| 2026年1月31日(土) |
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Word の文章をプレイン文書に変換後、貼り付け その2
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小欄の文章部分の記述方法に関する話である。
昨今小欄の文章部分の入力はキーボードを打って文字を入力するのではなく、口述筆記(マイクに喋って文字化する方法)によっている。
この方法は、2023年頃より実施していて、その経緯を当時報告している。
こちら→(2023/6/28)
当時チャットGPTを利用しながら相当苦労して作成したもので、その後非常に便利に使っているのである。
ただし、この時作成したプログラムの内容は、文字を小欄の編集ソフトに貼り付けたのちは、Word上の文章は消去する内容になっていて、Word上には、貼り付けたのちは文章は残っていない。
これはこれで便利な点もあり、当時はそれがベストと思って作成したのであるが、以後を使ってきて、貼り付けた後も、Word上に文章を残しておきたい、と思う場面も時々生じてくる。
特に目を怪我して以降、貼り付け後の文章を残しておきたいと思う場面がしばしば出てきて、それでは、新たにプログラムを作るかと思い始めたわけである。
具体的にはどうするか
これまではWord上にある文章すべてを一括して変換し、編集ソフトに貼り付け、Word上の文章はその後すべて消去する、という内容になっていた。
これを、Word上の貼り付けたい部分のみをなぞって変換コピーし、編集ソフトに貼り付け、Word上の文章はそのまま残すと言う内容に変更するのである。
作業は昨日から始めた。
新たに作るといっても、以前作成したプログラムのうち、変更に必要な個所を作り替えるという形で、その他のプログラムの中心となる部分は前回作成したものと同じ内容である。
変更して試すとエラーが出る。エラーの対応考えて修正しまた試すという方法である。
かなり完成に近いと思い、試すとまたエラーが出る。
もはや自分では対応しきれないと思い始めた時、ふと閃いた。チャットGPTに相談し、エラーの出る原因を探してもらおうと思いついた訳である。
チャットGPTを開いて相談をかけた。
すると、ほんの数秒間を置いてのち回答が表示された。
指摘はプログラムの最終部に近い箇所の
「File=」の個所の「B」が抜けていて、正しくは「FileB=」に改めるという指摘である。
指摘に従いプログラムを修正して後、動かしてみると見事に作動した。
上段がWordの文章。2行ほどなぞってコピーをかけ、下段の編集プログラム「31日の練習」の欄に貼り付けた。
なぞった2行分のみの文章が貼り付いている。
2日間、少々時間をかけたがなんとか出来上がった。
両方のプログラムが保存してあり、今後は必要に応じて、どちらの内容でも貼り付けることができる。
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| 2026年1月30日(金) |
| 二日続けて昼食に雑炊 |
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先日Mの仕事の関係で、私が2日続けて夕食当番を務めることがあり、その反動で昨日と今日は、私が続けて昼食当番である。
昨日試食した雑炊が、結果としては合格度が高かったので、今日の昼食も雑炊で行くこととし、新しいメニューを探してレパートリーを増やすことにした。
ネットを開いて今日探しあてたメニューが こちら→
鳥のひき肉を使う雑炊のメニューである。
ニラがないので長ネギを代用することにした。
鶏ひき肉を酒に浸しておくところが昨日と異なるところで、後は具材を煮、水で洗ったご飯を入れ、溶き玉子を入れるという手順は、昨日と同じである。
味は良し。
鳥肉を加えただけ、昨日より少し味が濃厚かもしれない。
ともかく、昼食に雑炊という考えは“当たり”と思われる。
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| 2026年1月29日(木) |
| 昼食に雑炊 |
昼食か夕食のどちらかを担当する食事メニューの話である。
そのうち今回は昼食の場合の話。
これまでKが作る昼食メニューは、丼か麺類が多い。おそらく8割以上はこの両者の内のどちらかである。
そんな状況下、昨日のことである。新聞の折込広告が目に入った。
普段折込広告はほとんど見ないのだが、今回たまたま目に入った広告である。
パックされた雑炊6種類をすすめる広告である。見た目は美味しそう。 この広告を見たときひらめいた。
買おうと思ったのではない。作ってみようと思ったわけである。
それも昼食用。
これまで丼か麺類しかなかったメニュー群に、もう一つ大きなメニュー群が加わることになる、と思ったのであった。
今日は昼食当番。
昨日思いついたことを実行することにした。
パソコンを開いて、雑炊レシピで検索する。数多くのレシピが紹介されていた。
その中から、今日とりあえず参考にしたレシピ。 こちら→
難しいところは何もない。
一言で言えば、
具沢山で少し味の濃い汁を作り、煮立ったら、ご飯を水で洗い水気を絞ったものをその汁に入れ、あとは溶き玉子を加えるというものである。
そして味もよい。
昼食用としてはもってこいのメニューである。
も少し、5〜10種類程度にメニューを増やし、昼食のメニュー群として使うつもりでいる。
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| 2026年1月28日(水) |
| さわやか自然百景 |
今月19日の読売、テレビ・ラジオ欄である。
毎週日曜日、NHK総合で朝7時45分から放送される「さわやか自然百景」と言う番組に触れ、その放送回数が次の日曜日で1000回になると報じている。
この「さわやか自然百景」は、我が家でも好みの番組の一つ。“毎週予約”のセットをかけ録画をしておいて、ゆっくりと見る。中でも特に好みの番組があれば、誤って消去しないよう鍵をつけて保管する。
今日の午後、Mは仕事で出掛けていて、その間にテレビをつけてみることにした。
開けてみるとMはすでに見たらしく、鍵がかけてある。開いて、ゆっくりとみることにした。
冒頭、普段は表示されない「放送1000回」の文字も出る。
内容は秋から冬にかけての宗谷岬。40キロメートル程度離れたサハリンから飛来する鳥や泳ぎ来る動物などを紹介していた。
いつもながらの美しい映像と落ち着いた語り口。
宗谷岬はこれまでに2度訪れたことがあり、そんなことを思い出しながら、のんびりと映像を楽しんだ。
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| 2026年1月26日(月) |
