| 2026年2月28日(土) |
| イカ団子鍋と チャットGPT |
ネタ切れの極みで、またしても夕食に作った料理の話。
しかも鍋。それも小欄に2・3度は載せたイカ団子鍋である。
前回は、昨年の9月にも載せている。 こちら→(2025/9/11)
イカと肉(本来なら豚肉とあるのだが、今回は豚肉がなく、豚と牛の合いびき肉)をフードプロセッサーで処理するのだが、これまではこの過程の写真が少なかったので、今回は少し大目に撮ってみた。
意図通りの写真が出来上がった。
ここまでは問題がない。
次に配膳した例の写真を載せようとして大いに困る事態となった。
よくあることなのだが、夕食の準備をするとき、薄めたウィスキーを飲みながら行うことがある。
今日もそうで、飲みながら準備を行った。
その準備時に飲んでいたコップが写真に写っているのである。それもM用の席に写っていて、まるでM用にウィスキーを準備したように見える写真であった。
このままでは載せることができない。
何か手はないかと考えているうち、ものは試しでチャットGPTに相談してみようかと思いついた。以前チャットGPTでも写真の加工を行ってくれると何かで読んだ気がしたからである。
試してみた。
右上が私の質問。左下がチャットGPTの答え。答えが出るまでに10秒前後である。
驚くほどに綺麗にコップが消えていた。
チャットGPTの写真をダウンロードして、今晩の配膳例の写真とした。
チャットGPTの利用方法の一つをマスターしたし、鍋もよし。
言うことなしである。
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| 2026年2月27日(金) |
| The Swingle Singers |
この3、4日は、ひな祭り応募作品の準備をしたり、あるいは天気が悪かったりなどでウォーキングをサボっていて、もっとも直近でウォーキングをした23日のことである。
ウォーキング中、たまにスマホでラジオを聴くのだが、その日もそうした。
以前は武内陶子さんの番組を聞いていたのだが、竹内さんが退職して以降は特別に聞く番組がなく、聞き逃し放送で「ラジオ深夜便」を聴くことが多い。
当日もそうすることにして、深夜便のコーナーを開く。
過去1週間分の放送が並んでいるので、その中から適当に選んで聞き始めると、作家でエッセイストの阿川佐和子さんが出演している番組であった。
視聴者からの問い合わせに対して、阿川さんが答えるという内容のもので、適当に聞き流していると番組の最終近くになり、阿川さんが推奨する音楽を流すという時間になった。
長くなったが以上が前書き。今日の話題はそのとき流れた音楽の話である。
流れたのは「スウィング シンガーズ」というグループが歌うバッハの「G線上のアリア」であった。
「眠くなりそう」という安川さんの冗談も流れたが、若い時に聴き衝撃を受けたと紹介された。
私にとっても、以前どこかで聞いたような気がしないでもないが、歌うグループの名前ははじめて聞くものであった。
その場はそれで終わる。
そして今日になる。今日午前中に公民館に行き、ひな祭りの応募品を届けてきた。
そして時間的な余裕が出る。数日前の「スウィングシンガーズ」の事を思い出し調べてみることにした。
「スウィぃングシンガーズ」は、正式には「The Swingle Singers」と言い、アメリカ人ながらフランスで結成したグループという。男女混成の8人からなり、1960年代から2000年代の初頭まで活躍したチームと言う。現在でも活動しているかはわからない。
静かではあるがおしゃれな歌が多い、代表曲をダウンロードして残すことにした。

(画像をクリックして、別の画面を表示すると、
「The Swingle Singers」が歌う
バッハの管弦楽組曲第2番が流れます) |
私は「Spotify Music Converter」の永久ライセンスを所有していて、 こちら→(2019/8/7)
Spotifyが扱う曲なら無料でダウンロードすることができる。このプログラムを使用してダウンロードした。
集めた曲で聞いたのは10曲程度。残りは、これから、ゆっくり聞いてみたい。
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| 2026年2月26日(木) ラベル226 |
| ひなまつり文化展に応募 |
毎年この時期、地元の公民館で開催される「ひなまつり文化展」に応募しようとしている。
昨年も応募した。 こちら→(2025/2/27)
今年の応募作品は、小欄を月別に分けて印刷製本したものを出すことにした。
上の写真は文化展の募集を知らせと、わが方の応募趣旨書である。
作業は一ヶ月程度前から始めたのだが、思ったより手間がかかり、この2,3日は、ほぼつきっきりでこの作業に当たることになった。
と言うのは、小欄の一ヶ月をホームページからコピーして貼り付けると、上部に月末の記事が並び1日の記事は末尾に来る。
一方、印刷製本した時には、1日の記事から始まるように並び替えたい。
そこでどうしたかと言うと、
ホームページ上の記事をコピーしてWordに貼り付け、Wordの設定で日付とタイトルの位置を用紙の冒頭に来るようにセットして印刷する。
印刷された用紙は、日毎にまとまって印刷されるので、それを古い順に並び替え、「1日」の記事が最上部の位置に来るよ配置して綴じるという操作を行った。
そんな次第で、かなりの時間を要したわけである。
本の出来栄えは次のようになった。
表紙には目次が配置してある。
展示方法もかなり苦労した。当初はブックエンドのようなものを作成して並べてみたが、冊子自体が柔らかいので安定性がひどく悪い。
途方に暮れている時、たまたま目に入ったのが、今回印刷用に買い求めた用紙が入っていた箱。蓋もあって、蓋を底に敷けば強度も上がる。試してみるとこれ以上ないものに出来上がった。
年ごとに分けて並べてある。
明日が応募の締切日。
明朝公民館に運び込む予定でいる。
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| 2026年2月25日(水) ラベル225 |
| 私の履歴書 スイスBUHLER社でのAlDC技術研修 その6 |
私の履歴書シリーズその32である。
これまで何回かにわたって、スイスBUHLER社でのアルミダイカスト生産技術習得の様子を記述してきた。
前回は こちら→(2026/2/23)
これらの経緯を経て、BUHLER社での研修の最後の日を迎える。
研修の最後は5月16日であった。
メモによれば、
当日は、研修の責任者であるMr.BailがWilの街の郊外にあるレストランで昼食会を開いてくれたとある。出席者は我々4名の他に、商社で時々は通訳も務めてくれた吉富氏、それに、BUHLER社で講師役を務めてくれたスタッフが2名とある。
スタッフの中のMr.Hollensteinは、昼食会後も宿泊先のホテルまで同行し、ビールを一緒に飲んだとの記載もあった。
