろって参加した。


最初が軽スポーツ。
グランドゴルフが、秋晴れの好天の中で開かれた。我が家は2人とも参加する。


普段グランドゴルフは個人戦であるが、今回は3人1組のチーム戦。一つのボールを3人が順々に交代しながら打つという新ルールである。
出来上がったチームは八色石集落で4チーム、布施集落で7チームの合計11チームで争われた。

我がチームは「八色石C」、配慮か偶然かわからぬが、K・Mとも同じチームメンバー、そして集落内の男性Kさんが加わって構成された。
2ホール回って戦績が争われる。
さて表彰式、わが「八色石Cチーム」は、堂々の3位であった。
商品は町内宿泊施設の入浴券。2人分頂いたので2回楽しむことができる。


ついで昼食会。
料理は地元で採れた野菜ほか、その他食材を揃えてのバイキング。
担当は地域の、あるグループ女性連。
準備は昨日から、そして今日は5時からの働きと言う。


食べ物は無料であるが、飲み物は有料と言うルール。
八色石集落の者一堂、ホールの前の方に陣取り、生ビールを飲みながら、美味しい料理を頂いた。


そして最後が神楽。
広島県であるが、島根県に近いところにある町の神楽団の公演である。


狐が出る演目と山姥が出る演目の二つが演じられた。
演目と演目の間では、「お花」の披露が行われたりなどする。
Kの場合、お酒をいただきながらの観劇で、ウトウトしながらという場面も少なくはなかった。


帰宅したのは午後3時半頃。
晩秋の一日をゆっくりと楽しんだ。



2025年11月7日(金) ラベル1107
栗のいが拾い
今日は晩秋にしては暖かな良い天気。「秋じまい」を始めた頃草刈りをした「再生雑地」で、当時はまだ花が咲いていたので、刈り残した場所があって、そこを2時間程かけて草刈りした。


石垣の際が溝になっていて、腰をかがめながら草を刈る場面が最終部で出てくる。
少々腰が痛かった。


午後も風のない穏やかな天気。絶好の草焼き日である。
先日草刈りした こちら→(2025/11/4)
「二の畑土手」を含め、それより上にあたる個所の草を、二ノ畑まで掻き下ろして草焼きをしたいと考えた。


その掻き下ろしたい刈り草のエリアの中に栗の木が一本あって、その栗の実を採った残りの“いが”がかなりの量散乱している。
今年は栗の成り年で、大層な量栗が落ちた。実はMが拾い栗ご飯などして食べている。その残りの”いが”である。

このまま枯れ草を“いが”と一緒に掻き下ろしては問題があるのではと思い始めた。
燃えるかどうかもわからないし、それよりも当たると痛い。この“いが”だけは別に集めて別処理しようと考えた。


”いが”だけ集めるという経験は初めてのこと。道具は何が良いかと考えたが、とりあえず竹製のレイキを用意した。あとは塵取りと一輪車。

作業を始めてみると、選んだ道具は間違いなかった模様。スムーズにことは運んだ。
集めた”いが”は、近くにある残土置き場に捨てることにする。
結局一輪車で4回運びこんだ。
このいが処理に要した時間は30分あまりである。

この”いが”処理中にも少々感じていたのだが、どうも腰が痛い。
午前中の痛みが残っている模様である。

もともとの予定は、この“いが”処理は本来作業の一部で、本来は草を掻き下ろして草焼きすることにあった。
しかし、このまま続けては腰痛をぶり返す恐れもある。
勇を鼓して、ここで、今日は作業を中断することにした。



2025年11月6日(木)
父義衛の33回忌
Kの父親、義衛が亡くなったのは平成五年(1993年)11月17日で、今年は33回忌になる。
少し以前、菩提寺となる矢上の西善寺から知らせが届いていて、50回忌の法要は最早かなわぬから今回が最後、少し丁寧にやろうということに、K・M間で話がまとまった。
ただし17日前後は他用が発生する可能性があり、少しはやめて今日6日に実施として計画を進めることにした。

ことが決まっての準備全般はMが中心。お寺への連絡や、引き出物の準備他、諸事すべてをMが主導した。
引き出物としたお饅頭は、Mのアイディアで、これまで何度か利用したという松江の和菓子屋から取り寄せた。