| 図書館で借りている本 |
何度か小欄で記述したように、概ね2週間に1回の割合で図書館を訪ね、5・6冊の本を借りている。
ただいま借りているのは次のもの。
暮しの手帳と文藝春秋はほぼ毎度借りてくるが、残りの単行本は、司書の方が何らかのテーマを考えて陳列されている本とか、あるいは書架の中から、適当に目についたものを借りてくる。
大方はぱらぱらとめくって興味のある個所を読み、それで返却となる。読んでみて、特に興味が湧けば本気で読むという格好である。
今回借りてきた中での“当たり”は、藤原正彦氏著の「若き数学者のアメリカ」であった。
藤原正彦氏についてはすでに何度か紹介していて、最近は こちら→(2025/12/20)
今回の本も、以前から一度は読んでみたいと思っていたものである。
たまたま今回は司書の人が数学に関わる書籍を並べているコーナーがあって、その中に当該の本が並べてあり、借りてきたという経緯である。
この本は藤原氏が29歳の時、年号で言えば1972年(昭和47年)に、アメリカのミシガン大学で数学の研究者として招聘され、2年余り数学研究に打ち込んだ体験をまとめたもので、1977年(昭和52年)に新潮社から発刊され、1978年(昭和53年)の第26回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したものである。
ただいま1/4程度読み進めたところであるが、なかなか面白い。
氏の30代前半に書かれたにもかかわらず、相当の文章力である。やはり、両親の血筋を受けておられる。
続けて読みたいところであるが、明日が返却の期限。
返却に行き、再度借りてきて読み通す予定である。
蛇足;
氏は1943年生まれ。Kより1年年長である。昭和の同じ世代を生きた人で、考え方に共通点も多い気がして、考え方に親しみを覚える。
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| 2026年1月25日(日) |
| 今回の大雪 |
今は大寒の時節。大雪になっても不思議は無い時である。
夕方NHKのニュースでも鳥取県以東は大雪と言う。鳥取をはじめ、北陸・東北地方で大雪警報の発せられた場所があるとも報じていた。
そんな中、MがLINEのやりとりをしている、神岡に住む友達から雪の写真が送られてきたという。
報道をベースにした我々2人の予想は、神岡は大雪、1m前後は降っていると予想していたのだが、送られた写真はさほどでもない。40Cm前後の積雪と言う。 NHKが報じた積雪情報を子細に見ると、両側は赤になっている大雪の場所に挟まれ、神岡の位置する場所は黄色。偶然の幸運に恵まれて大雪を免れたとも思われる。
一方我が方もおかげ様にて大したことはない。昨日から今日にかけて間断なく雪は降るのだが、量自体が多く無い。地熱などで消える雪もあって、状況としては増えたり減ったり、ほぼ10Cm前後で推移している。
どうやら今回も、生活に支障が出るほどの大雪にはならない模様である。
もうすぐ節分。
大雪の時節も終盤である。
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| 2026年1月24日(土) |
| またしても 一汁二菜 |
朝から終日雪。積雪量は15Cm弱。合間を縫ってウォーキングには行ってきたが、あとは屋内で過ごす。
ネタ切れにて、またしても一汁二菜である。
ただいま我が家の冷凍庫には塩鯖が少々を大目に保存されている。
少し以前に普通に焼いてため食べたが、おいしいながらも塩は多め。
今日は目先を変えて、竜田揚げにしようと思うが、そのままタレに漬けると塩からそう。
塩抜きの方法をネットで調べると、1から1.5%の食塩水に4・5時間浸すと良いとある。この処置を行った後竜田揚げを作ることにした。
竜田揚げのレシピは こちら→
次が大根と厚揚げの煮物。材料が揃っていたので作ることにした。
レシピは こちら→ 大根のある時節にはよく作るメニューであるが、丁寧に作れば美味しいものができる。
最後が汁。
レシピはない。
粉末だしで酒と醤油で味付け。超簡単なすまし汁である。具材はワカメとネギ。
塩鯖の塩抜きの処置は午後一時すぎに実施。
その他の実際の料理は4時過ぎから、相撲を見ながら作ったのだが、作るのに一時間半以上はかかった。
美味しくできたと自画自賛である。
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| 2026年1月23日(金) |
| 眼科健診 21回目 |
今日は定例の眼科検診の日。ただし、普段は午前中の健診であるが今日は珍しい事に午後4時が予定されている。
朝は2・3Cmの雪が降り道路は白く覆われていたが、午後の出発時には車が通る道幅は雪が溶けていて、そういう意味では有り難かった。
いつもの通りMの運転である。
クリニックに入る前に、少し買い物をして、クリニックに到着したのは午後4時前。
控え室にいる患者の数は、いつもの午前中に比べ若干少ない。
ほぼいつもの通りの工程で診察が進む。 ただし、視力検査の場において、左右の画像のずれが測定されるのだが、今日は普段より入念に行われ、控え室に戻るとMが「今日は時間がかかったね」と言うほどであった。
しばらく待って診察室で、医者は、「視力も含め、順調に回復していると思います」と言う。
そして、「物が二重に見える対策で手術をするかどうかは、もう少し様子を見ながら判断します」という。
私が「もう少しとはどのくらいの期間ですかと尋ねると、「前回のオイル除去の手術をしてから半年程度のち、3月か4月頃になるでしょう」との答えであった。
しばらく待って会計となるのだが、この会計の場で目薬の処方箋が渡される。
今回目薬の仕様が少し変更になった。
これまでの目薬は一日4回が3種類、一日2回が2種類、一日1回が一種類というものであったが、今後は、一日4回の目薬で一つがなくなり2種類になり、一つの種類が変更になった。
もう一つこの場で、次回の診察予定日が渡されるのだが、これまで2週間おきの診察が、今後は一ヶ月おきに変わるという。再度手術が行われれば元に戻ることになろうが、とりあえず一ヶ月に1回というのはありがたい。
帰りの途に着いたのは5時過ぎであったが、太田市内ではほとんど降って無かった雪が、次第にぽつぽつと落ち始め、八色石に着く頃は大雪の気配。道路上にはすでに2・3Cmの雪が積もっていた。
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| 2026年1月22日(木) |
| いわしのつみれ鍋 |
ネタ切れの時の夕食メニュー。
しかも、またしても鍋である。
イワシのたたき身が冷凍保存してあったので作ることにした。イワシのつみれ鍋。
年に2・3度は作る鍋であるが、小欄に掲載するのは、以前の内容を検索してみたが出てこないので、初めてのようである。
