| 2025年10月31日(金) |
| アームスタンドの修理 |
古い話であるが、左目オイル除去の手術後、1週間ほど安静にしていた時期の出来事である。
パソコンを置いている机を照らす装置で、アーム式のライトを机の脇に置いた本棚を利用して設置しているのだが、その取り付け治具(プラスチック製)が壊れてしまった。
ライトの位置が少しずれたので、修正しようとして、締め付け部を強く締め込んだら、その取り付け治具が半分に割れてしまったのである。
自立はできないライトなので、取り付け部品が壊れては全く使えない。ライト一式を外して一両日過ごしたが、無いとやはり不便である。
一式新規品を購入かと思っても見たが、ライトは使えるのに、治具の破損で廃棄するのも口惜しい。
なんとかならないものかと、思案し始めたときに思いついた。
ライトの固定は、固定部が太さ9ミリ程度長さ40ミリのパイプでできていている。一方、治具の取り付け部には直径10ミリ程度深さ40ミリの穴があいている。
この治具の穴にライトのパイプを差し込むことでライトと治具を固定するものであった。
思いついた案とは、治具の穴を木材で作ろうと言う考えである。
以前Mの要請で濡れ縁を作ったことがあり こちら→(2022/7/4)
その端材が残っていて、厚さを測れば丁度40ミリ。これを使おうと言うアイディアであった。
あとは試行錯誤。少しずつ手順を進めて取り付けてみた。この間費やした時間は2時間程度。
ただし取り付けてみると、本棚の下側に当たるベニヤ板が薄く強度が弱そう。壊れる可能性もある。
下側に補強の板を当てることにした。
この作業は翌日のこと。要した時間はほぼ1時間。
これで充分強度は間に合いそうである。
2日がかり、合計3時間の大仕事であった。
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| 2025年10月30日(木) |
| 眼科健診に行ってきた 通院15回目 |
左目の定期健診に行ってきた。
7月16日に怪我をして最初の通院をし、3ヶ月目に当たる10月19日にオイル除去の手術を受け、その後の経過観察を受ける検診であるが、初回から数えて今回が15回目になる。
予約時間は8時半。7時半前には家を出た。毎度Mの運転である。
今日は木曜日。手術日のためか、患者の数は普段に比べかなり少ない。
いつもの通り事前の検査を受けて、しばらくして医者による診察となった。
毎度のことだが、診察の冒頭、医者の第一声は「目薬は入れてますか」と言う問いかけから始まる。
そういえば、手術の事を除けば、普段は機器類による検査のみが医療行為で、医者が直接治療行為をしているわけではない。
普段の治療行為は医者ではなく目薬がしているわけで、そういう意味では、医者の冒頭の問いかけは、単なる口癖と言うのではなく、重要な意味を持っているのかもしれない。
確かに、今回のオイル除去手術の後も、目薬の種類が一つ増えて、それ以前の4種類から5種類になり、目薬の種類も一つ変更になっている。
厄介なのは、目薬により一日あたりの投薬回数が異なることで、一日6回の目薬が3種類、2回が1種類、1回が1種類である。
しかも投薬時目薬の種類を変える時には、5分以上の間隔を空けるという制約もある。
さらに、目薬の名前は結構煩雑で覚えにくい。致し方なく、種類の区分けはキャップの色で区別するという便法を採ったりなどする。
あれこれあり、それらを矛盾なくこなすのは、我々年寄りにとっては結構厄介な作業で、私は、それらの情報を盛り込んだExcelの管理表を作り、これをもとに目薬投与を管理してる。
ありがたいことに、その目薬投与の回数が今日から変更になった。
これまで一日6回のものが4回になる。6回が4回では負担度がかなり異なる、帰宅後早速管理表を作り替えた。
これまで6回のものを4回の表に作り替えたのである
いきなり目薬投与の話に話題が集中したが、冒頭の医者の診察に話を戻すと、眼球の治療経過は非常に良いとのこと。
このまま経過を見て行くことになった。 次回の診察予定は11月11日である。
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| 2025年10月29日(水) |
| 初霜 |
定例の朝の一仕事を終えて窓のカーテンを開けると景色がうっすらと白い。
階下に降りて確認すると初霜であった。
つい先日まで暑い暑いと言っていたのに、もう初霜かと少々驚いた。
朝の県内版ニュースによると、直線距離で10Km離れた「淀原」というアメダス測候所で、気温が-0.1度であったとか。
この気温なら霜が降りてもおかしくない。
ちなみに昨年の初霜を探してみると、昨年は随分遅い。
こちら→(2024/11/25)
ただ、例年の初霜も調べていて、こちらを見ると
こちら→(2022/10/31) およそ、10月末から11月初めにかけて降っていて、今年の“29日の初霜”はとりたてて早いというわけでもない。
暑い夏が長く、その後の秋らしい日々が短かったが故、初霜を異常に早くと感じたのかもしれない。 逆説的に言えば、人の自然感覚をも狂わせるほど、異常気象が続いているということになるのかもしれない。
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| 2025年10月28日(火) ラベル1028 |
| ”安静”明けで、今度は”開店休業” |
一週間の安静明けで昨日から外仕事をはじめた。「秋じまい」である。
場所は、「義衛台」と呼んでいる場所の傾斜と「栗の木ベンチ」。
2時間ほどかけて、予定の場所の草刈を終えた。
作業を終える頃から少々腰に違和感を覚える。
ただ、久しぶりの外作業であるからと、あまり気には留めなかった。