Kが実施したのはMの指示を受けて、父親が書いた軸の用意と仏壇の掃除のみである。
父親が書いた軸とは写真下段右のもの。父親が77歳の時書いたと署名してある。
ただしこの軸には落款がなかった。後年になり、Kが盆か正月、実家に戻った折り捺してきたものである。
この落款(篆刻)のことについては以前小欄で触れている。  こちら→(2016/6/15)


法要への参加者は我々2人とした。本来なら姉2人が存命であり呼ぶのが筋であるが、長姉は施設に入居中の身、次姉は家に居るものの記憶が少し曖昧。そしてそれぞれの連れ合いは既に亡く、参加の声をかけるのは遠慮して、我々2人とした。


法要は10時頃から。あげたお経は“仏説阿弥陀経”。
お坊さんは、矢上高校で一年先輩の人。張りのある声でのお経で気持ちが良い。
お経の後は説教となる。説教もなかなか上手で聞いていて面白い。

その説教の中で引用された歌がありメモしておいた。
  渋柿の渋はそのまま甘味かな  源左
かつて鳥取県在住の在家の人の歌と言う。


話が少し戻ることになるが朝の出来事。
前述の通りお坊さんに渡すお土産などは全てMが用意したが、今朝になりKも一つ思いついた。
それは父義衛を偲ぶ文集である。
父の3回忌の法要の時に作ったもので、4・5部まだ予備があるので1部お渡しすることにした。その文集の内容を説明する文章付きである。


説明する文章とは次のもの  こちら→
印刷して一緒にお渡しした。


午後になり、長姉のいる施設と次姉の住む自宅をそれぞれ訪問し、法要を実施した旨報告し引き出物のお饅頭を渡してきた。
それぞれ喜んでくれ安堵した。



2025年11月5日(水) ラベル1105
おでん のこと
月2回、水曜日に開かれるサロン田屋に参加した。目の怪我以降、先月久しぶりに参加したのだが、
 こちら→(2025/10/8)
先月の2回目は、オイル除去手術の安静時にあたり欠席していて、今日の参加は1ヶ月ぶりと言うことになる。


毎度ごちそうが出て堪能するのだが、今日のメインディッシュはおでん。
その他には丹波の黒豆で炊いた赤豆ご飯、それに野菜で作った副菜が三種。

中でも、おでんはとりわけ美味しかった。塩味控えめの関西風おでん。.
おかわりOKとの話で、はじめに盛られた自分のものをいただいた後、さらに三品とりわけてきて頂いたという逸品であった。


食事中、各自からおでんにまつわる話が出たりなどする。
私も発言した。「昨夜は私が夕食当番。私もおでんを作りました」というのが出だしの言葉であった。

昨夜作ったおでんは以下の通り。


大根はMが作った取立てのもの。角を取り、コメのとぎ汁がないので米を一掴み入れて下茹でする。そのほかにも鍋が二つ。ゆで玉子を作るもの、そしてメインの大鍋。だしをとるため最初に鶏肉を入れて煮込む。

大根が煮上がったら大根をとり出して、同じ鍋でこんにゃくの下ゆで。さらにその残り湯は“ねりもの”の油抜きにも使う、という結構込み入った段取りである。

その他、中に入れた具材は、我が家定番のジャガイモの皮付きと豆腐。
あとはコトコトと煮込む。決してグラグラとは煮たてない。

そんな話を若干披露した。
中でもジャガイモと豆腐は珍しい、と面白がられた。


いよいよ寒くなってくる。
これからは各家庭で、あるいはその他のイベントで、おでんが出てくる頻度も多かろう。
結構なことである。



2025年11月4日(火) ラベル1104
「開店休業」再開
今回の“開店休業”は、始まったのが10月28日で こちら→(2025/10/28)
思いのほか長引いた。普段なら2,3日でおさまるのであるが、今回は恐る恐る、昨日から再開した。