よく17日はチューリッヒ空港を飛び立ってスイスを離れることになるのだが、そのまま日本に向かったのは、わたし以外の3人で、私は一人アメリカに向かうことになる。
アメリカで開催されるILZRO (International Led & Zinc Research Organization;国際鉛亜鉛需要研究会)主催のセミナーに参加するためで、このことはスイスに向かう出発前から決まってはいたのだが、具体的な日程を含めての調整が未確定の部分があり、スイスに居る間に、事業部や本店と連絡を取りつつ計画を進めていたものである。
調整を進める連絡書の一例が残っていた。
チューリッヒ空港では、レストランに入り、ビールで別れの盃。
3人はJALで北回りのモスクワ経由で日本に向かう。
一方私は、TWAで13時半離陸、17時頃(アメリカ時間)ニューヨーク・ケネディ空港に到着した。
アメリカ滞在中の出来事は次回以降に記述するつもりであるが、そのアメリカから日本に帰国したのち書いたとされる、スイスBUHLER社宛てに送ったお礼の手紙の原稿が残っていた。
本文はタイプで打ち直しして送ったと思われるが、本文の方は残っていなかった。
この3週間余にわたるスイスでの研修は、私にとっては初めての海外体験であり、記憶に残る部分も多い。
スイスに同行した3人のうち
K・Kさんは、2019年6月に鬼籍に入り、 こちら→(2019/6/23)
残る2人とは、長年年賀状のやりとりをしていたが、今はその年賀状の交信も途絶え、消息も不明のままである。
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| 2026年2月24日(火) |
| 二日続けて鍋 |
Mの仕事の関係で、昨日と今日の2日続けてKが夕食当番である。
昨日は端から鍋を作るつもりでことにあたり、そのまま美味しくいただいて当番業務を終了した。
そして今日である。2日続けて鍋はいかがなものかと思い、当初は別のメニューを探して、一応心づもりはしていた。
さて今日の夕方、夕食作りを始めようと台所に立ったのだが、先に心づもりをしていたメニューを見直すと、どうも手間がかかりそう。しかも、作った料理に対しての食指も動きそうにない。
冷蔵庫周りを見ると、鍋にする格好の材料が目に入った。
まあいいか、2日続くことになるが“今夜も鍋にしよう”と相成ったわけである。
今日作った鍋は、藤井恵さんのレシピ本「そうだ、今日も鍋にしよう!」に載っている「長ネギ 豚しゃぶ」。
我が家では登場頻度の高い鍋で、小欄でも何度か紹介している。 例えば こちら→(2025/1/20)
しかしここで紹介するのは、今日の鍋ではなく昨日作った鍋のほう。
何を作ったかと言うと「鰤しゃぶ」である。
Mが、先般息子が帰省したおり馳走しようと、江川沿いの魚屋に頼んで手に入れた、鰤である。
そのときはMが鰤しゃぶを作って息子と一緒に食べたのだが、その時の鰤が残っていて、その鰤を使って再び鰤しゃぶにしたというわけである。
これまでに正月など何度か作った鍋ではあるが、私が参考にするレシピは次である。
こちら→
今回もこのレシピを参考にした。
できは上々である。
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| 2026年2月23日(月) ラベル223 |
| 私の履歴書 スイスBUHLER社でのAlDC技術研修 その5 |
前回から少し間が開いたが、私の履歴書シリーズその31である。前回は こちら→(2026/2/16)
今回は、BUHLER社での研修中に休日を利用してスイス国内お旅行した様子についてまとめて記述する。
今回の研修中、
休日は土日の他に5月1日がメーデーで休み、さらに5月8日は国の祝日でこれも休みとなり、休みは8日間あった。
その休みを利用して外に出かけたのは回数で4回、日数で5日となり、残る休日はホテルで報告書などをまとめている。
出かけた場所と日にちをまとめて示すと次である。
最初は4月27日の日曜日。
午前中はSantisという、2504mの山にケーブルカーを利用して登っている。
ケーブルカーに乗っている時間は25分。頂上に10時半ごろ着き、頂上のレストランで昼食を取って再びケーブルカーで麓に下りている。
ふもとの町Apenzellで、偶然にLands Gemeindeという祭りに出逢う。
スイスでは有名な祭りらしいが、この時珍しい人(写真下段中で、髭を生やした人)に出会っていて、そのことは別の項で以前記述していて、ここでは割愛する。 こちら→
次が5月1日のメーデー。チューリッヒに出かけている。
会社宛の近況報告の中に、この日のことを記述していて、その内容をそのまま再掲すれば、次であった。
「この日はメーデーで休日。午前中はホテルで整理。午後チューリッヒの街に出掛けましたが、店はすべて閉まっており、ウィンドウショッピングのみ。日本人を時々見かけます」
次が5月3日から4日の土日、一泊泊まりでアルプスを見に出かけている。
先の近況報告には次のように記していた。
「連休で外に出られるのはこのときしかないだろうと、アルプスに出かける計画を立て。昨日BUHLER社でその話をしたら、切符の手続きやらホテルの予約をしてくれ、勇んで夜の明けるのを待ったら曇り。しかしせっかく切符やホテルの予約もしてあるし、またキャンセルするほどのドイツ語の語学力もないし、なんとかなるだろうと出発したら、アルプスのふもとまで来ると雨。それでもとアルプスの中腹まで行くと今度は雪で何も見えず散々でした。4日は晴れるだろうとアルプスの麓のホテルで止まり夜の明けるのを待ちましたが4日もやはり雨。やむなくベルンの街等を見て引き上げこの手紙を書いているところです。」
別のメモによれば、3日の朝7時Uzwilを鉄道で出発し、アルプスの麓のクライネシャイデックという駅には13時半過ぎに着いている。結構長旅であった様子。
また、雨や雪で見ることができなかったが、訪ねたアルプスの中腹ではアイガー北壁が見られたはずで、悪天候は誠に口惜しいことであった。
最後が、5月10日土曜日に出かけた買い物。場所はUzwillの街だからほど近い、サンクト・ガレンである。
この時の写真はない。
メモに記載があってそのまま記述すると次であった。
「買い物ができるチャンスは今日ばかりとSt.Gallenにみんなで出かける。かなりの人出であった。
買い物はすべて土曜日に済ませておくようだ。Wichen Waldと言う鳥専門の店で昼食する。
買ったものは、チョコレート、ハンカチ、パイプ」とある。
私の記憶では、自分の土産にオメガの時計を買ったのだが、この日に買ったものと思いこんでいた。
ただしその記述が出てこない。
理由がわからず困っていたら、時計は別の日に買い求めていた。
時計を買ったのは5月6日のことで、このことがわかったのは、別用で探した小欄記事である。
こちら→(2021/5/26)
自分用に買い求めたオメガの時計については、上記記事に詳しく載せているのでここでは割愛する。
