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Kの散歩帖
里庭掲示板
2025年7月28日(月)
本日休刊 継続中
とりあえず安静保持と言うことで、ラジオ体操なし、ウォーキングなし、外仕事なしの生活をしております。

一昨日くらいから、それまで涙に血が混じっていたのが止まりました。痛さ、は若干残っています。
視力については、まだコメントできる状態にはありません。30日に通院の予定になっています。


(本日撮影)

まあ、両目でなくて良かったと、思っております。

そんな次第で、もう少し「本日休刊」を続けます。



2025年7月22日(火)
本日休刊
今回の左目の怪我について、若干の説明をいたします。

手術説明書に記載してある病名は「左眼眼球破裂」という少々驚く名前がついていますが、もう少し具体的に言うと、左目の眼球膜に穴が開き、それへの対応を処置するというのが手術の主な内容のようです。

怪我した16日の夕方に、緊急手術が行われ眼球膜に空いた穴の縫合が行われました。
手術時間は1時間弱。当日は帰宅。

翌日(17日)早く病院を訪れ、最初に検査。その検査結果をもとに手術内容が検討されたようで、手術は夕方から。
手術内容は網膜剥離を防ぐためのレーザー照射、眼球安定のための油注入などなどです。
手術時間は丁度2時間。その日は入院しました。

翌日(18日)検査後に退院となり。その後は通院で経過観察ということになります。
なお、約一ヶ月のちに、眼球安定のために注入された油を水(という説明であった)に戻すという手術が行われるとの説明を受けています。

この間20日に通院で受信しましたが、とにかく、無理な動きは控えるようにとのことで、草刈りなどの屋外作業はもちろん、ウォーキング、あるいはラジオ体操なども一ヶ月間は控えるようにとの指示がありました。
草刈り禁止の話は手術日に聞いていたので驚きませんでしたが、20日には、ウォーキング、ラジオ体操もといわれ、少々驚いたところです。
どうも、体に振動を与える行為が悪いようです。

一方、「酒は?」と尋ねたら、「酒は良いです」との、思わぬ答えが返ってきて、20日から少しずつ飲み始めています。

次の通院日は23日となっています。

なお最終的な手術の成否は、一ヶ月後オイルを水に戻してから最終判断と言う事のようで、先の長い話になります。


そんな次第で当分の間、「本日休刊」を続けることになります。
ご了承ください。



2025年7月16日(水)
本日休刊
本日思わぬ事情で左目を怪我し、本日と明日緊急手術という事態になりました。
本日は手術後帰宅しましたが、明日は入院の予定です。
当分の間、小欄は休刊致します。


2025年7月15日(火)
夏草刈りで 大傾斜 を刈る
ただ今は、一番草を刈り終え、「夏草刈り」の最中である。 こちら→(2025/6/27)

そんな中、ここのところ延べ4日をかけて、難所の一つである「大傾斜」の草刈りを行った。


猛暑の最中であり、刈るのは原則として午前中。
しかも、草刈り機の燃料は満タンにして始め、無くなれば終了と言うことにしている。
その時間がおよそ2時間。

結果として、今回大傾斜の草刈りに要した時間は次となった。
 11日;1時間
 12日;2時間
 13日;1.5時間
 15日;2時間


今回は「紐」で刈って、刈った後の草の始末はなし。

次回刈るのは「秋じまい」。
「秋じまい」では丸刃で刈り、刈り草は焼くことになる。


2025年7月14日(月)
醤油屋のラーメンを食べに行く
少し以前にオープンしたという、邑南町の醤油屋が作るラーメンを食べに行ってきた。

同行者はMと、Mの妹との合計3人である。

Mの場合は、友達と一緒に、食事を目的として出かけることがないでもないが、Kの場合は、他用のついでに外食することはあっても、食事を目的に出かけることはほとんどない。
その、極めて珍しい一例になる出来事であった。

店に着いたのは11時過ぎ、駐車場にはかなりの数の車が停まっていた。県外ナンバーも1、2台ある。

店に入ると「まだ席があります」と言って案内してくれた。逆に言えば、席が無いこともあるということか・・・。


メニューとしては醤油ラーメンとチャーシューメンの二つがあり、アルコール飲料は置いてない。
頼んだのは、醤油ラーメンのみである。

味は、まずまずおいしい。
ただし問題がある。麺の量がひどく少ないのである。

替え玉とかご飯を頼むという手もないではないが、最初からラーメンと一緒に頼むのならまだしも、ラーメンを食べ終わってからでは頼む気にもならない。

そのまま食べ終わり、家に戻って、少し食べ増したという一幕もあった。



2025年7月13日(日)
スマホ更新
スマホを更新した。

購入した機種は、これまで使用していた機種 こちら→(2021/12/10)
の後継機、AQUOSsense9(SH-Mに9B-W)である。


購入先は例によってアマゾン。
(シャープ直営オンラインショップが示す値に比べ、約1万円安価であった)