そして今日である。
晴れ渡った良い天気。今日も草刈りをした。場所は「秋の七草通り」。 草刈りを始めると、程なく腰が痛い。
昨日はあまり気に留めなかったが、どうやら持病の「腰痛」になったらしい、と気がついた。
こうなると安静が一番。
今日の作業は、も少し他の場所もと予定していたが、「秋の七草通り」のみ、およそ1時間で刈り終えて、そのまま作業を終了した(写真なし)。
そして今日の午後。Mが数日前に草刈りをした、県道に至る道路の草焼き。昨日から、手伝うと約束をしていた作業である。
“安静が一番”で、静かにしていたいところだが、昨日からの約束もあり、そうもゆかず、1.5時間かけてなんとか燃し終えた。
それでも後半になるとかなり腰が痛い。
持病の「腰痛」は決定的である。 2・3日の開店休業を覚悟した。
昨年も「秋じまい」の時期に持病が起きた気がして調べてみると、案の定開店休業をしている。
こちら→(2024/9/8)
目が原因で“安静”があり、さらに、ここにきて“開店休業”は甚だ口惜しいが、受け入れるしか他に方法はない。
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| 2025年10月27日(月) |
| オイル除去手術 その後 |
オイル除去手術後1週間の安静を命ぜられ小欄を休刊していたが、その安静期間を終了したので、再開することにする。
手術翌日の20日に通院したことはすでに記述しているが、その後、その翌日の21日と24日に経過観察の診察を受けている。
以前何度か小欄に記載しているが、オイルが原因と思われる、小は1ミリくらいから大は6・7ミリまでの黒い斑点や黒いリング状のものが無数に映り、しかも、目の動きに連動してゆっくりと動き、結構邪魔になっていた。
今回のオイル除去で、これら無数に映る斑点がかなり消えると期待していたが、思ったほどには至らなかった。
確かに少なくはなった。
感覚的な話だが、7割くらいは減ったが、3割くらいは残った感じである。結果として、“少々邪魔になる”くらいは残っている。
このことを20日の診察時医者に問い合わせたところ、「完全には綺麗になりません」との答えが戻ってきた。
どうやら“今回残った斑点とは生涯付き合うことになる”ようである。
もう一つ気になることが起きている。それは下まぶたのめくれ。下まぶたが下方にめくれて赤く見える状態になっている。
怪我をする以前は、このような状態は全くなかったのだが、最初の手術の時点でこの状況が現れ、今回の手術で、さらにその状態が増したような気がする。
このことについて、以前Mが医者に質問したことがあるが、医者の答えは「手術とは無関係の出来事」という返事が戻っている。
この年齢であるから、“見てくれ”の問題なら全く気にしないのだが、この2,3日、下まぶたのあたりがチリチリと痛むのである。
自分なりに勝手に想像すると、めくれのせいで涙が届かず、乾燥が進んで痛みが出るのではないかと思ったりするわけである。
他のことは我慢するにしても、痛みを我慢するのは少々辛い。次回診察時には、医者に相談してみようかと思っている。
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| 2025年10月20日(月) |
| 本日休刊 |
手術後第1回目の検診に行ってきました。
朝の8時から。
いつもの通り何種類かの検査があって、のち医者の検診になります。
医者も装置を覗いて検診したのち、「施術の結果は問題ありません」とのこと。
我が方からの質問で「安静期間はどのくらい?」と尋ねると、「1週間は安静にしてください」とのこと。
続いて我が方から「酒はどうですか?」と尋ねると、「酒は飲んでも良いですです」と返事がありました。
そんな次第で、爾後1週間程度「本日休刊」といたします。
ご了承ください。
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| 2025年10月19日(日) |
| 左目、オイル除去手術 |
予定通り左目のオイルを抜く手術を受けてきた。
クリニックには9時前到着。手術前の検査があり、それを元に医者の検診。
医者の「予定通り手術をしましょう」ということに相なった。
一旦外出して昼食など。
またクリニックに戻り、手術前の目薬投与などの準備。
実際に施術が始まったのは14時50分頃であった。手術が終わり時計を見ると15時半。およそ40分の手術時間であった。
その間、色々音などは聞こえるが、具体的に何が施されたのかは全く分からない。
とりあえず終了したという事のみである。
今日はそのまま帰宅。
明日は術後の検診があり、再びクリニックへゆくことになる。
明日の検診時には、結果の良し悪しも含め、も少し具体的なことが判明するであろう。
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| 2025年10月18日(土) |
| 左目の手術に向けて |
明日3度目(縫合の抜糸を数に入れれば4度目)の手術が予定されている。
明日の手術は2回目の手術の時、眼球を安定させるために注入されたオイルを通常の液体に戻すという内容。
もともとは、その手術後1ヶ月経った頃実施されると説明を受けていたのだが、医者の判断で、3ヶ月目の明日に延ばされたものである。
前回検診の時、手術に向けての新しい目薬が処方されて、目薬の説明書を見ると、細菌の増殖を抑える目的のものらしい。それを手術の4日前に当たる16日から点眼するようにとの指示を受けていた。
赤い容器に入った目薬で、我が方としては、16日からの点眼を忘れないよう、点眼チェック表にその旨を追加記入し、16日から点眼を開始している。