と、少しばかり冗長すぎる記述となったが、4人で外出した経過を述べると以上のようなことになる。
本日はここまで。
続きは次回とする。
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| 2026年2月22日(日) |
| 春の兆し、オオイヌノフグリ |
ここのところは、比較的順調に日課であるウォーキングをこなしている。
それも目の怪我以来短くしていたミドルコースでなく、以前の長さに戻したレギュラーコスである。
こちら→(2025/2/14)
そのコースで比較的初期段階にあたる「別棟」を横切る場所にあって、今年最初の春の兆しを見つけた。
「オオイヌノフグリ」である。
昨日もウォーキングを行って、この場所を通っていて、気が付いていないから、おそらく今日初めて咲いたものと思われる。
これまでに咲いた時期を小欄で確認してみると、昨年が、ひどく遅く咲いたと前置きをして3月23日に咲いたと載せている。 こちら→(2025/3/23)
同記事によればその前年の2024年は2月13日とある。
今年はそれらの中間値にあたる。
ウォーキング中、他の場所でも咲いていないか、若干注意を払いつつ歩いてみたが、他の場所では気づかなかった。
このオオイヌノフグリは、どこにでも咲く野草で、ウォーキング中道路の両側のあちこちで見られる。もう数日経てばその状態になるのであろう。
いよいよ春が近づいてきた様子である。
今年の「春の兆し第一号」を見つけて、気持ちが浮き立つような爽快感を覚えた。
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| 2026年2月21日(土) |
| 山水、復旧せず |
今冬最大の積雪があった8日、9日でも、細りながらも出続けていた山水が、
その後一両日おいて完全に停止した。
その雪も溶けてきたので、山水を復旧させようと試みたがうまく開通しなかったと言う話である。
たまたま、正月に帰らなかった息子が、大阪に出張がありこの機を捉えてただいま帰省している。
山水の復旧手順を息子に見せておくのも好都合と思われ、息子と一緒に作業をすることにした。今日の午後である。
朝方は冷えたが、作業を始めた午後は気温も大分上がっている。
道具一式を揃え、下の方から復旧手順を説明しつつ取水口に近づくと、取水口近くの接続部が外れていた。
開通だけならこのはずれた部分をつなげば作業は終わりであるが、せっかく息子と一緒に来たので、取水口付近の清掃も簡単に行う。作業そのものは大半息子がやってくれた。
途中確認のためわざと外した接続部があるので、それを上から順次接続して家に戻れば山水は開通して出ているはずである。
ところが家に戻り放水口を確認すると水が出ていない。
どこか接続部が外れていると思われ、戻って確認すると裏庭に近い接続部でホースがはずれていた。
それをつなぎ、今度は出ているだろうと家に戻ると、またもや出ていない。再度戻ると、やはり裏庭に近い別の個所でホースが外れていた。
それを繰り返すことさらに1・2度。それでも山水は出ないのである。
その時息子が発言した。「ホース内が凍っているのではないの?」と言う。
迂闊にも「凍結」のことをすっかり忘れていた。
この1週間程度気温は低い。
納屋の裏で雪ずりの下をホースが通る部分があり、上に溜まったゆきずりが断熱材の役目をして、この部分のホース内の氷が解けないのである。
最早今日の山水復旧は無理と判断した。
そして、普段なかなか体験できない復旧訓練の場にもなった、と山水が復旧しなかったモヤモヤした気分を抑えることにした。
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| 2026年2月20日(金) |
| 雪が消える |
昨日は雨水。
今年の2月8日と9日にかけて降った今冬最大の積雪50Cmの雪も大半消えてきた。
県道から見える四反田山を背景にした我が家方向を撮った写真である。
撮り忘れる日もあるが、ウォーキングに出たおり取るようにしている、定点2ヶ所のうちの1ヶ所の写真。 およそ10日間をかけて、日陰を除いては、大方の雪が消えてきた。
今冬の雪も、これをもってわりと思われる。
次の二十四節気は3月9日の啓蟄。
その頃には、我々も“冬籠り”を終えてぼちぼち外に出ることになる。
冬籠り中に行おうと予定していた作業も、まだかなり残っている。
いろんな意味で、だんだん気ぜわしくなってきた。
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| 2026年2月18日(水) |
| またしても一汁二菜 |
立春を過ぎたとは言え、まだ冬篭りの最中。外に出るのはせいぜいウォーキング程度で、小欄で取り上げる話題が見つからない。
致し方なく窮余の策である、一汁二菜と相成った。
今日のメニューは、塩鯖のさっぱり揚げ、だし昆布の再利用で昆布の佃煮、そして味噌汁というものである。
ただいま我が家に備蓄中の塩鯖は、少々塩がきつめのため、本番料理の前に塩抜きという工程を入れたり、また昆布の佃煮の場合、煮込む時間が2時間程度かかり、両者とも材料原価はあまり高くはないものの、時間はかかるという特徴があるメニューである。
したがって本番の料理は午後4時から始めたが、準備は午後の一時過ぎからはじめている。
まず塩サバのさっぱり揚げ。
前工程になる塩抜きは次のレシピに従った。 こちら→
このレシピには、塩水で塩抜きする方法と、酒とみりんで塩抜きする方法の二通りが載っているが、今回は酒とみりんの方法を採用した。このレシピでは冷蔵庫で一晩置くとあるが、今日は室温で3時間。それでも塩はかなり抜けていた。
次に本番の工程、さっぱり揚げのレシピは次である。
こちら→ こちらの工程は、難しくはない。
塩抜きしたサバを水気を取って適当サイズに切り分け、片栗粉を薄く表面にまぶしてのち油で揚げる。ほどよく焦げ目がついたときに醤油、ミリンを中心にしたタレをかけて味付けすると言うものである。
次が、だし昆布の再利用である昆布の佃煮。
我が家では、だしをとった後の昆布を皿に取り、水気が少なくなったころを見計らってビニール袋に入れて冷凍保存する。冷凍保存する袋は一つ。
その袋の中の昆布が満杯になった頃に、これを取り出して佃煮にして食べるという、定番メニューである。
いつの頃からか、佃煮にする役目はKになっていて、袋が膨らんでくると、自発的であったりMから声が掛ったりなどして料理に向かうということになる。
参考にするレシピは次である。 こちら→
今回は干しシイタケの代わりに、さつま揚げの賞味期限切れが少し残っていてこれを使った。
こちらも昆布を水に戻したのち、小さく切り分け、あとは調味料を入れて煮ると言うレシピで難しいところはほとんどない。
ただし煮込む時間はかなり要る。
水と酢で煮る時間が30分。その後調味料を入れて煮る時間が1時間。
さらに私の18番であるが、煮物を作るとき行うのは、一度煮上がった段階で火を止めて冷ます。