昨日夕方本体が届き、今朝からデータの移行、今日の午後に、表カバーとケースが届いて一応完成の運びとなった。


購入の原因は充電ができなくなったことである。
2、3ヶ月前くらいから兆候は出ていた。充電が不安定で、なかなかできないのである。
そして9日には、フル充電するのに24時間もかかるという状況になり、充電ケーブルを別なものにしても結果は同じで、本体の更新を決意したわけであった。

旧スマホ本体に残っているアプリやその他データの、新スマホへの移行作業は今朝から開始した。
もともとは、データ類をGoogleドライブに「バックアップ」しておいて、それを「復元」するという方法でデータ移管を行うつもりであった。

ところが今朝梱包開けてみると、説明書が入っていて、それによると旧スマホのデータを「コピー」して、新スマホに「貼り付ける」方法があるらしい。

詳しくは こちら→

ものは試しで、こちらの方法で試みることにした。
(注;この間、万一のことを考えて、旧スマホの電源はシャットダウンをして、電源の保存に勤めていた)


初めてのことで戸惑うことも多く、およそ1時間程度をかけてなんとかやり終えた。


写真左が旧品で、右が新品。
驚くことに、アプリの並び方まで全く同じ形式で貼り付けられていた。
この間、新たに情報を入力することは全くない。
「瓜二つ」のものが再生できた、という格好であった。
ただし、新スマホでアプリを開くと、再ログインを要求されることが多い。これは致し方ない。


もう一つ、本体を覆うカバーの話。
これまで通り、表面の保護にはガラス膜を貼り付け、裏側の保護に透明のカバーケースを用いることは、従来と同じであるが、裏側のカバーケースをスタンド機能付に変えてみた。これで、苦労せず全員写真が撮れることになる。


若干重くなるのが難点ではある。



2025年7月9日(水)
本日休刊
スマホが充電できず使えなくなり、写真が撮れないので、本日休刊します。
修理でなく、更新を予定していて、この間何日か休刊します。


2025年7月8日(火)
「奥の田」の 草刈りと草焼き
一昨年から我々が管理するようになった「奥の田」であるが、 こちら→(2023/8/27)
今年の4月、一度草刈りをして こちら→(2025/4/22)
のちは放置したままで、草が伸びすぎ、「秋じまい」並みの、草刈りと草焼きをすることになった。

草刈りをしたのは、7月3日、4日、そして6日の3日間で、それぞれ各2時間をかけている。


3日と6日は紐の草刈り機。4日は丸刃の草刈り機を使用した。


そして今日になるが、天気予報を見ると、今日は午後から雨とある。
ならば午前中に草焼きをしようと思い立ち、7時半頃から作業を開始した。


早く陽が射し始める奥側から焼き始め、概ね、陽が当たるまでに、予定の場所の草を焼き終えた。
要した時間は2時間余りである。



2025年7月7日(月)
真相が解らない!
4日から今日までの足かけ4日探していたものが、突然出てきた。
探して居たものは印伝の小袋。中には歩数計と常備薬が入っている。出てきた場所は、洗濯機の底からである。

理解を深めるために、我が家の洗濯ルールを説明しておこう。10年以上前からと思うが、洗濯から取り込みまではKが担当、取り込んだ洗濯物を畳んで仕分けするのがMの担当となっている。

もう一つ、理解を深めるために説明を重ねよう。Kの持ち物のルールである。
Kは起きている状態のときは、ほぼいつも、小さなタオル地のハンカチと今回の話題の対象となる印伝の袋を常にズボンのポケットに入れて持ち歩く。
ハンカチは左のポケット、印伝の袋は右のポケットに入れるのがルールである。
作業の時、室内にいるとき、外出の時はズボンを履き替えるので、その都度、これらの持ち物は前のズボンから後のズボンへ入れ替えることになる。


