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Kの散歩帖
里庭掲示板
2026年3月31日(火)
ドラマ 「片想い」
3月26日付け読売のテレビ欄記事である。


好みの脚本家、岡田惠和のドラマが放送されるらしい。
録画をかけてみることにした。放送日は26日と27日。2夜連続である。

岡田作品については、小欄で何度も紹介している。
 こちら→(2017/5/20)
 こちら→(2018/9/18)
 こちら→(2022/5/3)
 こちら→(2022/8/27)

年齢を重ね感受性が乏しくなった性であろうが、昨今ドラマを最後までみ終えることはそう多くない。
途中で飽きてしまうのである。
ところが岡田作品だけはそんなことがない。最後まで惹きつけられて、見終えるのである。
そんな次第で“ドラマは脚本家次第”、というのが私の持論でもある。


話を戻して、さて今日である。
昨日付けの記事、「私の履歴書 その2」を書いたのは今日の午前中。少々長い記事になったので書き終えたのは10時過ぎであった。
ウォーキングにでも出ようかと思えば外は雨。そしてMは仕事で出掛けて不在。

「そうだドラマを見よう」と思いついた。
録画済の岡田作品「片想い」である。


前後編、それぞれ45分の作品。
昼食を挟んで両者とも見た。飽きることなく、惹きつけられて視終えた。

出演している俳優さんが、また皆良い。
善人ばかりである。

最後は少しホロリとさせられる。



2026年3月30日(月) ラベル330
私の履歴書 Alダイカスト事業への進出 その2
私の履歴書シリーズその36である。
前回は こちら→(2026/3/26)

前回において、東芝機械製800TとBUHLER製660T機の2台のアルミダイカストマシンが設置されたと述べた。
いよいよアルミダイカスト産業への進出が始まるわけである。

少し余談になるが、この当時の職場の状況を振り返ってみる。
昭和43年に入社した私にとっては、昭和50年は7年目に当たる。入社した時の配属課名「鋳造課」であったが、その後名称が変更になり、当時は「製造第一課」。課長も3人目の横山課長になっている。
前回事務所スタッフの写真を載せているが、このメンバーが約10名。この他に製造現場として、作業長をチーフとする組織が別にあり、常一スタッフ約10名、それに三交代部門として約100名の社員で構成される。
合計120名余の大きな所帯であった。
そして、私の立場であるが、課内席次としては2番目。課長をサポートする役目になっている。

話を戻す。
当時、三井金属ダイカスト事業部は、亜鉛ダイカストとしては老舗、国内でも1・2を争う名門会社であったが、アルミダイカストとしては全く実績がない。
私の任務は、これを世間に伍していけるアルミダイカスト工場に成長させる、その技術的な責任者になったわけであった。

相当な覚悟が必要である。
そのためには、自分の業務配分をアルミ中心で行くと決め、課長と相談の上、それぞれの役割分担を、課長は亜鉛が8でアルミが2、一方私はアルミが8で亜鉛が2、というような事業配分で業務を回すことにした。


アルミ事業として当面の目標は、前回記事でもふれた5ヶ年計画の必達である。
内容は、直近5年間にアルミダイカストマシンを6台にするという計画であった。

それに見合う注文を取らなければならない。
後発メーカーとしては、それなりの新規なセールスポイントが必要で、そのセールスポイントは「より良く、より安く」とした。

「より良く」、とは
亜鉛ダイカストは装飾品が多く、内部の健全性より表面の美麗さが求められる。一方アルミダイカストは機能部品が多く、内部の健全性がもとめられる。
内部健全性とは、主として“鋳物巣”のないことで、“鋳物巣”は二つの原因によって発生する。
一つは鋳込み中の空気の巻き込みによるもの、もう一つは溶けた金属が固まる時に体積が減少することで発生する“引け巣”である。
この二つの原因で発生する欠陥を防止する方策として、我々が選んだ技法が「真空ダイカスト」と「指向性凝固」であった。

手帳にメモが残っている。


「真空ダイカスト」とは、金属を圧入する前に金型を閉じた瞬間、金型内部の空気を真空ポンプで吸い取って、金型の中に残留する空気を減少させ、空気の巻き込みによる“巣”を減少するものである。骨子となる技術は、BUHLER社から買い取った。
そして「指向性凝固」とは、金型の中を通す冷却水の量を調節して、金型の上部の温度を低く、下部の温度を高くなるよう制御し、溶けた金属を上部から下部に向かって順に凝固させ、製品の内部に引け巣が残らないよう固まらせるものである。
これらの技法確立のためには、もちろん私も動いたが、前回示したスタッフ写真の中で後列右から2人目のSさんと3人目のNさんに、中心になって動いてもらった。