参考にしたレシピは、私のレシピ集OneNoteに載っているもの。藤井恵さんのレシピで、引用元の雑誌を探してみたが探し出せなかったので、そのままOneNoteを掲載する。
ただし、つみれを作る部分は、藤井式ではなく、たたき身が入っていた袋の作り方に従う。こちらの方はごぼうが入っていて味が濃く、美味しい気がするので、いつもこの方式で作っている。
つみれつみれ団子を先に煮て、あとは野菜を入れるだけ。幸い豆腐もあったので入れることにした。
結果としては、藤井さんの鍋とはかなり異なる鍋となった。
それでも味は良し。
締めは冷凍うどんにした。
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| 2026年1月21日(水) |
| 山水復旧 |
山水が出るか出ないかでは生活の潤いが違う。したがって何らかの原因で山水が止まった時は、できるだけ早く復旧するようにしている。
しかし冬場の場合は若干事情が異なって、一旦止まると、ホース内に溜まっている水が凍って、復旧ができない状態がしばしば起こる。
したがって秋の終盤には、山水の施設全体を一度点検し、トラブルができるだけ起きないように準備をするよう心がけている。
今冬の場合であるが、12月に雪が積もった時は、水は止まることなく出続けた。
ところが、1月11日であったと思うが、2度目の雪が積もった時は、山水が止まってしまった。
これで当分山水は復旧できないなと残念に思ったわけである。
しかし、ここにきてかなり暖かい日が続き雪も溶けてきた。これならホース内の氷も溶けて、復旧できると思われ修理をすることにした。
作業をしたのは、一昨日の19日のことである。
山水が止まる原因は大きく分けて二つあり、一つは取水口が詰まるというケース、もう一つは点在しているホースのつなぎ場所が外れるというケースの二つである。
山水の止まり状態を見るとおよそその原因が推定でき、今回のように完全に水が止まるという場合は、つなぎのホースが外れている場合が多い。
そんなことを頭に置きながら修理に向かうのである。
ホース全体の1/3程度の場所で、これから取水口のある山に登るという手前に、漏れの状態を確認する場所を設けている。目印に瓦を置いている場所である。
この場所でつなぎのホースを外し、水が出ればその検査位置から手前の場所に異常があり、水が止まって出なければ、確認場所から先の場所に異常があるわけである。
今回の場合は水が出た。したがって確認場所から手前の位置に異常が発生しているものと推定できた。
確認場所に向かう時も一応注意を払いつつ行くのであるが、気がつかなかったわけで、今度はさらに注意深くホースの際を通りつつ戻ることになる。
漏れの音がないか注意を払い、それでも分からないときは埋もれたホースを引き出すなどして探る。
確認位置からおよそ10m余り戻った場所のつなぎ部でホースが外れ水が漏っていた。 外れたホースを接続する。
これで完了と、母屋に戻り出口を見ると水が出ない。
どうやら別の場所が外れているようでもう一度確認に戻ることになった。
先に接続した場所からやはり10mくらい手前の場所でかすかに漏れる音がする。確認するとやはりホースが外れていた。
接続ホースをつなぎ確認すると、接続部が折れて細くなっている。まっすぐに正そうと力を加えたら、劣化で弱っていたのであろう接続ホースが割れてしまう。
致し方なく接続ホースの交換である。
つなぎのホースは少し細め。ガスで温めて柔らかくし、別に用意している短いホースを差し込んで穴径を太くしてのち現地で装着、という手間を掛けての工事である。
やおら修理を終えて母屋に戻ると、今度は見事に水が出ていた。
30分もあれば復旧と思ってかかった作業であるが、結局1時間を超える手間を要して修理完了の運びとなった。
19日までは暖かい天候であったが、その後急変、昨日今日は寒く雪も降る。
それでも山水は出ている。
苦労しつつであったが、19日の日に復旧作業を終えておいてよかった、と思っている次第である。
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| 2026年1月20日(火) |
| K先生への御礼の書簡と 頂いたお返事 その2 |
昨日の続きである。
K先生宛ての礼状は、上記の手術の内容はもちろんのこと、それ以外に、腰痛が始まった時期から先生に出会うまでの様子。
また手術後島根に戻り、八色石の生活を始めるまでの経緯など多岐にわたり、少々長いものになった。
冒頭の書簡の部分がA4にして2ページ。添付した資料になるものが16ページ。資料の中の写真の部分を拡大した添付ファイルが17ページという量である。
暇を見つけて書き進めたとは言え、当初は昨年内に送付するつもりでいたのだが、思い通りには行かず、結局送付したのは年が明けてきた1月9日であった。宛先の住所はネットで調べた。
郵便局の窓口に持参したのだが、相手の局員が言うには、「明日から3連休となる。届くのは13日になるがそれでも良いか」という。それは問題ないので、そのまま送付手続き終えた。
むしろ、私が心配したのは、K先生の手元に届き、そして開封されるかという点である。
昨今は郵便で危険なものを送るという事件が多発している。
今回の封筒は差出人は島根県のもの、しかも覚えのない名前である。若干厚めのA4封筒。中に何があるかも分からない。最初に扱うのは事務局員であろう。先生の手元に届けず廃棄してしまおうと判断されるかもしれない、という心配であった。
それ以後、郵便物の配達を若干気にするようになった。というのは先生からの返事が来るかもしれないという期待があったからである。
先生への手紙の部分の最後には、「返事が不要です」と断り書きを入れておいた。
しかも先生の手元に届かない可能性もある。そんなこんな踏まえつつ、五分五分の確率で返事が来るかもしれないと期待もしたのであった。
そして昨日(19日)である。
先生からの手紙が届いた。日付は1月15日となっている。
予定通り13日先生の手元に届き、すぐにお返事を書いていただいたのであろう。
私が送付した郵便物に対する、心のこもったお礼の言葉と、医師としての固い決意が述べられていた。
このK先生、ネットを開けば本名が載っているので、ここで明かしてもよいであろう。
川口善治(かわぐちよしはる)先生である。
現在は、富山大学医学部整形外科教授 こちら→
で、しかも
日本腰痛学会 会長 こちら→
でもある。
少し以前の話になるが、NHKEテレの「きょうの健康」という番組に出演され、腰痛対策の話をされていて、私はその時の録画をDVDにして今でも所有している。
今や日本における腰痛部門の専門医としては屈指の先生なのであろう。
そんな先生の手術を25年前、偶然にも受けたわけで、これに勝る幸運はなかったと言ってよい。