本題に戻って、4日前の今月4日のことである。
午前中に「奥の田」の草刈りを行い、午後は外仕事をする気がなかったので、仕事着のズボンを脱ぎ、普段着のズボンに履き替えた。仕事着のズボンは、汗もかいたので洗濯籠の中に入れた。

そして午後である。
たまたま洗濯籠に目が行くと、ほぼ満杯になっている。思い立って洗濯をすることにした。
いつも通りの手順で洗濯機を回す。回し始めてふと思いついた。左のポケットに入っているタオル地のハンカチも、ついでに洗濯しようとしたのである。
そのとき気がついた。着ている普段着のズボンの左ポケットにはハンカチが入っているが、右ポケットに入っているはずの印伝の袋が入っていないのである。

置いていそうな、納屋の作業台とか、2階の自室の机の上とか、食事テーブルの上とか、あちこち探すがどこにもない。

もしかして、午前中に着ていた作業着のズボンに入れたまま、洗濯機を回したかも知れぬと思い、掃除機を一時停止してズボンを取り出し、右ポケットを探るが入っていなかった。
洗濯を終え、洗濯物を取り出す際も、もしかしてポケットから抜けているかも知れぬと思い、洗濯機の底を手探りで探し、何もないことを確かめた(積りである)。
この日の洗濯ものは、翌日の5日に取り込んでいる。

そして6日の朝、洗濯籠を見ると結構満杯。夏は汗をかくので洗濯物がすぐに増える。
そのまま洗濯をすることにした。
夏の暑さは体に堪えるが、一つだけ良いことは洗濯物が良く乾く。朝干した洗濯物は、午後には取り込んだ。

この間も、失せた印伝の袋は気にかかる。
あちこち気をつけて目をやるが結局はどこからも出なかった。
もしかしてウォーキング中など、何らかの拍子で落としたかもしれない。
別の手を考えなければならないか、とも思い始めていた。

そして今朝である。
再び洗濯籠に目をやると、今日もかなり溜まっている。天気も良いしと思って、洗濯をはじめた。
洗濯機を回し終え、洗濯物を取り出して、いつものように洗濯機の底を手で探ると、手にあたるものがある。出してみると、驚くことに件の印伝の袋が出てきたのであった。


今日の洗濯物の中で、ズボン類では私のものは一つもない。すべてMの物ばかりである。
それなのにきょうになって袋が出てきた。洗濯機の中を、どこか引っかかるような場所が有るかと、確認してみたが、これと思う場所は見当たらない。
しかも昨日1回は洗濯を行っている。この時底は確認した(積り)。その時は出ていない。

とにかく、ここにきて出てきた理由が、一向に解らないのである。


それにしても、ともかく出てきた。
歩数計の救済を試みることにする。

歩数計をかつて一度洗濯したことがある。 こちら→(2024/9/15)

そのときは洗濯してすぐに気がついたので復活したが、今回は洗濯して実質3日の時間経過がある。内部は錆びついて、今回はほぼ救済はだめであろうと思いつつも、とりあえず試すことにした。
ばらして半日乾燥し、組み立てて、パソコンにかけてみる。


有難いことに今回も正常に復活した。
5日と6日の、使用していない空白時期も、見事に記録されている。



2025年7月6日(日)
きゅうり三昧
Mが、「きゅうりが取れすぎる」と言い、台所のテーブルの上はきゅうりで山盛りの状態。


今日は夕食当番で、きゅうりの大量消費に挑むことにした。


最初は、定番で十八番の和え物。小欄にこれまで何度も登場しているので、詳細は割愛するが、ピーラーで部分的に皮を取り、スライサーで削り、塩揉みしてのち、ごまだれほかのドレッシングで和えるだけである。


ここまでは良い。問題は次である。

何にしようかといろいろ思案しているうちに、ふと思いついたことがある。
お好み焼きには使えないの、と言う思いつきであった。

以前白菜で挑戦して成功した事例もある。 こちら→(2025/4/2)

ものは試しで、ネットで検索してみることにした。
思いのほか、何件もヒットする。
どうやら、きゅうりはお好み焼きに使うことができるようである。

うち、私が作る我流のお好み焼きに、最も近い使いかたをしている事例を参考にすることにした。
 こちら→


要点は、塩揉みしてできるだけ水を抜くこと。
今回は時間があったので小1時間放置し、水を出したのち使うことにした。
あとはこれまでと同様我流である。ただし、牛乳などの水気のものは何もいれなかった。

