(写真をクリックすると、大きな写真が表示されます)

Kの散歩帖
里庭掲示板
2026年2月4日(水)
疑念が晴れた
昨日“都合”にて休刊としたが、その“都合”の種明かしを致すことにする。
実は、インフルエンザか新型コロナに罹患したと疑ったのであった。

症状が発生したのは一昨日の午後くらい。いわゆる通常の風邪の症状。鼻水が出て、喉が痛い。熱を測ると36.6℃。
Kの場合、風邪の症状が出た時の対応策は、ビタミンCを5粒、市販の感冒薬を3粒、そしてうがい薬を使ってのうがい、の三つを併用する。これで大概はおさまる。
症状が治まるのを期待したが、その日は収まらず寝る前にもう一度同じ対策を施した。

そして昨日である。起きてみるとさらに症状は悪い。喉も痛いし、悪寒もする。体温を測ると36.8℃。
どうも症状が進んでいる様子で、別の対策を探ることにした。

以前あちこちの病院で処方してもらった薬の残りを保管している袋がある。
それを出して調べてみると、昨年の6月に星ヶ丘クリニックで処方してもらった、「喉が痛い時」と「熱が出た時」飲むと補足書きした薬の袋が出てきた。中にはそれぞれ2錠の薬が残っている。
これを飲んで様子を見ることにした。

午後である。Mは仕事の日で出かける。
午後3時頃である。
状況はさらに悪い。熱を測ると37.1℃ある。
この頃から、インフルエンザもしくは新型コロナに罹ったのではないかと疑い始めた。
近郊のクリニックに行って、検査をしてもらおうかと思ったが、外を見ると雪が降っていてしかも降る量が多い。目の不自由な中この大雪の中を運転する気にもなれず、そのまま布団に入って時間を過ごした。

夕方Mが仕事から帰って、話をすると、「小学校でもインフルエンザが流行っている。可能性は充分ある」となり、昨日の夜は2人ともマスクをして生活をした、という状況である。

そして今日である。
外を見ると空は晴れ。ただし昨夜来積もった雪は10Cm程度ある。
この分ならクリニックに行き検査を受けることができると思われ、実施することにした。

家を出る前にクリニックに電話する。
到着したら再度電話をすることになってクリニックに出かけた。このクリニックには発熱患者用の駐車場があって、その場に車を停め、着いた旨の電話をする。
そのまま待つようにと指示があって、待つこと20分余り。看護婦さんが来て、検査用の検体を取る。
鼻の穴に長い綿棒のようなものを指して粘膜の液体をとるのだが、これがすこぶる痛い。ようやく終わって、「結果が出るまでにどのくらい時間がかかるか」を尋ねると「5・6分はかかる」との答えであった。

待つこと10分程度。再度電話が来て、結果が出たので車の場所を移動するよう指示がある。玄関に近づくと、医者が立っていた。
お礼を言いつつ検査を果を聞くと医者の言うには「良かったですね、両者とも陰性です」とのこと。
「風邪の初期症状の対応薬を処方します」とのことで、薬が出てくるまでに少し時間があった。

大ごとでなかったと安堵して、周囲を見廻す。それまではあまり目に入らなかった、雪景色が目に入った。

節分の雪景色でも撮るかと、その場から帰り道のところどころで写真を撮りつつ、家に戻った次第である。


明日はサロンの開催日。
半分以上出席をあきらめていたが、おかげさまで出席できそうな模様である。



2026年2月2日(月)
本日休刊
都合にて、本日休刊いたします。
2026年2月1日(日)
現役勤務中の資料探し
昨年1月に始めた「私の履歴書」シリーズであるが、7月に左目を怪我した以降中断した形になっている。
最終投稿記事は こちら→(2025/7/4)
目の治療はまだ完全に終わっているわけではなく、恐らく3月前後に再度手術と言うことになると思われるが、そのような事情を踏まえつつも、履歴書の再開をぼちぼち考えようかと思い始めている。

今回の履歴書シリーズは、記憶にたどる部分も無いではないが、できるだけ資料をベースにした正確さをもつ記録として残したいわけで、そのためには写真はもちろんであるが、文字で書かれた資料も、あるに越したことはない。
別棟という場所に保管しているダンボール箱をもう一度開けてみて、資料になりそうなものを探し出してみることにした。

その結果である。


まず最初が、ダイカスト事業部配属直後(昭和43年4月)から始めた、上司宛提出する作業日誌である。
このことについては一度簡単に触れているが、 こちら→(2025/6/9)
そのまま継続されていて、昭和48年初旬まで続いていた。ただし後半部はかなり記述の抜けている個所も多い。

次に出てきたのが手帳に記載した作業メモ。仕事中常時胸ポケットに入れていて、何か必要事項が発生すると、都度取り出しメモしていたものである。手帳は会社が発行していたもので、毎年2冊買い求め使っていた記憶がある。
この手帳で出てきた年次は、昭和46年(1971年)から昭和56年(1981年)までのものである。

そして最後になるが、出てきたものはシステム手帳サインズの予定表。
当時システム手帳も鞄に入れて常時持ち歩き使用していたのだが、住所録とか、その他重要事項を書いたもの、そしてこの予定表などを収めていた。毎年一年分の用紙を新規購入して使い、年度が終われば別のシステム手帳と同じ大きさのファイルに保管していたものである。
この予定表の残っていた期間は、昭和62年(1987年)から平成18年(2006年)の期間のものであった。


その他の資料として、これは今回探し出したものではなく、常時2階自室の書棚に保管しているものであるが備忘録の一式が保存されている。


探し出す前はどの位の資料が残っているか少々危惧しながら探したのであるが、結果的には、よく残っていたと思う半面、欠落している部分も多い、と言わざるを得ない。

まあ、残っていた資料で記事を書いていくしか方法はない。
ぼちぼち記事を書こうか、とは思っている。