また14日にはクリニックから突然電話が入り、邑智病院で処方されている血液をサラサラにする薬2種類を、明日(15日)からは服用をやめるよう指示があったりなどする。
今回行われる手術の内容が全くわかっていない自分にとって、この薬の服用をやめる指示は、今度の手術は結構大きい内容のものだと推定され、少々驚いたりもした。
一方、わが方の生活ぶりであるが、「秋じまい」の草刈りもかなり残っていて気にはなるが、ここにきて怪我でもし手術が受けられなくなると大変と思い定め、危険度の少ない、別棟の草取り作業などをしてすごした。
別棟内ではあるが、少し離れた場所の草取りを、以前したのだが こちら→(2025/9/14)
それと同じ目的の草取りを、別の場所で行ったわけである。
16日から今日までの3日間、それぞれほぼ1時間程度の作業であるが、外仕事を少しでもすると罪悪感が薄れ、気持ちは落ち着く。
いずれどこかの時を見て、ここにも野芝かイワダレソウの株を植えるつもりでいる。
そのような経過を経ての明日の手術、結果がどう出るか判らない。
結果を受け入れるしか、手はないのである。
補足1;手術の翌日と翌々日は手術結果を確認するための検診が組まれている。
補足2;そんな次第で明日以降、数日は、「本日休刊」になるものと思われます。
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| 2025年10月17日(金) |
| 檀流 釜揚げうどん |
小欄の得意技、ネタ切れの時の料理の話。
しかも今日作ったものではなく、昨日お昼に作ったものという、苦し紛れの策である。
昼か夜のどちらかを作るわけであるから、昼食を作る機会も数多い。その中でよく登場するメニューは、丼か麺類である。今日はその中の麺類。うどんの話である。
作ったのは乾麺を使った釜揚げうどん。参考にしたレシピは次である。
小説家の壇一雄氏が著した「壇流クッキング」というエッセイ集があり、一方、そのエッセイ集を元に一雄氏の長男である太郎氏とそのお嫁さんが、エッセイ集に載っている料理を再現したという本があり、ここに掲載する参考レシピは、太郎氏らが作ったレシピ集を引用したものである。
レシピとして作り方は難しくなく、私の用意する昼食にはしばしば登場する。
このレシピでは、「揚げ玉」が主要な役目を果たし、一雄氏はその揚げ玉を手作りするのである。
参考にし始めた当初は、私も揚げ玉を手作りしていたが、結構面倒でもあり、一方市販の揚げ玉があることを承知して以降は、市販の揚げ玉をもっぱら使っている。
ことほどさように、昨今作る釜揚げうどんは、レシピからかなり離れ、周辺にあるものを適当に使用するという傾向が強い。
今回作った釜揚げうどんは次である。
使った材料は冷蔵庫周辺にあるもの。きゅうり、コネギ、玉子、揚げ玉(天かす)、わかめ、シーチキン、そして乾麺のうどんである。
めんつゆも壇流でなく我流で、水300ccにあごだし大さじ3、醤油大さじ2、みりん大さじ1を加えたもの。
自分で考案しためんつゆレシピであるが、手間いらずでかなり美味。
昨今は、必要なときは、このめんつゆばかりを使用している。
ついでに使用した乾麺。
アマゾンで取り寄せる常備乾麺。安くて美味。お勧めである。
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| 2025年10月16日(木) |
| 祭りの幟 |
10月18日は八色石集落の秋祭りである。
我が家の台所の窓ガラスを透して正面に保養館が見えるので、2・3日前からそこに祭用の大きな幟が立っているのは遠望できていた。
ただ、所用などあってこの数日ウォーキングができず、近づいて間近に見ることはできないでいた。
今日は3日ぶりのウォーキングである。
そして間近にこの大幟を見上げたので写真におさめた。
目の怪我をして以降、普段は保養館を過ぎたところで左折をし、家に戻るのだが(ミドルコース)、左折の手前で川沿いを少し上ると三叉路に出ることができて(フルコース)、この三叉路まで行くともう1組大きな幟が立っているはずである。足を伸ばして別の大幟もみることにした。
幟のおかげで、久しぶりのフルコースのウォーキングである。
今回みた大幟5本の寄進年を確認してみると、1本が大正5年、残りの4本は昭和34年となっていた。
三叉路から八色石の街を通って帰路に向かう。
両側に家が立ち並ぶ八色石一の繁華街である。
今では空き家が多くなって、立ち並ぶ家のすべてではないが、人が住む大半のお家が門前に小さな幟を立てている。
これは平成18年に、発起人から声がかかり、それぞれの家で誂えたもの。
我が家も配慮が足りず、まだ幟を立ててなかったので、ウォーキングから帰ってすぐに立てることにした。
例年は人目につきやすい町道沿いに立てるのだが、今日は午後雨が予想されている。初めての事ではあるが軒下に建てることにした。
これで我が家も、気分は、秋祭り参加である。
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| 2025年10月15日(水) |
| 定期買い物先の変更 |
これまで長年、毎月15日または16日に近郊の街に缶ビール他のまとめ買いに出かけるのを恒としていた。
例えば こちら→(2019/7/15) ;(注)この記事では15日としているが、その後6のつく日もポイント5倍デーとなり、昨今は15日または16日としている。
この買い物行は、ポイントと割引でほぼ1割安くなるという事が定期的に通った理由の大きな一つであるが、もう一つは、月一必ず出かけるということで、ポケ防止の役目も担っていたのである。