味を染み込ませるためである。
この時味見をして、不足の調味料があれば付け足し、さらに火にかけて2・30分煮て仕上げる、という工程を取る。
この工程を追加することで、煮物の味が格段に上がる、と私は思いこんでいる。
最後の汁は、朝食にMが作った味噌汁の残り。アレンジして再利用した。
これで一汁二菜である。
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| 2026年2月17日(火) ラベル217 |
| 二つのイベント |
普段、寝食を除いて、今日必ずこれをしなければならないと言うイベントは少ない中にあって、今日は、必ずしなければならないと言うイベントが二つも重なった。
内訳は
一つが左目の眼科検診。もう一つが地域公民館で開催される昨年の確定申告の申告手続きである。
最初が眼科検診。10時の予約であったのでまずこれを行った。
前回行ったのは約一ヶ月前 こちら→(2026/1/23)
今回が22回目の検診になる。
いつも通りMの運転で9時前に我が家を出発、10時前にクリニックに到着した。
検査があって医者の検診となる。
ものが二重に見える対策としての手術日程が示されるのかな、と内心は思っていたが、医者の発言は「状況が完全に落ち着いていないと思われるので、もう少し様子を見ましょう」と言うことになった。
以前は検診間隔が2週間に1回であったが、今回からその間隔が一ヶ月に伸び、しかも目薬は以前5種類であったものが3種類(日に4回は変わらず)まで減り、様子見でも普段の生活の負担は少ない。
様子見で良いかと内心納得して戻ってきた。
次が確定申告。
クリニックから戻ったのち簡単に昼食を済ませ、公民館へは14時過ぎに向かった。
当地に越してきた当時は、ネットを使って自己申告をしていたが、手続きにほぼ終日かかる。一方役場が主催する、地域それぞれでの公民館の申告手続きは、必要書類を揃えて出向けば、待つ時間は別として、手続き時間は1時間からず終了する。
近年はこの役場主催の申告手続きを利用するよう方針を変えている。 こちら→(2024/2/19)
この場合近年は午前中、しかもほぼ開始直後を狙っているのだが、今日はそうはいかず午後からの参加。混み具合がわからず午後2時過ぎに到着したが、待っている人は一名のみ。その人もすぐに呼ばれて、待つのは私一人という状態になった。
そして待つこと10分あまり。手続きとなった。 待ち時間だけを考えれば、午前中行くより、午後の方が待ち時間は少ないようである。
来年以降どうするか、今のところ考えは定まっていない。
ともかく、そんなこんなの2大イベントをこなすという一日となった。
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| 2026年2月16日(月) ラベル216 |
| 私の履歴書 スイスBUHLER社でのAlDC技術研修 その4 |
私の履歴書シリーズその30である。 前回は こちら→(2026/2/13)
前回記事の中で「報告書」が残っているとした。
その中の3番目に、「スイス見聞記」なるものがあって、出張時のスイスの国情について見聞きしたものを載せている。
今読み返してみるとなかなか面白い。
約3週間という限られた時間の中で、しかも本業は別のところにあり、かつ外国語(英語)で語るわけであるが、そのような条件下で集めたものにしては良くできていると思われる。
感光祇にコピーされたものを再掲するわけで、読みづらい個所も多々あるが、ここに載せてみることにした。
(写真をクリックし、拡大してご覧いただきたい)
項目のみ示せば
1枚目は
(1)人口、(2)背、顔つき、(3)気質、(4)言葉、(5)給料と物価、(6)自治体の構成(7)社会保障制度、(8)教育制度、
2枚目は
(9)風土、(10)人口密度、(11)住宅事情(12)国防、(13)交通機関、(14)自家用車、
3枚目は
(15)通貨、(16)店、(17)ホテルウツビルについて(18)食事、
4枚目は
(19)スポーツ、(20)休日の過ごし方、(21)保守性、(22)スイス人の日本観
となる。
記事中(17)にホテルウツビルに関して記載しているが、関連する写真は次である。
そのホテルウツビルが現在でも残っているのか、Googleのストリートビューで探してみたら、外観はかなり変わっているが、一部昔の面影を残しているところも見られ(写真赤枠個所)、現在でも同じ場所で営業しているものと確認できた。
項目(19)にスポーツとしてケーゲルと言うものに触れているが、その写真は次である。
研修中の終盤に送別の意味をこめて食事とケーゲルを楽しむ会を開催してくれた。その時の写真である。
今回はここまで。
後は次回にに回す。
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| 2026年2月15日(日) |
| 銭宝 冬季オリンピック |
ただいまイタリアで冬季オリンピックが開催中であるが、わが銭宝地区でも、同じく冬季オリンピックが開催された。
イタリアの方は4年に1回の開催であるが、当地の場合は、毎年開催され、昨年も開催されている。
こちら→(2025/2/9)
競技は、今年は6種類。
・縄ない競争
・ピンポン玉のスプーンリレー
・コップでの水汲み競争
・風船入れ
・カード裏返し競争
・モルック
後半3種目が新規であった。
今年も集落対抗の団体戦で、1競技5名とか10名の招集がされる。
競技に参加できるメンバーが少なく、Kは6競技のうち3回、Mは6競技のうち5回出場をした。
さてその成績である。八色石チームは残念ながら3位の銅メダル。
景品をいただいて昼前には帰宅した。
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| 2026年2月14日(土) ラベル214 |
| ウォーキングコースを元に戻す |
一昨日記載した邑智病院での3ヶ月検診時、 こちら→(2026/2/12)
医者に「運動不足かも」と指摘され、目の怪我以降短くしていたウォーキングコースを元に戻したという話である。
実行し始めたのは、実は昨日からで、従って掲載の写真は昨日撮影したものである。
私のウォーキングコースは、家を出てから県道に出て、その後保養館の前を通り、反時計回りで県道を歩いて家に戻ると言うコースなのだが、保養館を過ぎたところの判断で、短くした“ミドルコース”と従来の“レギュラーコース”のどちらにするかが分かれることになる。
保養感を過ぎたところで集落を縦断する川に出会う。
川には橋がかかっていて、その橋をそのまま渡り、県道に設置されたカーブミラーのある場所で左折して戻るのが”ミドルコース”である(写真左、下段)。
一方、橋を渡らず川沿いに設置された農道を川に沿って遡り、小さな祠の立つ場所まで行って、Uターンして戻ると言うのが”レギュラーコース”である(写真左、上段)。