いずれにしても、川口先生に感謝の意を伝えるという、長年の思いを果たすことができ、大いに安堵したわけである。
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| 2026年1月19日(月) |
| K先生への御礼の書簡と 頂いたお返事 |
昨日も記載しているが、私には腰痛という持病がある。
昨今は、年に1・2度、何らかの拍子に腰が痛くなり、そのときは2,3日安静にしていると治まり、さほど深刻な状態には至っていない。
ところがこの持病、元は大変な状態に落ち至った経緯がある。
症状は起きたのは、我々がこの八色石に戻る前年(2000年)のこと。岐阜県の神岡で働いていた時のことである。
症状が出始めたのはその年の2月。日によって痛みに軽重はあるが、酷い時は歩くことができないほど痛い。
当初は神岡町立病院で診察を受け、薬を処方されて対応した。
その後4月と5月の2ヶ月間は症状がおさまる時期があったのだが、5月の末になり再発。
その後も町病院の痛み止めなどで対応していたが治らず、7月になり産業医の指導もあって、大きな病院で見てもらうことになった。
訪ねたのが富山医科薬科大学(現;富山大学医学部)の整形外科。予約もせず受診したのだが、その時外来の診察をされていたのがK先生であった。200年7月の事である。
以後2度外来で受診し、8月に入院。 入院後も検査などが続けられて、9月半ばにK先生の執刀で手術。
手術後の養生を受けて10月末に退院と言う経過をたどる。
以後自宅で2週間余り待機し、11月初旬から勤務を再開した。
そして翌年会社を退職し、八色石に住み始めたという経緯になる。
このK先生、手術を願った頃は30代半ばと思われる若い先生であった。
しかし、信頼がおける気がして、全てを任せて手術を受けたのである。
お陰で通常の生活ができる身体になり、八色石での生活を堪能したわけで、いつかは先生にお礼の気持ちを表さねばと思うようになっていた。
そんな状況下、昨年11月のことである。
他の用件で少し資料を探す必要があり、普段開けることのない戸棚の中を調べることがあった。
その中にA4の封筒があり、封筒の表紙には「腰痛手術関係」の記載がある。
出して中をみると、思わぬ資料が入っていた。
四半世紀前に受けた手術の詳細な資料で、すでに自分自身忘れた内容の記載もある。この資料を整理しつつK先生へのお礼の言葉を綴ってみようかと思い始めた。
中には受けた手術の記述も残っていて、背中にある脊髄を手術するのに、背中側から手術をせず、お腹側から行うという方式であった。
私は全身麻酔で見ていないので、後で聞いた話だが、お腹を切り開いて、中にある臓物を取り出しお腹の上に乗せて、背骨を手術したと聞く。
脊椎4と5に“ばい菌”があるらしく、孔を開けて洗浄し、“ばい菌”を除去したのち、孔を開けて弱くなった骨と骨を、腰骨に当たる“蝶骨”という骨の一部を持ってきて、骨の間に楔状に埋め込み、弱くなった骨同士を補強したのだという。
その後臓物を元の位置に戻し閉腹するという、4時間を超える大手術であった。
脇腹を切った写真が残っている。
長さは20Cmあまり。その傷跡はずいぶん薄くはなっているが、現在でも残っている(写真上段)。
手術後の経過を示す写真も残っていた(写真下段)。
ここで予定の紙面が尽きた。
続きは次回に回す。
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| 2026年1月18日(日) |
| 腰痛明けのウォーキング |
今月14日の朝のことである。起きると腰がひどく痛い。
前日まではなんともなかったので、寝ているうちに何らかのトラブルが起きたらしい。寝違いかもしれない。
どうも、持病の腰痛が起きたものと思われる。
これまで、腰痛が起きるのは、草刈りなどの屋外作業を行っているときで、寝ているうちに起きるのは今回が初めての出来事。少々戸惑った。
こうなると、打つ手は一つ。クリニックで処方してもらった「腰が痛いときに飲む」頓服薬をのみ、安静に過ごすのみである。
ルーチンで行う朝の体操や、ウォーキングも停止である。
あとは、様子を見ながら2,3日後からぼちぼち行動を開始することになる。
一昨日のこと。少し良くなった気配があり、軽く体操をしてみた。少々痛いので途中でやめる。
午後になると、少し良さそう。ウォーキングを試してみるかと出てみたがコースの1/3程度歩いたところで痛みを感じる。ピこのまま続けると悪化の可能性があると判断して、途中でやめて戻ってきた。
このことがあって昨日は安静。何もしなかった。
そして今日である。
体操は無理をしないように、腰に負担がかかる個所は待機して、なんとか最後までやり終えた。
そして10時過ぎである。冬場にしては、珍しく穏やかな天気である。空は快晴に近く、風もない。ウォーキングを試してみることにした。
予定のコースはミドルコース。寒さはまったく感じない。前回降った雪もほとんど消えている。
一昨日痛みを感じ始めたところに来ても、今のところは何事も起こらない。
そのままウォーキングを続けて中間点まで来た。中間点にはカーブミラーが設置してあり、証拠の写真を1枚。あとは帰るのみである。
となって、無事にウォーキングを終了した。
どうやら、初めて経験する冬場の腰痛も峠を越したようである。
今は外仕事の必要もない。
するのはせいぜい、朝の体操とウォーキング程度。
1週間もすれば、元の体に戻るものと思い始めている。
これまでに経験したことのないトラブルが頻出するようになってきた。
これも加齢のせいと思われる。
致し方の無いことなのであろう。
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| 2026年1月17日(土) |
| 避難時食料の更新 |
今朝スマホを開けたら今日の予定欄に「避難時食料更新」の表示が現れた。
一瞬何のことと思ったが、すぐに思い出した。
昨年定めた我が家の新規ルール。
「阪神淡路大震災」が起きた日にちなんで、我が家の避難時食糧を更新するという取り決めのことであった。
こちら→(2025/1/28)
こちら→(2025/2/16)
昨年までは、物品の購入日を15日か16日と定め、近郊の町にあるドラッグストアに買い出しに出ていたが、目の怪我をして以降その慣行は停止していて、今日早速近くのスーパーまで行くことにした。
買い物リストができているので造作は無い。
今年は偶数年。賞味期限の短いものとしてリストアップされた物品を購入してきた。
その他に更新するのはお米。昨年の新米と取り替えて保管することにした。
缶詰などの賞味期限の長いものは、そのまま流用とする。
避難時食料から除外した賞味期限の短いものは、今後の日常で使っていくことになる。
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| 2026年1月16日(金) |