ところがこの買い物先は、場所が遠い。車に乗って、片道4・50分はかかる。
今回の目の怪我以降は、4・50分の車の運転は、不安を覚えるようになった。
せいぜい図書館あたりの、車で20分程度の場所が、とりあえずの限界と思われる。
今日図書館に行ってきたのだが、帰り道、途中にある小さなスーパーマーケットにより、買い物をしてきた。
ただ、月1回の場合はまとめ買いでかなりの量になるが、このスーパーなら行く機会はかなり多い。まとめ買いをする必要はなく、都度必要な物を買えばよい。
そんな次第で、缶ビール(第三)とお菓子など、必要な物を買い求めてきた。
今後はおそらく、近郊のドラッグストアまで買い物に行くことはないであろう。
こうしてだんだんと、できることが少なくなってゆく。
“老いる”とはこういうことで、致し方のないこと。
ただ受け入れるしか、他に手は無いのである。
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| 2025年10月14日(火) ラベル1014 |
| 「プラス松竹」 の無料トライアル |
私が映画を見る手段として、主要なものの一つに「プライムビデオ」がある。
このことについてはすでに何度も触れた。 例えば こちら→(2017/5/15)
この場合、アマゾン会員なら無料という映画も数多くあるが、逆に有料なものもかなり多い。
有料映画の視聴方法には二つの方法があって、レンタルか購入である。
私の場合、購入は高価なので、レンタルで視聴する。レンタル料は大半が400円であるが、視聴時間に制限があって、48時間以内しか視聴できない。
48時間以内に観終えて、それで終了と言うことももないではないが、大半の場合、映画を録画する。これで購入したと同じことになり、時間制限なくいつでも見ることが可能になる。
ただこの録画には、少し特殊な技法が必要で、このことについては以前触れている。
こちら→(2025/9/16)
以上述べた、レンタル料を払い、録画をかけて映画を保存するという方法を、これまで長年続けてきた訳である。
一方、有料レンタル映画の中にも二通りの見方があることに気がついた。気づいたのは1・2年前のことである。
それは、映画の制作会社が、月何100円かの月極料金を支払えば、以後その製作会社の有料レンタル映画が無料で見れるという、いわゆる“サブスクリプション”方式での視聴である。
具体的に言えば、例えば松竹の場合、「プラス松竹」というサブスクリプション方式があって、この場合月当たり330円支払えば、以後、松竹配信のレンタル映画は無料で見ることができるという方式である。
ただし、、松竹の配信する映画をいつ観たいと思うかはわからず、そのために毎月330円支払うのはもったいない気がして、必要な時にはレンタル料を払って見ることとし、このサブスクリプション方式は無視して来たのである。
ところがここにきて有益な(別の見方をすれば姑息な)手段を思いついた。
それぞれの会社のサブスクリプション方式には、勧誘を目的としてであろうが2週間程度の無料お試し期間が設定してある。この無料お試し期間を活用しようという思いつきであった。
具体的に言えばサブスクリプションに入会し、お試し期間内に退会手続きをするという方法である。この場合費用は一切発生しない。
この思いつきを松竹映画で試してみることにした。実行したのは9月末の頃。
とりあえず入会手続きをする。無料で松竹映画が見ることができるようになった。
でどうするかである。見ることはしない、ひたすら録画するのである。
録画をかけてから外仕事をするとか、録画をかけてから寝るなどという方法である。この場合終わりは余分なものがくっついた録画になるので、これは後ほど編集作業でトリミングし不要な部分を消去して、まともな映画にして残すわけである。
寅さんシリーズなど、他の方法で撮りためたものもたくさんあり、それらの中で撮ってないものを選んで録画をした。
18本ある。仮にレンタル料を一本400円とすると、合計で7200円分助かったことになる。
その後解約手続きを終えたので、以後サブスクリプション費用を請求されることはない。
蛇足ではあるが、先日10月18日に記載した“ロバートレッドフォード逝く”の項で記載した、新聞記事の実行の遅れは、今回記した松竹関係の映画の録画を優先し、ロバートレッドフォード出演の映画の録画が遅れたことによるものである。
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| 2025年10月13日(月) |
| Mの実家の手伝い 防腐剤塗り |
何度も小欄で取り上げているが、Mの実家は養蜂を営んでいる。
例えば こちら→(2025/6/15)
その業務の一環として、蜜蜂を飼育する蜂箱に防腐剤を塗る作業がある。
蜂箱は屋外に設置するため、風雨にさらされ腐食する。その腐食を抑えるために、蜂箱に木材用防腐剤を塗る作業である。
毎年この時期に行われ、今日その手伝いに行ってきた。
箱には本体、継ぎ箱、蓋の3種類の形状がある。本体が一番重く形状が複雑。 それら3種類の箱を総数にして200個あまり防腐剤を塗ってきた。
塗り終わった箱を乾燥のために並べたのはM。
秋の風物詩になるよう、「奇麗に」を心がけて積んでみたという。
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| 2025年10月12日(日) |
| Kさんの長女”あっちゃん”夫妻来宅 |
三井金属勤務時代、公私にわたってお世話になったKさんの長女 “あっちゃん”夫妻が昨日から今日にかけて一泊どまりで来宅してくれた。
Kさんには、三井金属入社当時からお世話になっていて、小欄には2度登場願っている。