このコースは、以後八色石集落の繁華街を通りぬけ、カーブミラーの場所まで戻り、以降はミドルコースと同じコース上を歩くことになる。
両者の違いは歩く時間にして、ミドルコースが40分程度、レギュラーコースが60分程度、の違いがある。
昨日は気温も暖かい日であったが、バックミラーのあるところまで戻ると、暑いほどになる。上に着ていたコートを腰に巻いて写真を撮った。 距離を長くした効果が早くも現れた気がしたのであった。
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| 2026年2月13日(金) ラベル213 |
| 私の履歴書 スイスBUHLER社でのAlDC技術研修 その3 |
私の履歴書シリーズその29である。 前回は こちら→(2026/2/10)
昭和50年4月24日、スイスBUHLER社における実習が始まることになった。
メモには、Mr.Luthi氏がホテルまで迎えに来てくれ、BUHLER社まで車で行き簡単なBUHLER社の紹介と人の紹介
Mr.J.Hollensein(機械設備部門マネージャー)
Mr.E.R.Keil(金型設計部門マネージャー)
Mr.Schoch(金型設計員)
の紹介を受ける。
とある。
この写真は、Mr.Luthiが、最初に工場を案内してくれた時撮ったもので、以後これ以外にBUHLER社を撮影した写真は他にない。
社内でも、我々が写真を撮ることは許されず、そういう類の写真もない。そういう意味では情報管理はかなり厳しく制限されていた。
さて、本論になるが
実習は4月24日に始まり5月の16日に終えるという23日間にわたるものであったが、この間の経緯をまとめた報告書が残っている。
帰国後手分けをして書いたもので、総枚数は124ページに上る。
報告書の冒頭には、23日間にわたる実習日程結果を記載している。
結果を示せば上図になるが、感光紙にコピーしたもので劣化が進み読み取りにくい。
概要をまとめれば次のような結果になった。休日は土日の他に5月1日がメーデーで休み、さらに5月8日は国の祝日でこれも休みとなり、休みは8日間に上る。
残る15日間が実習日になるのだが、そのうち4月29日と5月6日は、BUHLER社のWinKeln鋳造工場の見学を行なっていて、実際の実習そのものは13日間であった。
講師は、冒頭紹介された4氏が任に当たっている。
実習期間中に受けた技術内容の詳細をここに記載してもあまり意味がなく割愛するが、報告書の中に“緒言”と称して実習時に受けた感想を述べている。
BUHLER社に赴いた4名のものの思いを記述していて、ここに紹介してみる
ともかく、BUHLER社で得られた知識と経験が、これまでは亜鉛ダイカストの技術しかなかったダイカスト事業部において、アルミダイカスト技術の起点となるものであって、今後これをベースにしてアルミダイカスト事業へ邁進することになる。
一方私自身にとっても、これまでは亜鉛ダイカストに関わる研究と言うのが主務であったが、これを機にアルミダイカスト生産技術確立の責任者としの任に当たることになり、会社生活の内容も一変することになった。
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| 2026年2月12日(木) ラベル212 |
| 邑智病院の定期検診 |
邑智病院での3ヶ月ごと定期健診に行ってきた。
前回は こちら→(2025/11/20)
ここのところ1年以上かけて旧病棟から新病棟へ業務の移管中で こちら→(2024/12/12)
ここ一年は、新病棟の仮の入り口とおもわれる、建物の横サイドから病院内に入っていたのだが、今日行ってみると、建物の正面に正規の入り口が完成していて、そこからの入りとなった。
景観を整える植木も移植済みで、どうやら新病棟の建設も完成したと思われる。
さて検診の本番、検査結果である。
最初は、GPT。
ここ3回続けて規制値内に収まっていたのであるが、ここにきて高めにオーバーした。
但し医者の言う「1.0までは大丈夫」の発言に従うと、今のところはまだ問題は少ない。
医者が少しばかり問題意識を呈したのが、HbA1c。
医者が言うには、「運動不足と思われるので、できるだけ運動をしましょう」との助言であった。
確かに目を怪我して以降は、運動不足は明らか。
とりあえずはウォークキング。
怪我して以降、若干の横着もあって、“ミドルコース”でことを済ませていたが、これを“レギュラーコース”に戻そうかと思い始めている。
もう一つ、医者には言えない腹案もある。 それは糖質を含まない缶ビールを飲むという、笑止千万な案である。
こちら→(2024/10/1)
以後そのまま続けていたのであるが、昨年目を怪我して以降は近郊のドラッグストアーに行くのをやめ近くのスーパーで缶ビール(第三)を購入するようになって、そのスーパーには糖質ゼロの品を売っていない。
それを良い事に、常時普通のビールを飲むようになっていて、これをまた戻してみようかと思ったのである。
その入手方法。アマゾンを調べてみた。
アサヒビールの、例のサイバー攻撃トラブル以降販売量が減少していて、アマゾンで販売しているか心配しながら開けてみたのであるが、有り難い事に売っていた。
しかも、常用スーパーよりも値段が安価。
早速発注をかけた。14日には届くという。
3ヶ月先の定期検査結果が興味深い。
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| 2026年2月11日(水) |
| またしても一汁二菜 |
ネタ切れ時の窮余の一策、またしても一汁二菜である。
今日は夕食当番、今日予定していたメニューの一つが、塩鯖の竜田揚げであった。
ただこのメニュー少し以前に小欄で取り上げた気がして探してみると1月24日に載せていた。
こちら→(2026/1/24)
二ヶ月以上離れているならまだしも、2週間前のメニューを載せるのは気が引ける。
したがって別のメニュー、一昨日の夕食当番時に調理したメニューでお茶を濁すことにする。
一昨日のメニューが次。
”菜”の主菜はこんにゃくの刺身。
こんにゃく自体は地元の人が作ったものをMが購入していて、それを湯がいて冷まし、薄めに切った。 問題はつけダレ。
わさびに醤油は良いとして、もう1種類味噌ダレくらいはほしい。ネットで探しあてたのが次である。
こちら→ 初めて挑戦した味噌だれであるが、結果はなかなか良い。Mにも好評であった。
二菜目が、野菜の煮物。
白菜と大根が近くにあったのでこれを活用した煮物である。
似たような煮物のレシピはいくつか所有済みであるが、今回は鳥のひき肉を入れようとして新しいレシピを探してきた。
こちら→ この出来上がりもかなり上々。
私には好みの味であった。
“汁”は我流。 粉末だしと我流の調味料で汁のもとを作り、ワカメとネギと解き玉子を入れたもの。
毎度作る汁で新鮮味は無いが、味は良い。
汁のネタに困ったときはこれになる。救いの神の汁である。