食べた結果であるが、予想以上に、違和感がなく普通に食べられた。
Mも同様の感想を述べる。

白菜で成功して以降、白菜のお好み焼きはその後何度か登場しているが、これと同様、今後はきゅうりのお好み焼きも、しばしば登場することになろう。



2025年7月5日(土)
今日の作業 諸々
今日はMの畑仕事の手伝いほか、もろもろの作業を頑張ることになった。

最初が畑仕事。
早めに朝食をとり、作業を始めたのは7時半頃である。


はじめにジャガイモ堀。以前Mが少しほっていって、残りの部分を掘る作業。
掘ってのち、整地をして、ほぼ1.5時間の作業であった。

次が、里芋の苗の移植。移植の予定地が少々草が大きくなっていて、この草刈りから。
畝を掘って移植し、肥料と水を施して、土をかけで終了。
ほぼこちらも1.5時間を要した。


次が山水取水の整備。
朝から山水が細っていて、原因は取水口の詰まりと思われる。
取水口に行って清掃し、山水を復帰させる。これに30分。
戻ってみると、船石と木製の受け槽を繋ぐ樋が腐食で破損して、流れる水が受槽に落ちない状態になっている。
とりあえず応急修理をすることにした。



船石と受槽の位置が直線上になくずれているので、樋の固定はかなり変則である。
いろいろ試行錯誤を繰り返し、曲がりなりにも固定するのに、1時間あまりを要した。


午後から行った作業が散水装置の設置である。
装置一式は昨年実施したものが残っていて、 こちら→(2024/8/11)
それを使うのであるが、一部部品が壊れるなどして手間取り、およそ1時間を要して完了した。



蒸し暑い日で、かなり疲労困憊であった。



2025年7月4日(金)
私の履歴書 亜鉛ダイカストの生産量推移と時代背景
私の履歴書シリーズその26である。 前回は  こちら→(2025/6/20)

前回までは、私が担当した試験研究を中心にして一連の動きを述べてきたが、ここでは、亜鉛ダイカストの生産量の推移を含め、ダイカスト事業部全体の時代背景について触れる。

なお、前回までは私の上司は、国安製造部長と松谷鋳造課長代理と説明してきたが、この間に職制に変動があり、上司になる人が変わっている。ここで追記しておく。

国安製造部長に変更は無いが、松谷鋳造課長代理が生産管理課長として鋳造課を離れ、その代わりに、本店の加工部から横山さんが課長として赴任されている。もともとは昭和ダイカスト時代に採用された方で、その後本店に勤務が変わり、ここにきてまた古巣に戻られたという形である。
変更があった時期は昭和47年12月末であった。



話が今回の主題から少し反れたが、戻すことにする。
以前小欄でダイカスト生産量のグラフを作成したことがあるが、 こちら→(2025/2/4)
そのとき作成したグラフをここでもう一度再掲する。


今回の場合、特に注目するのは、下から2番目に表示されている橙色の亜鉛ダイカストの生産量である。
戦後順次生産量が増えているが、1973年(昭和48年)にピークを迎え、その年の10月に起きたオイルショックの影響でその後2、3年生産量が減少、その後元に戻るが、それ以後はほぼ水平ないしは下降気味という傾向である。

今こうしてグラフを見返すと、昭和47年48年当時が、日本における亜鉛ダイカスト生産のピーク時であったということができる。

昭和47年に印刷された、当時のダイカスト事業部のカタログが残っていた。


写真右の値段には、生産設備を示す表が載っていて、その部分のみを抜き出すと次になる。


大きなダイカストマシンは型締力800tから、小さな12tまで、合計29台のダイカストマシンが載っている。
月産能力500-600tという記載もある。

昭和47年のことであった思われるが、確かに月産量が500tを超える月があって、「500tを超えた!」と内心大いに喜んだ記憶が残っている。

先のグラフで見ると、昭和47年(1973年)の亜鉛ダイカストの年間生産量はおよそ8万tであるから、わが社の月産量を500tとすると年間に6000t、全体から見ると、7.5%のシェアになる。
国内では1、2を争う亜鉛ダイカストのビッグメーカーであった、のは間違いない。


ただし、そんな時代にあって、亜鉛ダイカストの将来性に疑問を抱き始めた人たちが事業部の中にいた。
事業部長ほか、国安さんたちの幹部連中である。
動きが始まったのは昭和49年頃からと思われるが、その当時私は、前回記載した国安さんを博士にする動きに注力して居た頃で、この新たな動きには全く関与していない。