こちら→(2025/6/14)
こちら→(2019/6/23)
そのKさんとは、Mとの結婚以前からお付き合い頂き、またMとの結婚後はその輪の中にMも加わり、家族ぐるみでお付き合い願った方である。
今回来宅の話題のひとつにと、Mが古いアルバムを引きだしてきたが、その中に昔の写真が2枚見つかった。
左の写真は昭和51年(1976年)のもの、後部中央に立つのがKさんの奥さんで、Mが階段手すりの後方に写っている。最前列男の子が我が家長男。
右の写真は昭和56年(1981年)のもの。Kさんの娘さん、“あっちゃん”と“よっちゃん”のピアノ発表会の時と添え書きがある。前に立つ2人の男女は我が家の子供2人。これから見るとMが写真の撮影者なのであろう。
そんな家族付き合いをいただいた、Kさん一家であった。
後年の話になるが、Kさん一家には、この八色石の地に一度お越しいただいている。
平成23年(2011)のことで、小欄を立ち上げる以前の出来事。
記事として取り上げていないので、ここに写真のみ抜き出して掲載してみる。
この写真の中に、計6人の男女が写っているが、それぞれKさん夫妻、“あっちゃん”夫妻、そして、我々KとMである。
その後、令和元年(2019年)にKさんはなくなった。
この時の出来事は、先に引用した小欄に詳しい。
この葬儀の時にわれわれは“あちゃん”夫妻に会っている。
Kさんが亡くなった後は、K家と我が家の間の連絡の主役はKさんから“あっちゃん”へと移ることになる。
たまに電話が来たり、他に年賀状のやりとりなどをしていた。
紙面の都合で、詳細は省くことになるが、“あっちゃん”のご主人は中国広州出身の方で名前を“陳さん”といい、料理が上手らしい。。
電話の話題の中にいつしか、「“陳さん”の手になる水餃子を食べる会」を開こう、という機運が盛り上がり始めたりなどする。
ただ、実現されないまま歳月が過ぎていた。
そして2・3ヶ月前のことである。
突然“あっちゃん”から電話がきた。
電話を受けたのはMであるが、10月の連休中に中国地方の旅行を考えている。その中に我が家を訪ね、「“陳さん”の手になる水餃子を食べる会」を計画したいが、如何という提案であった。
我が方に異存はない。了解の旨の返事をして、小欄本日の冒頭の部分につながることになる。
羽田空港→広島空港→出雲大社を経由して、二人が我が家に着いたのは11日の午後3時半頃であった。
ひと休みして里庭を案内。その後「水餃子の会」になる。
日本の水餃子は餃子が鍋の中に浮かぶが、“陳さん”のものは湯がいたものを皿に並べる。皮がくっつきそうであるが全くくっつかない。しかも誠に美味。
翌日は遅めの朝食をとり、しかも話題に花が咲いて、我が家を出発したのは朝の11時半を過ぎていた。
次の目的地は倉敷とか。
我が家滞在中、広大な中国の驚きの話を色々聞かせてもらったが、紙面の都合で詳細は割愛する
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| 2025年10月11日(土) |
| ロバート・レッドフォード 逝く |
日付が9月18日であるから、少し古い読売の記事である。
一面のコラム「編集手帳」で、アメリカの俳優ロバート・レッドフォード氏が亡くなった記事を載せている。
Kより若い俳優さんのような気がしていたが、記事を見ると89歳とあるから、Kより年長の人であった。いかにもアメリカ人らしい風貌の俳優さんである。
この記事で紹介されている映画2本、「明日に向かって撃て!」と「華麗なるギャツビー」の2本の映画をプライムビデオで探し出し、昨日と今日2日をかけて録画をした。
前者の映画はこれまでに1-2度は見た記憶があるが、後者の映画はこれまでに見たことがない。
記事にある、「2人が並んで走る静止画像で終わる」の部分が、上記に載せた写真下段の2枚のカット部分である。
9月18日掲載された新聞記事の実行が今日まで遅れたには理由があるのだが、この理由の説明については後日、別の機会に小欄に載せてみたい。
「明日へ・・・」の方は、昔見た記憶をたどりながら、また「華麗なる・・・」の方は、新鮮な興味を持って、近い将来ゆっくり見てみるつもりでいる。
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| 2025年10月10日(金) |
| 煙の芸術 |
19日に、左目の3度目の手術が予定されていて、そうなるとまた“安静”が命じられれると思われる。
その前に、できる限り「秋じまい」を進めておこうと、昨今はかなり精力的に作業を進めている。
母屋から離れたところから始めた「秋じまい」であるが、ここにきてかなり母屋周辺の作業になってきた。
そんな状況の中での今日の出来事である。
今日は快晴の良い天気。陽の当たる場所では少々暑いが、日陰に入ると心地よい天気である。
午前中は「元竹」と名付けた場所の草刈りをし、午後は、「欅台」と「桜台」の草焼きをした。
欅台と桜台の中間位置に火点を作り刈り草を焼く。
草の枯れ具合もベストの状態で、大きな火が燃えあがるほどではないが、かと言って焼け渋るほど湿気てもない。
白い煙が立ち昇って、静かにたなびく。
時は午後の4時前。つるべ落としの陽の高さもかなり低い位置まで下がっている。
たまたま弱い風でも吹いたのか、たなびいていた白い煙が大きく広がって目の前の銀杏の木に絡まる。
その瞬間である。
思わぬ光景が広がった。
煙に映る銀杏の枝葉の影が、太陽を中心にして放射状に広がったのである。
この光景は、風の向きが変わって、煙が銀杏木にかからなくなるまで数分間続いた。
神々しいような光景。
20余年草焼きをしているが、このような光景、煙の芸術といってよい瞬間に立ち会ったのは初めての経験である。