| 冷凍トマトで トマトすき焼き |
今日は夕食当番。
メニューを考えようかと冷蔵庫回りを開けて食材を物色している時、冷凍庫の引き出しを開けたら冷凍されたトマトが大量にある。
「トマトで何かするか」と独り言めいて声を発すると、近くにMがいて、「牛肉も残っているし、トマトすき焼きでもよいのでは」と返事をしてきた。
トマトすき焼きは、今や我が家の定番鍋の一つになっていて、トマトが旬の夏場には年に2・3度は登場する。
最初に小欄に登場したのは2020年で、レシピはこの時載せている。 こちら→(2020/7/20)
しかし冷凍トマトで作ったことはこれまでにない。トマトが煮崩れて不味いと思われ、その気が起きなかったのである。
牛肉は正月用に買ったもので、パーシャルで保管されているが、少し色が変色しつつある。これも早く食べたほうがよさそう。
食べるのが良い食材が二つそろったわけで、ものは試しで、冬場のトマトすき焼きに挑むことにした。
凍ったトマトは、包丁で切れる程度まで電子レンジで回答してから切る。あとは原則レシピ通りである。
ただし、レシピにないことを一つ試みた。
レシピでは、通常のすき焼きで好まれる生玉子に浸すと言う食べ方が、載っていないのだが、今回はこの生玉子につけて食べるという方法を取り入れてみた。
さてそのお味である。
結論的に言えば、予想以上に美味しかった。
心配された煮崩れも、思いの外少ない。さらに新しく試みた生玉子方式も、味をまろやかにして具合が良い。
これまでは夏場に限られた定番鍋であったが、今後は年中採用される定番鍋になるかもしれない。
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| 2026年1月15日(木) |
| 台所、流し台の上に電灯を設置 |
正月に帰省していた娘が、台所の流し台の個所が暗いと言い置いて仕事先に戻ったらしい。
私はこんなもんだと思い込み、あまり不自由を感じてなかったが、Mも同様に暗いとは感じていたらしい。
急遽電灯をつけようかとMが言い始めた。
電灯を買い求めてきたのは、先日の眼科検診の日、大田に出向いた折りデオデオで買ったわけで、少し以前の話になる。
買い求めた後一両日は放置していたが、いつまでも放ってはおけない。着手することにした。
最初に取り付け位置が検討課題になる。
取り付け位置の上は食器棚になっていて、私は、その食器棚の底に取り付けようかと提案してみた。取り付けビスの先端が食器棚を通りぬけ、食器棚の底に突き出る可能性もあると言うと、Mはそれは困る。窓の桟に取り付けて欲しいと言い、その方向で検討することになった。
窓の桟の幅が狭いので、電灯の高さに見合う添え木を桟に取りつけたのち、添え木に電灯を固定することにした。
ついでいよいよ電気工事である。
中に入っている説明書や梱包用の箱に記載してある配線工事の内容を見て、はたと困った。
私の予測していた配線工事は、電線は通常使う細かい銅線が束になったもので、その束の銅線をビスで固定すると勝手に予測していた。
ところが記載してある内容は1.6ミリか2ミリの一本の銅線で、その銅線の先端を接続コネクターの穴に差し込むのだとある。
そのような電線は手持ちしていない。仕方なくアマゾンを開くと、ありがたいことに売っていた。
1.6ミリも2ミリも両方ある。太い方がよかろうと2ミリを2mの長さで発注した。2mの長さは、現地を目測で確認した上での処置である。
2日後に電線が到着した。開けてみるとかなり太い。しかもかなり固い。1.6ミリのほうが良かったかと悔やんだが、もはや致し方ない。そのまま使うことにした。 電線の先端部の覆っているビニール類をむき出しにする。裸になった銅線の先端をコネクターの穴に差し込むと、すんなりと収まった。
続く作業は電線を電源になるコンセントに向けて這わせる作業。電線を狭い桟の上を這わせステップル金具で固定するのだが、線が太くて固く、少々たわむ。
できる限りの注意を払って、電線を伸ばしていく事にした。
かなりコンセントまで近づいてきて、コンセントにどう合わせるかを見定めようとした時気がついた。 線が足りないのである。15Cmほど短い。 目測で2mあれば充分と考え発注したが、これが手落ちであったわけである。
もはや仕方がない。手持ちの通常電線を繋いで不足分をカバーすることにした。
ところがである。
またもやここで問題が発生した。
線の繋ぎ目には絶縁テープが必要となる。納屋に向かい、絶縁テープを収めている引き出しを開けてみると、絶縁テープが無いのである。
どうも使い切って以後、購入していなかった模様。他の場所に無いかと探してみたが、どこにもない。
またしてもアマゾンである。
アマゾンに発注して2日後に絶縁テープが届いた。
手持ちの電線と繋ぐ作業になるが、線が繋いであるのは見栄えとしてはあまり良くない。布巾をかけておく場所があって、その布巾で隠れるところが接続場所となるように、位置を調整して線をつないだ。
工事を終えて電源を入れると見事に点灯する。かなり明るい。
Mの評価も上々であった。
台所の流し台の上に電灯をつけたという、奮闘記である。
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| 2026年1月14日(水) |
| 集落用会計プログラムの操作法伝達 |
毎年この時期に処理業務が行われる、「中山間地域支援交付金」という事業の会計報告書を作成するという話である。
この処理に使うExcelプログラムは10数年前に自分が作り、その処理業務も自分が請われて行っていた。
ただし昨年から新しい動きがあって、事業全体の「世話役」の方が、自ら処理業務を行うという動きが出始めていた。
こちら→(2025/1/21)
今年はどうなるのかなと、時折頭をかすめていたのだが、今日の午後「世話役」の方から突然電話がきた。
「今度は自分たちでなく、Kさんに操作を頼んだ。Kさんはすでに自分で勉強を始めているが、わからないところがあるらしい。教えてあげてほしい」という内容である。
場所を聞くと昨年と同じ場所。
早速行ってみた。 事務所のドアをあけて中に入るとKさんが一人、すでにパソコンは開かれ、関係書類も周辺にある。
若干のやり取りの後、すぐに作業に移った。
Kさんからは、事前に予習が行われているらしく、「○○をして良いですか」などと、具体的な質問が出たりする。
一方私の方は、1年ぶりの作業。
作業の内容や手順を忘れていることもあり、私が作成した「資料作成手順」がすでに印刷してその場に置いてあり、その手順書を見ながら、アドバイスをしたりする。
私は口で説明するのみ、パソコンへの入力はKさんが担当。そんなやり取りをしながら1時間程度かけて入力作業を終えた。
計算処理が正しく行われたかどうかの判定は、昨年も記述しているように、計算結果の最後部に表示される通帳残高と実際の通帳残高が合致するか否かにあるのだが、最初にやってみた結果はこれが合わない。