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| 2026年2月10日(火) ラベル210 |
| 私の履歴書 スイスBUHLER社でのAlDC技術研修 その2 |
私の履歴書シリーズその28である。 前回は こちら→(2026/2/7)
昭和50年4月22日、我々4人はスイスに向かうことになった。
当時海外旅行はかなり普及してきたとは言え、まだまだ珍しい時代。
出発にあたっては家族や、会社の上司が空港まで見送りに集まる時代で、当時住んでいた川崎のアパートまで会社の車が迎えに来て、羽田空港まで送迎をしてくれた。出発は午後の便なので、メモによると、自宅発11時とある。
免税店にてウイスキーの「オールド」3本、タバコ3ケース購入したともメモに残っていた。
飛行機はJALでなく、SWISSAIR-SR307便。羽田空港15時20分発であった。
この便は南周り、給油のため途中数ヶ所の空港に立ち寄った。
着 発
羽田 15:20
香港 19:23 20:37 ・・・ 空港ロビーに出る
バンコック 22:55 24:10 ・・・ 同上
カラチ 04:45 05:25 ・・・ 機内待機
アテネ 11:02 11:55 ・・・ 機内待機
チューリッヒ 14:10(現地時間、06:10)
(特記以外は日本時間)
およそ23時間に及ぶ長旅であった。 メモによれば、この間に、食事が6回、飲み物は4回出たとも記載している。
余談だが、同じ飛行機に女優の松坂慶子さんが乗っていて、この出来事を別の稿に記載している。
こちら→ スイスのチューリッヒ空港についたのは、イギリス時間の4月23日朝6時10分である。
空港には、ダイカストマシンを購入するための商社の駐在員とスイス人の運転手が出迎えに来てくれていた。
少し立ち話をして、車にてすぐに目的地に向かう。メモには120〜140q/hrの猛スピードで飛ばし、目的のホテルには8時前に到着したとある。
向かった先はUzwilというスイスの北東部に位置する小さな町であった。
このUzwilの中に、宿泊した「HOTEL Uzwil」も目的の会社である「BUHLER社」も、わずかの距離を隔てて併存する。
ホテルでは、到着が早すぎると言うことでまだ部屋の準備ができておらず、レストランにてお茶などして休憩していたら、そのうちBUHLER社の研修担当者がホテルに来て、明日以降の実習の打ち合わせをしたりなどする。
午後は、疲れていても昼間は寝ない方が時差ボケを解消するには良いと言われ、4人でUzwilの街を散策した。
少し横道に逸れるが、このスイス出張中、会社の上司宛「近況報告」を3通発信しているが、その記述の中に、この時の散策の様子を簡単に記述していて、転載すると次のように記載していた。
“静かなゆったりと落ち着いた街です。
国安部長が来られた時に比べ随分変わっているようですが(ホテルUzwilも新築、スーパーマーケと2軒ありetc)少し歩けば広々とした畑がありいかにもスイス的という感じです。“
以下次回に回す。
次回は研修内容に触れる予定。
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| 2026年2月9日(月) |
| 衆院選、NHK予測値の正確度 |
小欄では、政治絡みの話題は極力のせないようにしているが、今回の話題は、政治絡みに見えはするがそうではなく、NHKが示した選挙予測の正確度について触れてみたものである。
今回の衆院選結果は、誰もが予測し得ないような、自民党圧勝という思いがけない結果に終わったのだが、にもかかわらず、NHKが昨夜8時から放送した選挙速報は、見事にその変化を予測していた。
上の写真において、上部に配置している写真は、昨夜午後8時から放送を始めたNHKの衆院選開票速報を伝える画面であり、中段左には、その時示されたNHKの議席獲得予測値を載せている。
また中段右に示した写真は、今朝の6時の時点で確定した各党の獲得議席数を載せている(未確定の議席が一票残っている時点)NHKOneの画像)。
その数値の部分のみを拡大して上下に並べ、比較したものが下段の写真である。
上下で各党の「予測」と「獲得数」を比較してみると、1件(党)たりとも外れた個所がない。 まことに見事な結果である。
おそらく他の民放や新聞各社の結果も同様であったと思われる。
日本のマスメディアの正確度を示すものである。
SNSが世情を騒がせている時期ではあるが、やはり従来からのマスメディアの存在は、SHSでは代わり得ない、貴重な存在と言わざるを得ない。
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| 2026年2月8日(日) |
| 衆院選投票は雪の中 |
数日前から、衆院選投票日の今日は、山陰地方の山沿いは大雪と報じられていたのだが、大したことはなかろうと高をくくって今日を迎えた。
昨夜、気配でかなり降っていると感じてはいたが、夜が明け外を見ると思いのほか大雪。40Cm近くはある。
期日前投票をすませておけばよかったと若干悔やんだが、もはや致し方ない。Mと一緒に衆院選の投票に行くことにした。
Kの車は裏納屋の駐車場に置いてあり、この雪では出せない。県道沿い車庫に止めておいたMの車で行くことにする。
家を出たのは朝の8時半すぎ。幸、雪は上がり時々は日も差す天気。
県道沿いの車庫までは歩いて出るのだが、この大雪で、向かう小道には、轍の跡も人の踏み跡も何もない。まっさら。これはこれで気持ちのよいものであった。
投票所である公民館に着いたのは9時頃であった。
中に入り、受付の係員に「何番目?」と尋ねると、「2番目」との答えが帰ってきた。
投票所にいる係りの人は大方顔見知りの人ばかり。投票終え、出る折り、「投票所の様子を写真にしてはダメだよね」と尋ねると、若干間があいてだが「投票人の姿が写らないなければ撮影はOKですよ」との答えがある。
後続の投票人が投票を済ませたあと、写真を撮ってその場を出た。
帰り道も晴れ模様。
今日はこのまま晴れになるのかなと思っていたら、大違いであった。
一転して大荒れ。
夕方の積雪は50Cmを超える程になった。
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| 2026年2月7日(土) ラベル207 |
| 私の履歴書 スイスBUHLER社でのAlDC技術研修 その1 |
私の履歴書シリーズその27である。 前回は こちら→(2025/7/4)
昨年7月16日に左目を怪我し、手術等あり、1ヶ月にわたる安静を要請されることなどあって、長期間本シリーズを中断していた。
未だ目の治療は完全に終了したわけではないが、いつまでも放置しておくわけにも行かないと思われ、シリーズの再開を思い立ったわけである。
さて本題である。
前回記事の末尾に記載しているが、亜鉛ダイカストの将来性に疑問を抱き、新しい事業を検討する動きが始まっていた、と記述した。
新事業とは、アルミダイカスト部門への進出である。