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| 2025年10月9日(木) ラベル1009 |
| 大人の絵本(10) 「とと姉ちゃん」のお家 |
ただいま図書館で借りている本の中の一冊。少し古いが、「暮しの手帖」2020年発刊の秋号。その中に掲載された記事である。
「暮らし手帳」の創始者である大橋鎭子氏が建てたお家を訪問するという特集記事を載せている。
戦前から所有していた品川区大井の土地に、1953年(昭和28年)に木造1階建ての家を建て、以後増改築を重ねて、現在のお家になっているものらしい。
話が少し転ずるが、この大橋氏の家族と名編集長として名高い花森安治氏をモデルにした、2016年の朝ドラ「とと姉ちゃん」が、只今お昼過ぎの時間に再放送されていて、録画をかけて見ている。
このお昼に見ている再放送の朝ドラと、暮しの手帖の特集記事を、たまたま軌を一にして見ることになり、若干の因縁を感じて、この特集記事を「大人の絵本」として保存することにした。
特集記事には、大橋一家の写真も掲載されている、右端が大橋鎭子氏。
大人の絵本の作成は久しぶりのことで、
前回は こちら→(2025/1/26)
その前は こちら→(2024/10/3)
になり、今回が大人の絵本としては10冊目になる。
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| 2025年10月8日(水) ラベル1008 |
| サロン田屋 |
今日は水曜日。月2回開催されるサロン田屋の日で、参加してきた。
左目の怪我をして以来2回目の参加になるが、前回写真を撮り忘れたので
こちら→(2025/9/24)
今回は本気で写真を撮ってきた。
写真を中心にサロン田屋の雰囲気を伝えてみたい。
(小欄掲載のこと、参加者の了解がとってないので、参加者の顔に当たる部分には軽いモザイクがかけてある)
スタッフの人は、朝8時頃から食事などの準備にあたられるが、一般参加者が集まるのは11時頃である。
Mは月2回のうち1回ほどスタッフとして参加していて、一方Kは一般参加者である。
一般参加者は、11時頃着くと最初に自分で、簡単な健康チェックをし、記録簿に記載する。記載項目は体温と血圧。
その後は、雑談などして昼食を待つことになる。
そしてお昼。出てくる食事は全て手作り、毎度豪華である。
今日の参加者はスタッフを含め全員で9名。雑談をしながら、頂くことになる。
食事の後はしばらく休憩。この間、Kは昼寝をすることが多い。
午後1時半頃から体操になる。
ただ、体操の前に歌を3曲歌う。歌は「ポケます小唄」、「ボケない小唄」、そして「年をとるってどんなこと」という替え歌の3曲である。
その後はスタッフの一人が音頭を取っての体操。柔らかい大きめのボールやその他の小道具を使うことも多い。背中にひらがなの文字を書いてリレーするという、文字送りゲームなどもある。 この時間の最後には竹踏み運動を行うが、これに使う音楽CDは、スタッフに頼まれてKが作成した。
こちら→(2024/6/26)
途中で水分補給の小休憩をとったりして、総時間は1時間弱。
そして最後がお茶の時間である。
市販のお菓子が出ることもないではないが、大半はもう一人のスタッフの方が作られる手作りのお菓子が出る。
今日はバナナを入れたケーキ。優しい味で美味しかった。
このお茶の時間がおよそ30分。
サロン全体が終了となるのは、およそ3時15分頃となるのが多い。
それにしても参加者がずいぶん減ってきた。
以前は15名近い参加者があったのに比べ、 こちら→(2019/6/5)
今日はスタッフを入れて9名、さみしい限りである。
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| 2025年10月7日(火) |
| 峠超えの 「秋じまい」 |
今日、大傾斜と呼ぶ場所の草焼きを終えた。
この場所の草刈と草焼きが、広さと、かつ傾斜という困難さもあって、作業量としては一番大きな場所になる。
したがってこの大傾斜の処理を終えると、残るは母屋に近い場所、しかも比較的平地なので、峠を超えた気がして安堵するわけである。
この大傾斜に費やした日にちと時間を記すと次のとうり。
草刈り
9月21日 1.5時間
9月26日 1.5時間
9月27日 1.5時間
9月28日 1時間
9月30日 1.5時間
10月1日 1時間
草焼き
10月1日 2時間
10月2日 1時間
10月7日 3時間
両者合わせて延べ8日間、14時間を要したことになる。
ただし、諸般あって作業の日程はかなり遅れている。
ちなみに昨年と一昨年の実績を見ると、
昨年が草刈の初めが9月10日で、草焼きの終了日が9月30日。
一昨年が草刈りの初めが9月8日で、草焼きの終了日が9月20日。
一睨み半月程度遅れている状態である。主たる原因は目の怪我と加齢。これは致し方ない。
今後、できる範囲で頑張ってみるしか方法はない。
嬉しいのは、目を怪我した当時、この大傾斜のように傾斜のある部分の草刈ができるかどうか訝った時があるが、プリズムを貼り付けたメガネを装着すれば、不自由さはあるものの、どうやら刈ることができる。
その意味で大傾斜の作業をやり終えることができたのは、大変嬉しい事であった。
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| 2025年10月6日(月) |
| 眼科健診に行ってきた 通院10回目 |
定例的になっている左目の検診に行ってきた。
前回は こちら→(2025/9/22)
予約時間は10時半。
従って、我が家をMの運転で9時20分ごろ出発した。