このような現象は、1・2年前から起きるようになっていて、その場合の修正をプログラムの隠れた個所で行っていた。
このことを思い出し、実行してみると、両方の通帳残高が見事に一致した。
めでたしめでたしとなって帰ってきたわけである。
ところが帰ってきてから思い当たることがあった。
今日電話が来て出かけるときは、これまでの修正事項などあまり頭にないまま、急いで出かけたのであるが、昨年、この不備が起こる原因をプログラムを修正して、対策を終えたような気がし始めたのである。
昨年このことを小欄に載せた気もして確認してみると、果たして載せていた(前掲の昨年小欄記事は帰宅後探し出したもの)。
さらに、実プログラムを開いて確認してみるとやはり対策済みとなっていた。
となると今日事務所で行った「プログラムの隠れた個所で行った修正処理」は不要になるわけで、これは元に戻さなければならない。
明日Kさんに連絡し、対応済みのプログラムに戻して処理をし直そうと考えている。
読みづらい文章となったが、言いたいことは、処理業務を行っていただける後継者が現れ喜んでいるということである。
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| 2026年1月14日(水) |
| 備忘録、改良の歴史 |
ほぼ毎年この時期に行う作業であるが、パソコンに入力している昨年分の備忘録の印刷を行った。
そして小欄に、なぜ印刷を行うのか、その理由について記述しようと思ったわけである。
ところがここまで作業を進めてきて、急に気づいたことがあった。
同じ趣旨の内容を、既に小欄に載せたことがあるような気がし始めたのである。
同じ内容を載せるのも気が引けるので調べてみた。
果たして、載せていた。それも昨年のことである。 こちら→(2025/1/24)
ならば記述を没にするかと考えたが、それも口惜しい気がして、次善の策として、備忘録に係わる別の話題に切り替えることにした。
以下その結果
この備忘録は2018年から始めたのであるが、その後にもいろいろと改良を加えている。
その改良にまつわる事項を、ここで一旦整理してみようと思ったわけである。
備忘録の着手に最初に触れたのが2018年10月である。
こちら→(2018/10/16) 貼り付けた文章の編集作業の自動化について触れたのが同年の11月ピリオド
こちら→(2018/11/19)
年が変わって、新年度用のカレンダーを自動で作るようにし、文字の正誤表機能追加したのが2019年1月。
こちら→(2019/1/11) 備忘録の印刷機能を新たに追加したのが、やはり2019年の1月。
こちら→(2019/1/23) 音声入力の方式を、GoogleからWordに変更したのが2020年12月。
こちら→(2022/12/15)
と言う経緯を経ながら、備忘録の記入をし続けているわけである。
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| 2026年1月12日(月) |
| とんど祭り |
心配された雪であるが、幸いなことにほとんど降らず、予定されていたとんど焼きが開催された。
Mは手伝いがあり少し早めに車で出かけるが、私は無役なので、開催される10時に向けて、ウォーキングを兼ねて徒歩で会場に向かった。
場所は保養館横の広場。すでに櫓は組まれ、かなりの人が集まっていた。
式典の開始は予定通りほぼ10時。子供会の司会で始まる。
地元の神主さんの祝詞の奏上ほか一連の儀式がしめやかに行われる。
ついで玉串の奉奠など。
この間およそ30分あまり.
ついで温かいぜんざいが振舞われた。
コロナ禍以降、食べ物が振る舞われるのは久しぶりである。
2021年以降6年ぶりのことらしい。
このとんど祭り、我々がこの地に越してきた以前から続けられている。
越してきた当時はかなり盛大であった。
祭りは保養館からさらに一段高い広場で行われ、大きな櫓が組まれていた。祭りのあとは保養館に戻り、トン汁やぜんざいそれにお酒が配られ、賑やかにひとときを過ごしたものである。
こちら→ それがコロナ禍で様子がずいぶん変わった。
2020年は、コロナが始まった年であるが、まだ拡大しておらずとんど祭りが開かれている。
こちら→(2020/1/13)
2021年はコロナの拡大で中止。
2022年は開催されたが、神事とやぐらを燃やすのみ。飲食はなかった。 こちら→(2022/1/10) 2023年から場所が保養館横の広場に移り、この年はお神酒だけが振る舞われている。
こちら→(2023/1/9)
2024年も、2023年と同様の形で開催されている。 こちら→(2024/1/8)
2005年は、やはり保養館横の広場で1月12日に開催されているが、この日は向こう正面になる松島家(亀屋)のおばさんの葬儀が行われ、とんど祭りには参加していない。
という経緯である。
少しずつ様子に変化が見られはするが、それでも継続して続けられているのはありがたいことである。
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| 2026年1月11日(日) |
| 真冬日 |
昨日からの予報では、当地の今日は大雪の可能性ありと報じられていたのだが、雪は予報ほどはひどくない。
確かに間断なく、ほぼ終日雪が降ったが、雪の量が少なく、その積雪はせいぜい10Cm程度。
むしろ問題は寒さであった。
朝の10時過ぎであったが、雪が小降りの時があり、この間にウォーキングに行ってみようと外に出てで歩き始めたのだが、あまりの寒さに心が萎え、200m前後行ったところでウォーキングを中断し引き返したほどである。
どの程度寒かったのか、連続記録している温度記録のデータを拾い出してみた。
左の写真3枚は、我が家から見た屋外の状況。雪は終始降るが積雪は多くない。
問題は右に示した温度記録の結果。日が変わって11日の0時台から23時台までの温度変化を30分置きに計測した結果である。 日が変わった瞬間は6度程度温度があったのに、それ以降急激に温度が下がり、朝の6時頃0度を割っている。
その後も温度は下がり続け、午後になっても上がる様子は見せず、そのまま下がり続けてほぼマイナス2度Cまで下がって一日を終えた状況になっている。
このような場合、今日の最高温度は、日付が変わった当時の6度が最高温度で、午後の-2度が最低温度ということになろう。従ってプラスの温度があり、厳密には真冬日と言うことにはならないのであろうが、体感的には一日中マイナス温度の中で生活したわけで、今日の温度は実質真冬日という状況であった。
ともかく寒い一日であった。 当地では、明け方マイナス温度を記録することは珍しくは無いが、昼間の間0度以下という現象は、多くはない。
数年に1回起こるかどうかと言う程度の、珍しい寒い一日であった。