新たな動きを私が承知したのは、昭和50年初頭のことであるが、そのことについては次回以降触れることにする。


なお蛇足的な話になるが、私たちはこの時期に結婚をしている。
見合い結婚である。

見合いをしたのは、私の誕生日の5月8日。
6月に一度、神戸や京都で会い、8月に結納。
秋には結婚という、スピード結婚であった。
新婚旅行は長崎県の壱岐の島であった。

住み始めた場所は川崎市のアパート、南原荘という。


上下、各2軒。2LDKの間取りであった。風呂付、トイレは和式の水洗であった。

2025年7月3日(木)
またしても 一汁二菜
“熱中症アラート”が連日発表される酷暑である。
午前中1時間ほど草刈りをしたが、成果に乏しい。
そんな次第で、「ネタ切れ時の一汁二菜シリーズ」である。

今日は夕食当番。


かなり手抜きで、レシピを参考にしたものはない。すべて我流である。


最初はおいなり。
外側の油揚げは、味付けして煮込んだものがパック詰めにされていて、それを湯煎して温めるだけ。ご飯に混ぜる具材は、筍を中心にしてMが作成済みのものが冷凍保存されていて、それを取り出し温めるだけ。
あとは、ご飯を固めて油揚げに包むだけである。準備したご飯が多すぎたので、おにぎりにした。

次がコロッケ。
完成品で冷凍保存したものがあったので使うことにした。油で揚げるものと思っていたが、袋の説明書きを見ると電子レンジでチンするだけで良いとある。
これで一品出来上がり。

次は、畑で採れたきゅうりの和え物。
エビは解凍して湯煎。ポン酢と胡麻ダレを中心にして和えるだけで完成である。
レタスを少々、ちぎって入れてある。

最後が汁。
昨日お昼に作ったそばが少々残っていたので再利用。
私が重宝してよく使う汁の”もと”に、きのこと一緒に入れて、わずかに火にかけて完成である。


コロッケを除いては、これまでに何度か作った経験のある品で、それなりの味には仕上がった。



2025年7月2日(水)
サロン田屋とその帰り道で
今日は、月2回開催される「サロン田屋」の日。参加してきた。


おそばと天ぷら他の、ごちそうのお昼を頂いて、昼寝。
その後体操をしてお茶。
帰り際に、七夕飾りの短冊お書いて帰るよう言われて、短冊に「いつまでもお酒が飲めますように!!」と記入して帰ることにした。


帰りに、他の参加者を自宅まで送るよう頼まれることも多い。今日は一人の方を送るようを頼まれた。
車の中で、ぼそぼそとお互い喋る。
その内、相手のかたが「時間が経つのが早いよなぁ」と言われるので、急に、朝読んだ新聞記事のことを思い出した。
読売りの1面、今朝掲載されたコラム記事である。


記事を見せるわけにはいかないので、「新聞記事によると」と前置きして「今日のお昼で丁度一年の半分になるらしいですよ」とつげ、車に乗っている時刻が午後3時過ぎであったので、「半分と3時間余り経ったことになる」と話をした。
相手の方は「そうかな」と、珍しそうに相槌を打っておられた。


自宅にお送りする業務の戻り道、もう一つ作業をすることにした。“野芝の株に散水”である。
自宅に戻る道を少し遠回りして、別棟の前を通って帰ることにした。


散水用の水は既に準備済み。 こちら→(2025/6/30)
狙い通り、自宅に戻ることなく作業が完了し、至極ご満悦であった。



2025年7月1日(火) ラベル701
クーラー3台目
連日の猛暑に抗しきれず、我が家も3台目のクーラーを設置することになった。

1台目が2014年の8月、
2台目が2018年の7月 こちら→(2018/7/27)
それに続くものになる。

この間、色々と工夫をして、例えば こちら→(2023/8/15)
今年も、この“」”の字方式で過ごそうかなどの意見も出たが、結果的には導入の運びとなった。

3台目の設置場所は、2人で過ごす時間が最も長い台所である。


頼んだ先は町の電気工事屋さん。10日くらい前に頼んでいた。
今日、社長以下3人の若者が同行で設置工事に見え、社長は若者に工事の指示をして家に戻り、直接の工事担当は若者の3人であった。

なかなか爽やかな若者3人。てきぱきと動いて、午前中には作業を終え、帰っていった。