クリニックには10時半前に到着する。
しばらく待って検査が始まるのだが、その間にスタッフの一人が声をかけてきて、相談があるという。聞くと、16日に予定されているオイル抜去手術を19日に伸ばせてもらえないかという。
私一存では決められず、Mの意向を尋ねると、なんとかなるという。
先のスタッフを捕まえて、その旨の回答をし、しばらくすると定例の検査が始まった。
検査はいつも通りの流れである。
検査が終わり、10分位経ったであろうか、医師の診察が始まった。
いつものように、装置を使っての検診が始まる。そののち装置を外して面談になり、「概ね順調です」との言葉が出た。
それに続いて、「19日にオイル抜去の手術をして・・・」の言葉が続く。
先ほどスタッフに変更を了承した19日という変更日が、すでに医師が目にするパソコン上のデーターには修正して反映されていた。スマートな管理システムが出来上がっていると少々驚いた。
医師の言葉は続いて、「オイル抜去の後様子を見ながら、ものが二重に見える手術をします」とのこと。
そして「何か質問がありますか」と尋ねられるので、自分としてかねてから気になっていた質問をした。
私の場合、物が二重に見えるのは、左目の画像が斜め下方向にずれるのだが、その「ずれ量をどうやって正規に戻すのだろう」という懸念である。
医者の回答は、「斜視(という言葉が使われた)の手術技術として、ずれ方向とズレ量が解っていれば、どこをどういじるという技術はほぼ確立している。Kの場合、すでに方向とズレ量は測定済みなので、そのデータを元に手術をします。ただし、それで充分でない場合もあり、その場合は再手術となります」という答えであった。
私の今の思いは、もちろんオイル抜去後の様子を見てのことではあるが、一度はずれの修正手術も受けてみようかと思っている。
帰り際16日から19日に変更された予約表が渡された。
術後ERGとして2026年1月23日の予定が記入されているが、これは今年の10月23日の誤りと思われる。
ここに記入はないが、手術の翌日と翌々日は、続けて診察があるらしく、したがって、5日のうち4日は通院という、ほぼ毎日通院日という日が続くことになる。
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| 2025年10月5日(日) |
| 再び山水復旧 |
前回山水を調整したのが9月17日、 こちら→(2025/9/17) 以後太めの水が流れ出し、気持ちの良い日々を過ごしていたのだが、昨日の朝から山水が止まってしまった。
昨日と一昨日強めの雨が降り続き、水かさが増し、木の葉や木片、あるいは土砂などが流れ込み、山水の取口が詰まったものと思われる。
昨日、「山水が止まった」とつぶやくと、Mが「雨が止んでから直しに行ったら」と言うので、修理に出向いたのは今日である。
途中のつなぎが外れているというケースが無いわけではないので、途中も気をつけながら登ることになるが、原因はやはり取口のつまりのようである。
取水口まで行くと、土砂が流れ込み、木の葉や枯れた枝木などが取口の周りを覆っていた。
掃除の手順はほぼ決まっているが、今回は少し丁寧に行うことにする。
掃除を終え、ホース類をつないで家に戻ると、再び山水が流れだしていた。
普段この種の修理に要する時間は30分程度であるが、今日は清掃を少し丁寧に行った関係もあって、家に戻って時計を見ると40分を要していた。
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| 2025年10月4日(土) |
| 本日休刊 実姉が施設から仮外出 |
10歳離れた実姉が居るのですが、1年あまり施設に入所しています。
その実姉が久しぶりに嫁ぎ先の家に仮外出という形で戻るということで、Mと一緒で立ち会ってきました。
具体的に中心になって動いたのは、甥や姪ですが、久しぶりに家に戻ることになって、姉も喜んでいました。
そんな次第で本日は休刊します。
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| 2025年10月3日(金) |
| 「NHK ONE」 の設定 |
ここ2,3日好天が続いたが、今日は一転して雨。それもかなり強い雨が終日降り続いた。
久しぶりの雨もまた良い。安心して屋内に止まれる。
少したまっていた事務処理を行うことにした。
一つが国勢調査の記入、もう一つが年金に係る扶養家族の変更有無の申請書類の作成。
そしてもう一つ、最大のイベントが、「NHKプラス」から「NHK ONE」への変更手続きである。
NHKが実行しているインターネットでの放送サービスで、これまで実行されていた「NHKプラス」というシステムが、今月1日から「NHK ONE」というシステムに移行している。
もはや、NHKプラスを開いても、移行を促す画面が表示されるだけで、番組視聴ができない状態になっている。
今日その対策として、新システムへの移行手続きを実施することにした。
作業の実際は、操作に慣れているパソコンで行うことにする。
システムが変更されることについては、NHKも通常のテレビ放送の中で案内していて、その中には8月15日時点でNHKプラスを視聴している人は簡単に移行ができる、というような案内も放送していた。
こんなこともあり、移行に関する手続き案内書も、探せばどこかにあるはずであるが、何とかなろうと簡単に考え、ぶっつけ本番で作業を始めた次第であった。
最初に行ったのが、NHK ONEの画面を開き、「ログイン」ボタンを押して、NHKプラスで登録済みのIDとパスワードを入力してログインを試みた。エラーが出る。何度か繰り返したが、結果はやはり同じでダメ。