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| 2026年1月10日(土) |
| 有明の月 |
朝、一仕事終えて外に出たら月が残っていた。有明の月である。時間は7時前。
ネットで月齢を調べてみたら、丁度半月であった。
気配としては、穏やかな天気になりそうと思われた。 ただし、それは午前中だけのこと。
午後からは荒れ模様。強い風が吹く。
予報では、明日から大雪の可能性あり、と言っている。
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| 2026年1月9日(金) |
| 歩けるうちは人は死なない |
昨年末読売に掲載された書籍の宣伝記事である。
「歩けるうちは人は死なない」とある。 宣伝記事にある内容であらかた本の内容は推定できるので、本を買う気はないが、宣伝記事だけは保存しておいた。
医師の立場として歩くことを進めている内容と思われる。
良寛の薦めに従い「死ぬ時節には死ぬが良くて候」と、自分自身に言い聞かせてはいるが、それでも、死ぬまではピンシャンでありたい。
今回著者の萬田氏の言葉は参考にしたいと思うわけである。
特に冬場は外仕事が無いので、意識しないとなかなか外には出にくい。
努めてウォーキングには出るよう心がけている。
下段の写真は昨日と今日のウォーキング時のもの。
同じ場所で撮っていたので抜き出して掲載した。
昨日は小雪がまじる中を歩いたが、今日は快晴に近い良い天気。
「大股でゆっくり」歩いたが、時折「理想は速く」を織り交ぜた。
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| 2026年1月8日(木) |
| 今日の一汁二菜 |
今日は終日雪。
気温が高いせいかあまり積もりはしなかったが、それでも1〜2Cmは積り景色はまた真っ白である。
そんな次第で簡単なウォーキングをしただけで、外に出ることもない。家にこもって、図書館で借りてきた本を斜め読みする程度で日をすごした。
そんな次第で特段の話題もなし。苦し紛れの、一汁二菜である。
最初がばら寿司。
ばら寿司の具はMが大量に作り、1回分ずつ小分けにして冷凍保存してありこれを解凍し、すし酢は市販のものを使用する。作るのは薄焼き玉子のみ。
ご飯と混ぜて玉子をのせるだけ。造作はない。玉子の切りようが太いとMに笑われた。
次がぶり大根。
こちらは3日がかりの品になる。最初が4日のこと。4日の夕食に、正月用に求めたぶりのアラで、ぶりのあら煮を作った。その時のぶりのアラが写真中段左のもの。
この時のぷりのあら煮に参考にしたレシピは こちら→ その日は、あらを食べたあと汁が残る。捨てるのはもったいないので汁を。残しておいた。 その次の私の夕食当番は6日。残しておいたぶりのあら煮の汁でぶり大根を作った。レシピはない。
残った汁に大根とネギを入れて煮込み、味を調整するのみ。
ところが、大量に作った為か、少々残る。またもや残しておいて、今日食べることにした。今日はチンで温めるだけである。
最後が,
ねぎま汁。
参考にしたレシピは こちら→ レシピでは魚が使ってあるが、適当なものがないので鳥のささみにした。あとは正月用の残りのかまぼこを二切れ。
それとねぎである。
あれこれ考えたり見たりして作るので時間はかかる。一時間半近くを要して出来上がった。
味はなかなかと自賛している。
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| 2026年1月7日(水) |
| 今年最初の”サロン保養館” |
毎月2回水曜日に開かれるサロンの日で、年が明けて今年最初の開催である。
通常なら、別の建物である“田屋”で開催され、“サロン田屋”と称するのだが、その田屋が前を通る道路工事で出入りがしにくく、1月と2月の2ヵ月間は、集落の集会所である保養館で開催されることになった。したがって“サロン田屋”ならぬ“サロン保養館”である。
今日の参加者は、スタッフが3名、そして一般参加者は、常連の人2人が欠席で数が少なく4名、総員で7名という参加者であった。
一般参加者は11時後に集まるのだが、スタッフは8時半だから集合。
3名が腕によりをかけて準備した昼食を皆でいただくことになる。
今日のメニューは七草粥とお重。
味は勿論であるが、見た目も見事で、大変なご馳走であった。
昼食のあと少し休んで、皆で体操。1時間弱体を動かしてからお茶の時間。
お茶に添えられたのが、スタッフの一人が自宅で準備したバナナ入りのケーキ。
柔らかく、ほんのりと甘い。
甘さの元は砂糖ではなく、アイスクリームを溶かし込んだというから手がこんでいる。
30分程度お茶の時間があって、午後3時半ごろ帰宅した。
これで参加費は600円。
おいしいものをいただき、昼寝して体操をして、さらにしゃべってという、コスパの高いサロンであった。
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| 2026年1月6日(火) |
| 眼科健診と 地震と 初詣 |
今日は年が明けて最初の眼科検診の日である。
予約時間は普段より少し遅く10時半から。
家を若干遅めに出て、クリニックに着いたのが10時18分ごろ。いつもの通りMが運転してくれた。
クリニックの駐車場に車を止めた瞬間に小さな「ドン」と言う音がして車が揺れ出した。Mはなにやら私が騒いでいると感じたらしい。ただし隣に止まっている軽自動車が大きく揺れているのが見えて、地震が起きたと両者納得した。
今日、島根東部と鳥取を中心に大きく揺れた地震の体験談である。
クリニックでの診察内容はいつもの通り。検査があってのち医者の検診となる。
医者からは、「目の方は順調です」との発言が出るが、他には特段の言葉はなかった。年が変われば、次の手術の話が出るかと思っていたが、何もなし。そんな状態で検診を終了した。
検診が終わったのが11時半過ぎ。昼食を取って、Mが買い物をするという。私は車の中で寝て待つ。日が当たって車の中は暑いほどであった。
買い物の後の帰り道で、再びクリニックの前を通ったので、検診にきた証としてクリニックの写真を撮っておいた。
市内では雪が全く積もっていない。八色石とは全く異なる風景であった。
さらに車を進めると、物部神社という看板が目に入る。初詣をして行こうかとMが提案し、今年は雪で氏神様に初詣ができなかったので、この神社にお参りして、初詣をすることになった。
私は初めてであるがMは2度目という。なかなか立派な神社で、島根県では、出雲大社に次ぐ規模の神社らしい。
参拝客も散見できるが、混んでいるという状態にはなっていない。
ゆっくりと参り、初詣を終えることにした。
「検診、地震、初詣}という三題噺の簡単な経緯報告である。
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| 2026年1月5日(月) |