昭和49年のうちに、2台のアルミダイカストマシンの購入手続きが、すでに進められていた。
1台が東芝機械製の型締力800T、そしてスイス、BUHLER社製660Tの2台である。
当時BUHLER社製のダイカストマシンは、世界で最も優れた性能を持っているとされ、アルミダイカストとしては後発の三井金属にあって、“フラグシップマシン”の役も果たす意味合いを持ち発注されたものであった。
今回の記述にあたって資料を調べていたら、当時の発注価格が残っていた。
東芝機械製が48,000千円、
BUHLER社製が72,037千円となっている。
BUHLER社との契約の中には、マシン本体の価格以外に、BUHLER社の持つ製造技術全般を三井金属に供与するという内容も含まれていたのだが、それにしても大きな格差がある。
BUHLER社の当時の自信のほどが伺える。
私がこの新しい動きであるアルミダイカスト事業への進出という動きを承知したのは、昭和50年(1975年)の1月と思われる。
先に述べたBUHLER社から三井金属へ供与される製造技術の受取人の一人として選ばれたのであった。
受取人は合計4名。ダイカスト事業部から3名、三井金属の100%子会社であるアルミダイカストの専門メーカー田中ダイガストから1名の4名である。
今後の説明の便宜上4名を紹介する。
K(私)、(31歳);チーム責任者、渉外係、ダイカストマシンの構造、ほか
F・Hさん(37歳?);金型設計、見積基準、ほか
K・Kさん(36歳?);鋳造技術、溶湯管理、ほか
I・Kさん(28歳?、田中ダイカスト所属);金型設計、ダイカストマシンの構造、ほか
の4名であった。
BUHLER社での実習分担表が残っていた。実際はこの計画表通りにはゆかなかったが、各人分担の大まかな概要はこれで読み取れる。
BUHLER社と言うのは、スイスにある会社で、ダイカストマシンを製造する一方、ダイカスト製品の生産も行うという、ダイカストの総合メーカーである。
我々4名はそのBUHLER社に海外出張の形で出張し、アルミダイカストの製造技術全般を現地で習得し持ち帰る、という役目を担うことになったのであった。
出張の期間は、昭和50年4月下旬から5月中旬までのおよそ3週間。
その間数日は、間に入る商社の駐在員が通訳の形で応援に入るが、それ以外の日は、BUHLER社のスタッフと我々との間は英語で意思伝達をすることになる。
我々の英語会話力を不安視した会社は、事前準備として我々を英会話スクールに通わせてくれている。
先日整理した資料の中に、こちら→(2026/2/1)
この事実を示す資料が出てきた。
スイスでの実習期間中にメモ書き用に使用した手帳の冒頭に、「英会話実習、1月13日〜3月28日 国際語学センター」の記載がある。
通ったのは週に2回程度であったと記憶するが、渋谷にある英会話スクールに、会社の費用で通わせてくれたのであった。
ともかく、かくの如き事前経緯をへて、我々はスイスに向かうことになった。
スイスに向け羽田を出発したのは、昭和50年4月22日のことである。
以下次回に回す。
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| 2026年2月6日(金) |
| 本日休刊 |
7日朝3時半ごろ起床し、小欄を記述しようかと考えましたが、たまたま冬のオリンピック、ミラノ・コルティナ2026の開会式が放送される時間が迫っています。
小欄の記載をあきらめ、開会式の放送を見ることにしました。
この種の放送は、録画で見ても価値が少ないもので、ライブ放送で見るから面白いのです。
そんな次第で本日は休刊とします。
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| 2026年2月5日(木) |
| 2025年撮影写真を外付けHDDに保管 |
毎年、新年に行っている作業で、普段は1月中に終えるのだが、今年は2月に入ってしまった。
旧年中に撮り終えた写真全てを外付けHDDに保管するという作業である。
このHDDには2001年から、我が家で撮影したデジタル写真のすべてを、年別に分けて保管していて、従って、このHDDを開けば、我が家のデジタル写真全てを見ることができる。
かつては、デジタル写真は一眼レフで撮影したものが中心であったが、近年はそれが携帯(スマホ)に代わり、昨年は、一眼レフでは全く撮影されず、保管した映像はKとMの携帯写真のみであった。
上の写真がそのフォルダ構造を示したものである、年度のみ示してあるのが一眼レフデータを収める形式になっている。携帯写真はK撮影とM撮影を分けた形にしている。
年度の中の構造は、2ヶ月ごとにフォルダを作り、2ヶ月単位で写真を収める形式にしている。
デジタル写真をHDDに移すというには、上記に示した写真データの一括保存という意味合いのほかに、もう一つ別の目的がある。 スマホ写真の保存に関わる話である。
我が家ではKもMも、撮影したデータはスマホのメモリに保存せず、Googleフォトに保存する形を取っている。
したがって、いくら写真をとっても、スマホのメモリを消費するという事態は起きない。
一方、別の制約があって、それはGoogleフォトの使用料金に関するものであるが、Googleフォトの無料の使用範囲はデータ量として15GBまでである。15B以上データを保存しようとすると有料になる。
ざっとした値であるが、KもMも15GBに収まる写真のデータはおよそ2年分である。
15GBを超えそうになってくると、およそ2年くらい前のデータから古い順に消去し、15GB以内に収めるという形をとるのである。
したがって、Googleフォトに保管された写真データはいずれ消去される運命にあり、なくなる前に保存しておこうという、窮余の策という意味合いもある。
Googleフォトに保管した写真データをHDDに保管する操作は次のようになる。
2ヶ月分にわたる写真データを範囲指定し、ダウンロードを行う。
かつては一度にダウンロードできる写真枚数には制限があって、上限は500枚であったが、今回はそれがなくなり900枚程度でも一度にダウンロードすることができた。 ダウンロード時間は、大雑把な値であるが、100枚ダウンロードするのにおよそ1分である。
ダウンロードされたデータを外付けHDDに保管すれば手順としては完了となる。
年に一度の作業で不慣れもあり、KとMのデータをHDDに保管するのにおよそ3時間を要した。
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| 2026年2月4日(水) |
| 映画 「赤ひげ」 |
1月31日であるから、少し以前の話になるが、NHKBSで映画「赤ひげ」を放送するとなっていた。
予約録画をかけて、録音をすましたのである。
この「赤ひげ」は、Kの好みの順位で、邦画部門では第1位になると言って良いかもしれない。
これまでDVDに保存したものや、DVDの映像をパソコンで見れるように変換した映像