8月15日以前の利用者は簡単に、とはいうものの、それほど簡単なものではないらしかった。
以後、分からないまま試行錯誤を続けている内に分かってきたことは、「ONE」専用のIDとパスワードを設定する必要があるということである。
どこをいかに操作したか記憶がないのだが、その画面が表示された(下図、赤字@)。
この表示の中に「旧NHKプラスの利用者はこちら」という案内が出てきた。
開いて、IDとパスワードを入力し、送信すると、2段階認証用のメールが届き、6桁数字の認証コードが提示される(赤字A)。
この指定された6桁の数字を、表示された枠の中に記入し、コードの送付行為を行うと、その後、手続き完了の表示が現れる。
これで新たに「ONE」用に設定したIDとパスワードが認証されたことになる(赤字B)。
次に行う作業は、「NHK ONE」というプログラムを運用したい装置、具体的にはパソコンやスマホなどで、「ONE」のプログラム(アプリ)をダウンロードし、プログラムを開いて、先に認証されたIDとパスワードを入力して「ログイン」すれば、プログラムが動き出すということになる。
本日このプログラム(アプリ)を導入した機器は、メインに使っているデスクトップパソコン、補助用に使うノートパソコン、そしてタブレット、さらにK用とM用のそれぞれのスマホ、その上にもう一つ、テレビ付属機能のネット受信と、合わせて6台の装置になる。
試行錯誤で、あれこれ悩みながら作業をするわけで時間がかかり、最終的に6台の装置すべてに、「NHK ONE」を導入するに当たっては、3-4時間を要した。
試しに、デスクトップパソコンとタブレットで、10月1日朝7時のニュースを再生することができるか,試みたのが上の写真。
両者とも、見逃し映像を再生することができ、システム移行は問題なく完了したものと思われる。
10月1日以降気にはなっていた作業で、雨の日を有効に使うことができたという満足感がある一方、少々疲れたという思いも残っている。
(補足)今回移行した「ONE」は、従来の「プラス」に比べ、操作方法がかなり異なる個所があるようで、しかも装置の種類によって使用方法も異なり、使いこなすまでにはある程度の慣れが必要と思われる。
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| 2025年10月2日(木) |
| 「秋じまい」佳境 |
春から夏にかけての外仕事は、せいぜい半日作業をするのが大半であるが、ただいま実行中の「秋じまい」は、午前、午後とも作業をすることが少なくない。
と言うのは、草刈りの方は天候に左右されずいつでもできるのであるが、それに続く草焼きの方はそうはいかない。
草刈り後ある程度時間がたち乾燥が進んでいなければならず、しかもそれが濡れていては焼くことができない。雨降り後はもちろん、午前中の朝露に濡れた時間も無理である。
したがって可能な時には、少々無理をしてでも作業をすることになり、結果として午前も午後も作業ということになるわけである。
秋雨前線の影響でぐずついた天気が続いたが、昨日と今日は陽の射す好転。午前も午後も外仕事をするという状況であった。
そのうちの今日の内容。
午前中は、昨日草刈りした「二の畑」の残りの草刈りを1時間。時間が余ったので、「雑木下」と呼ぶ場所の草刈りを1時間。
午後は草焼きである。
はじめに「大傾斜」と呼ぶ場所の草焼き。大傾斜は4日にわたって草刈りをしていて、草刈り後の乾燥具合を見ながら焼くことになる。昨日も焼き、そして今日は2日目。大傾斜の中程の部分を焼くことにした。
傾斜に残っている刈り草を上から下へ掻き下ろし、それを塊にして着火するという段取りである。
ほぼ1時間を要して焼き終えたので、次の場所に移ることにした。
次が「二の畑」。二の畑は数日前Mが面積の半分ほどかり終えてくれていて、その残りをKが昨日と今日2日にわたって草を刈っている。
特にMの刈った場所は乾燥が進んでいて、草の量が多い為、次の雨までには焼いておきたい。そんな理由で仕事の手順を考えた訳であった。
ここは広い平地。火点を4ヶ所設け、着火し、焼け具合を見ながら周辺の草をその上に乗せていくというやり方である。
乾燥が進んでいるとは言え、炎はほとんど出ず、白い煙がもうもうと上がる。外に出ていたMがその帰り道、もうもうと出る白い煙を遠くから見て、写真に納めてくれた。
草焼きに要した時間は2.5時間。
Mの刈った場所とKが昨日刈った場所は焼くことができたが、今朝刈った場所は残ることになった。
また別の機会に焼くことになる。
「秋じまい」、かなり進んでいるとは言え、例年に比べると遅れ気味。
今のところ、終わりの目処は全く着いていない。
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| 2025年10月1日(水) |
| 今年も遅れた彼岸花 |
私が勝手に「八色石一」と認定している彼岸花の咲く場所がある。それは、保養館前の傾斜。
里庭内にも、Mが手植えした彼岸花の咲く場所はあちこちにあるが、一ヶ所あたりの面積と花の密集度においては、この保養館前の咲き様に比べると若干落ちる。
この場所を「八色石一」と認定している所以である。
ウォーキングコースの脇に位置しているので、ウォーキングに出た時は、いやでも目に入る。
その彼岸花が咲き始めた。
かつては、お彼岸の頃律儀に咲いていたのだが、ここにきて咲き様が遅れ、10月になってから盛んに咲く。
近年の暑さのせいと思われるのだが、この異変に昨年初めて気がついた。
こちら→(2024/10/4)
長い夏が終わって、ようやく秋の気配が濃くなってきた。
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