| 書棚の整理 |
実は、昨年の12月30日に行った作業であるが、この間掲載の機会がなかったことと、今日は他に適当な話題がないので、ここで掲載することにした。
2階自室に置いてある書棚の整理をしたという話である。
この書棚には、大きく分けて二つに分類できる性質の異なるものが置いてある。
それは、所謂一般の本類と、もう一つはA4封筒に収めた紙ベースの資料の二つである。
紙ベースの資料の保管方法については、小欄でかなり昔に一度触れている。
こちら→(2016/12/4)
この紙ベースの資料は、資料として生きていて、ちょくちょく利用する。
しかも新たに加えたりなどということも発生する。
したがって、1・2年に一度は整理するように心がけてはいる。
一方死蔵に近いのがいわゆる本。
本は、図書館で借りて読むことも多く、増える量は概して少ない。
そうは言いつつも、たまには本を買う。
それらが貯まりに溜って机の周辺に積んでおかれるようになってきた。
これらの整理を思い立ったわけである。
前回整理した日を調べてみると、2022年の3月であった。 こちら→(2022/3/7)
ほぼ、4年ぶりの整理である。
机周りは、積んだ本がなくなりかなり具合が良くなった。
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| 2026年1月4日(日) |
| 初常会と新年会 |
毎年1月の最初の日曜日に開催される初常会である。
この会での主要な議題は翌年度の新役員を決めること。
今年は集落長の改選期で、いつもならなかなか決まらず、選挙で選ぶのが常であったが、今年は段取りよく、すでに新会長の候補が予め了解がとってありすんなりと決まることになった。
これまで私も小さな役を一つ担当していたが、その役も改選期で、昨年の目の怪我を理由に辞退を申し出たら、気持ちよく代わりの人がいて引き受けてもらい、これでもって全ての役員から解放されることになった。
あとは順番で回ってくる役があるが、これは引き受けざるを得ない。
その後開かれるのが新年会。
昔から、新年会のメイン料理は湯豆腐と決まっていて、かつては、賑やかに行われていたものである。
こちら→
以後2020年まで続けられていたが、 こちら→(2020/1/5)
その後はコロナが発生し中断していた。
それが今年から再開されたという次第である。
実に、6年ぶりの再開となった。
参加者の中ではKが最年長。指名されて乾杯の音頭を取る場面もある。
今年の参加者は、少し遅れて加わった人も含めて18名。
初常会が始まったのが午前10時。
その後、レイアウトを変えて新年会が始まったのが11時、そして仮締めの形で新年会が終わったのが午後の13時であった。
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| 2026年1月3日(土) |
| 夕方ようやく道路が開いた |
昨日からの雪は昨夜も降り続いて、階下に降りて玄関のドアを開け外を見ると積雪は30Cm程度に増えている。
人の足跡はない。
今日は新聞が配達される日であるが、道路が開いていないので、配達は遅れるものと覚悟をした。
2階に戻って別の用をする。
今日は私が昼食の当番の日。
昼食を作ろうとして1階に降りるとMが、「先ほど県道に除雪車2台が出ていたよ」と教えてくれた。
窓越しに屋外を見ると、県道から我が家に至る町道は雪に覆われたまま。車の轍も人の足跡も全く見当たらない。
今日は年賀状の配達される日。それも無理かと思ったりなどする。
時間が経って、我が家に至る町道に除雪車が見えたのは午後4時過ぎであった。
除雪車の操作をしてくれる人は八色石の若者。
正月のうちから作業をするのは大変なこと、Mはお礼の挨拶をするため外に出たりなどする。
綺麗に開いた道路の様子もMが写真に納めて来てくれた。
それに刺激されて、私も母家周辺の建物をつなぐ小道を、雪用のスコップを出してきて開けたりなどする。
そんなこんなで、正月3日は暮れてしまった。
結局、新聞も年賀状も配達されなかった。
25年経験した正月で、初めてのことである。
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| 2026年1月2日(金) |
| 正月の大雪 |
昨日の午後から降り始めた雪であるが、今朝起きてみると積雪は10Cm程度になっていた。
その後も降り続く気配。
暮れから帰省していた娘が、予定を一日早めて、急いで帰ると言いはじめる。
広島行きのバスが停まる県境の町まで、急遽送っていくという事態になった。
送りに出ている間も雪は降り続ける。戻って来た頃には、雪の量はかなり増えていた。
裏納屋の車庫に止めては出られなくなる可能性もあり、車は県道沿いの車庫に置くことになる。
その後午後になっても雪が降り続いて、積雪は25Cm程度まで増えてきた。
夕方7時のNHKニュースでは、全国放送で、邑南町淀原の積雪が22Cmとでる。 “淀原”は八色石から直線距離で10キロほど離れたアメダスのポイント。全国放送で放送されるのは珍しい。
当地の今回の雪は、島根県でも多いほうになったのかもしれない。
いずれにしても、正月このように、一気に積もる現象は珍しい。
これで初詣はお預けであろう。
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| 2026年1月1日(木) |
| 新年互礼会 |
久しぶりに地域公民館で開催された新年互礼会に参加した。
4年振りの参加である。
昨年は孫一家が年末に帰省し、一日に東京に戻るということで送りに行って参加できず。その前年の2024年は、義母の喪中であったため失礼。その前年の2023年は、主催者の都合で互礼会が中止、と言う経緯をへて実に4年ぶりの参加になった。
10時から開催されるのであるが、前夜が紅白であったため遅く寝ていて、これに参加しようと思うとかなり忙しい。
以前は慌ただしくお屠蘇をいただいてのち参加していたのだが、今年は互礼会から戻って後、ゆっくりとお屠蘇をいただくことに改めて参加してきた。
参加者は90人弱。参加率は悪くないと思われるが、昔に比べるとかなり減ってきた。
式次第は、”町民憲章の唱和”の後公民館長の挨拶があり、その後皆で“一月一日の歌”を歌い、年男・年女の新年の抱負を語る場ととなる。その後、万歳三唱をして互礼会は終了。
その後、福引きの抽選会があって、集合写真の撮影、散会となる。
家に戻ったのは12時前であった。 戻ってのち祝い膳を整え、神仏にお参りし、そののち新年を祝ったという次第である。
そんな関係で、以前は午後に行っていた氏神様への初詣はなし。
今後いつ初詣を行うかの話は、今のところ出ていない。
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