こちら→(2024/7/1)
などで何度も見ている。 おそらくこれまでの生涯で、5回以上は見ているかもしれない。
そのように鑑賞体制がすでに整っているのに、今回また別に録音をかけたのは若干のわけがある。
この「赤ひげ」、大変な超大作で、上映時間は3時間を超える。そんなことも理由になるのかもしれないが、これまで保存していた赤ひげは、前編と後編に分かれていた。
それが今回は、前後に分割されることなく通しで上映されるという。
ならば、そのような作品も別にあっても良いと考え、録画をかけたのであった。
その録画した映画を、昨日から少しずつ見始めた。長いので一度に見る事は出来ない、今やっと1/5程度み終えたところである。
それにしても圧倒するような場面画像が次から次へと映し出される。日本を代表する力作と思われる。
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| 2026年2月4日(水) |
| 疑念が晴れた |
昨日“都合”にて休刊としたが、その“都合”の種明かしを致すことにする。
実は、インフルエンザか新型コロナに罹患したと疑ったのであった。
症状が発生したのは一昨日の午後くらい。いわゆる通常の風邪の症状。鼻水が出て、喉が痛い。熱を測ると36.6℃。
Kの場合、風邪の症状が出た時の対応策は、ビタミンCを5粒、市販の感冒薬を3粒、そしてうがい薬を使ってのうがい、の三つを併用する。これで大概はおさまる。
症状が治まるのを期待したが、その日は収まらず寝る前にもう一度同じ対策を施した。
そして昨日である。起きてみるとさらに症状は悪い。喉も痛いし、悪寒もする。体温を測ると36.8℃。
どうも症状が進んでいる様子で、別の対策を探ることにした。
以前あちこちの病院で処方してもらった薬の残りを保管している袋がある。
それを出して調べてみると、昨年の6月に星ヶ丘クリニックで処方してもらった、「喉が痛い時」と「熱が出た時」飲むと補足書きした薬の袋が出てきた。中にはそれぞれ2錠の薬が残っている。
これを飲んで様子を見ることにした。
午後である。Mは仕事の日で出かける。
午後3時頃である。
状況はさらに悪い。熱を測ると37.1℃ある。
この頃から、インフルエンザもしくは新型コロナに罹ったのではないかと疑い始めた。
近郊のクリニックに行って、検査をしてもらおうかと思ったが、外を見ると雪が降っていてしかも降る量が多い。目の不自由な中この大雪の中を運転する気にもなれず、そのまま布団に入って時間を過ごした。
夕方Mが仕事から帰って、話をすると、「小学校でもインフルエンザが流行っている。可能性は充分ある」となり、昨日の夜は2人ともマスクをして生活をした、という状況である。
そして今日である。
外を見ると空は晴れ。ただし昨夜来積もった雪は10Cm程度ある。
この分ならクリニックに行き検査を受けることができると思われ、実施することにした。
家を出る前にクリニックに電話する。
到着したら再度電話をすることになってクリニックに出かけた。このクリニックには発熱患者用の駐車場があって、その場に車を停め、着いた旨の電話をする。
そのまま待つようにと指示があって、待つこと20分余り。看護婦さんが来て、検査用の検体を取る。
鼻の穴に長い綿棒のようなものを指して粘膜の液体をとるのだが、これがすこぶる痛い。ようやく終わって、「結果が出るまでにどのくらい時間がかかるか」を尋ねると「5・6分はかかる」との答えであった。
待つこと10分程度。再度電話が来て、結果が出たので車の場所を移動するよう指示がある。玄関に近づくと、医者が立っていた。
お礼を言いつつ検査を果を聞くと医者の言うには「良かったですね、両者とも陰性です」とのこと。
「風邪の初期症状の対応薬を処方します」とのことで、薬が出てくるまでに少し時間があった。
大ごとでなかったと安堵して、周囲を見廻す。それまではあまり目に入らなかった、雪景色が目に入った。
節分の雪景色でも撮るかと、その場から帰り道のところどころで写真を撮りつつ、家に戻った次第である。
明日はサロンの開催日。
半分以上出席をあきらめていたが、おかげさまで出席できそうな模様である。
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| 2026年2月1日(日) ラベル201 |
| 現役勤務中の資料探し |
昨年1月に始めた「私の履歴書」シリーズであるが、7月に左目を怪我した以降中断した形になっている。
最終投稿記事は こちら→(2025/7/4)
目の治療はまだ完全に終わっているわけではなく、恐らく3月前後に再度手術と言うことになると思われるが、そのような事情を踏まえつつも、履歴書の再開をぼちぼち考えようかと思い始めている。
今回の履歴書シリーズは、記憶にたどる部分も無いではないが、できるだけ資料をベースにした正確さをもつ記録として残したいわけで、そのためには写真はもちろんであるが、文字で書かれた資料も、あるに越したことはない。
別棟という場所に保管しているダンボール箱をもう一度開けてみて、資料になりそうなものを探し出してみることにした。
その結果である。
まず最初が、ダイカスト事業部配属直後(昭和43年4月)から始めた、上司宛提出する作業日誌である。
このことについては一度簡単に触れているが、 こちら→(2025/6/9)
そのまま継続されていて、昭和48年初旬まで続いていた。ただし後半部はかなり記述の抜けている個所も多い。
次に出てきたのが手帳に記載した作業メモ。仕事中常時胸ポケットに入れていて、何か必要事項が発生すると、都度取り出しメモしていたものである。手帳は会社が発行していたもので、毎年2冊買い求め使っていた記憶がある。
この手帳で出てきた年次は、昭和46年(1971年)から昭和56年(1981年)までのものである。
そして最後になるが、出てきたものはシステム手帳サインズの予定表。
当時システム手帳も鞄に入れて常時持ち歩き使用していたのだが、住所録とか、その他重要事項を書いたもの、そしてこの予定表などを収めていた。毎年一年分の用紙を新規購入して使い、年度が終われば別のシステム手帳と同じ大きさのファイルに保管していたものである。
この予定表の残っていた期間は、昭和62年(1987年)から平成18年(2006年)の期間のものであった。
その他の資料として、これは今回探し出したものではなく、常時2階自室の書棚に保管しているものであるが備忘録の一式が保存されている。
ただしこの備忘録も記載が抜けている部分が多く、実質的に資料として使用できるのは1991年以降のものである。
探し出す前はどの位の資料が残っているか少々危惧しながら探したのであるが、結果的には、よく残っていたと思う半面、欠落している部分も多い、と言わざるを得ない。
まあ、残っていた資料で記事を書いていくしか方法はない。
ぼちぼち記事を書こうか、とは思っている。
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