場所は「二の畑土手」と呼んでいる所。
母屋周辺では一番低い場所になり、Mが畑として野菜を作ったり、柿などの果樹を植えている場所の土手になる。

土手とはいうものの、3・4メートルの垂直に近い壁面が並ぶ場所で、草刈としては結構難所である。それに加えてこの場所は年に1回しか草を刈っておらず、草丈も長い。

例年なら10月の初旬から中旬にかけて刈る場所であるが、今年は諸般あって遅れている。気になっていた場所で、昨日からようやく着手した。


下から手の届くところまで刈って、残りは上段の小道から草刈機を下に向けて刈るという作業である。
昨日が2時間、今日は1.5時間。

例年より少し余計に時間がかかった気がする。
腰を気にしながらの作業であったが、思いのほか痛くなく、それでも最後のあたりになると少々痛い。
何とか刈り終えて安堵した。

しかし「秋じまい」としては作業はこれで終わりではない。さらに上の段を含めて、草をかき集め下まで下ろしてから焼く作業が残っている。
この先2,3日は天気が良いらしい、この間に作業ができれば良いのだが。

補足;土が黒く掘り返された場所があるが、これが一昨日里芋を収穫した跡地になる。



2025年11月3日(月)
朝7時過ぎ、正確にいえば7時13分頃である。
Mが少々音を立てながら、2階への階段を急ぎ足で登ってきた。
「虹が出ている」と大きな声で告げる。しかも「全体が見える大きな虹で、こんなにくっきりした虹はこれまでに見たことがない」とも、ことばを添える。

自分のスマホが充電中で使えないため、私に写真を撮ってもらいたく、急いで階段を登ってきたらしい。

たまたま、私のスマホはすぐ傍にあって、取り上げながら、どちらの方向と尋ねると、2階の廊下に立つMが「ここからもよく見える」という。
廊下まで出て屋外を見ると、ほぼ真正面、北北東の方角に虹が掛かっていた。


確かに、立派な虹である。2階のこの場所からは、電線などの邪魔ものが見えるが、階下まで降りて写真に撮る余裕はなさそう。すぐにその場で写真に収めた。

陽も当たっているが周辺は小粒の雨が降っている。この雨の水滴に光が当たって虹ができたのであろう。
滅多にない偶然が重なって、稀に見る立派な虹に遭遇できた。

写真を撮った、1・2分後には虹は薄くなり、4・5分経つとまったく見えなくなった。

思わぬ自然の妙味に触れることができた、朝の一時であった。


2025年11月2日(日)
Mの手伝い、里芋掘り
持病の腰痛による今回の“開店休業”は思いのほか長い。
”開店休業”を始めたのが先月の28日、 こちら→(2025/10/28)

普段なら、2,3日休めばおさまるのだが、今回は少し様子が異なる。
一昨日や、昨日など少し痛みが減った感がするので、ウォーキングに出てみたが、少し歩くと違和感を感じウォーキングを中断して戻るという状態。あとは屋内で過ごしていた。

そして今日である。
今日は少し昨日よりも楽そう。午前中、おそるおそるウォーキングに出てみたが、ミドルコースではあるが、なんとか最後まで歩き通せた。

そして午後である。
Mに頼まれていた芋掘りの手伝い。腰に負担がかかるところは自分でするからと、最初はMがスコップで掘っていたが、何とかなるかもと代わって作業をしてみる。やってみるとなんとかなりそう。結局掘る部分は最後まで自分が担当した。


スコップで掘り、土を落として一輪車に載せるという作業。
立派な芋が収穫できた。
Mは思ったより量が少ないというが、それでも一輪車に2台は採れた。自家消費分としては充分である。

残りの畑の整地は自分でするからとMが言い、私の役目はそこまでで終わり、手伝った時間は30分あまり。
後は無罪放免である。



2025年11月1日(土)
冬支度・セミ炬燵
“安静”や“開店休業”のためで「秋じまい」も完全に終わっていないのに、今日は早くも、「冬支度」第一号となる「セミ炬燵」を設置した。


「セミ炬燵」とは聞きなれない言葉であるが、私が作った造語。
冬の必須アイテムで、温風ヒーターの風を椅子の下まで引き込むダクトと椅子の足回りを覆う布類一式からなっている。
装置として完成したのが2018年であるから、歴史はかなり古い。
 こちら→(2018/12/2)
以来毎冬運用している。

毎年11月下旬か、あるいは12月上旬に設置していたのだが、今年は早くもお出ましである。
秋が短く、一気に寒くなった為か、あるいは、年の性で寒さを感じやすくなった為か分からないが、おそらく後者の理由が強いのであろう。

よる年波にはかなわない、時勢の成り行きである。