「より安く」のためには、省力化と工数低減である。

省力化の方は、製品の取り出し方法の改善である。この方法は亜鉛ダイカストでも進められてきたが、アルミダイカストではより高度化させた。亜鉛ダイカストでは、エアーシリンダーを使った装置で取り出していたものを、当時出始めたばかりの産業用ロボットを導入したのである。
この業務に当たったのは、先のスタッフ写真で後列左から2人目のワイシャツを着た人、Mさん。彼は、私より3年遅く配属された学卒、阪大工学部機械科の卒業生。数年ダイカスト事業部で省力化の業務にあたったのち、米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)に社費留学し、卒業ののちはエンジニアリング部門に転出した。今でも年賀状のやりとりは続いている。

もう一つは工数低減。
ダイカストは鋳物の一種なので、製品の周辺にはいろいろな目的で不要な形状の部分が一体成型される。この不要な部分の除去のための作業である。
亜鉛ダイカストは、金属が柔らかく叩いて除去することができない。そのため抜型と呼ぶ金型を使って、プレス機を用いて除去する。設備的には抜型とかプレス機を必要とするが、人手による作業工数は少なくて済む。
一方アルミダイカストでは、もちろん、プレス機を使う方法も採用されていたが、金属がもろいためプレス機を使わず、木ハンマーで叩いて折り取り、除去するという方法がかなり採用されていた。
かなりの工数を必要とする。
これをアルミダイカストでも、全ての製品で抜型とプレス機を用いたトリミング法を採用することにした。
亜鉛ダイカストで培われた技術をアルミダイカストに応用し、工数低減を図ったわけである。
この改善には、全掲写真で、前列左から2人目のOさんに携わってもらった。


以上我々が取り組んできたアルミダイカストへの技術改善であるが、もちろん簡単ではない。それぞれ力を合わせ、年月をかけながら取り組んだわけである。
そのお陰もあって、新参者ながら注文も増え、機械を増設することができたのであった。
昭和51年に、東芝機械製の800Tと650Tが導入され、その翌々年、昭和53年には1200Tと800Tが導入された。1200Tはさすがに大きいという印象を受けた記憶が残っている。

以上述べて来た昭和50年から昭和53年にかけての4年間は、私自身、ほぼアルミダイカスト技術の確立に没頭した時期で、いわば私の”アルミダイカスト没頭時代”と呼んでも良いかもしれない。
思い返せば嫌な思い出の極めて少ない、振り返るのが楽しい、時期であった。


いつのことであったか記憶が定かでないが、田中ダイカストの生え抜きの技術者が事業部に来て話しかけてくれ、「生産量ではまだ負けないが、技術力ではすっかり抜かれてしまったな」と評価してくれたことがある。
アルミダイカストを始めた当初は、何度か訪ね、技術的相談をした人であり、そのような評価を受けて大いにうれしかった、という記憶が残っている。


このような経緯をへて、アルミダイカスト事業もほぼ軌道に乗ってきたと思われる昭和54年4月である。
新たな人事異動が発表された。

が、そのことについては次回以降で触れる。


なお、このアルミ事業の生みの親とも言うべき国安さんが、丁度この時期に亡くなっている。
亡くなったのは昭和53年8月17日。享年53歳であった。


私が入社した時の直接の課長。
以後この“国屋さんに褒められたいと思う一念”で仕事をしてきた。
「巨星落つ」の感がして、痛恨の極みであった。



2026年3月29日(日)
「春迎え」 第3号
今日は全国的に暖かく、4月後半から5月はじめの気温を示す個所も多いらしい。
八色石も同様、暖かく、動けば少し暑いくらい。

そんな中、「春迎え」の第3号。
猪除けのトタン壁の修理である。

以前はトタン板を固定する杭に孟宗竹を削って用いていたのだが、孟宗竹の寿命はせいぜい2・3年。毎年杭の更新で時間を要していたのだが、3年くらい前から杭を鉄筋に置き換えていて、トタン壁の修理も随分楽になってきた。
そのほかで行うのは、猪をはじめとする動物が突きあたるのであろう、トタン板が変形している個所があり、それを直すのも作業内容の一つである。

全部で10カ所程度直したと思われるが、そのうち代表的な事例を次に示す。
左の列が修理前、右が修理後である


作業をしたのは午後であるが、要した時間は1時間半弱。


この作業、原則的には年に1回、この時期にだけ行なっていて、自分の心づもりとしては、春を迎える作業の一つになっている。



2026年3月28日(土)
我が家の梅が満開
世間では桜が満開と言う地域もチラホラあるよだが、我が家は梅が満開である。


写真上は「横庭」に咲いた枝垂れ梅、下二つは母屋の横で咲く白梅と紅梅である。
枝垂れ梅と白梅は以前からあるが、紅梅は2・3年前Mが手植えしたもの。
さらに、剪定ほか日頃の管理は、すべてMの手になる。

この満開の状態は、3・4日前からこの状態になっているが、根本を見るとまだ花は散っていない。したがって満開すぎというところまでは行っていないと思われる。


一方我が家の桜の方は、2・3日前から彼岸桜が咲き始めた状態。
彼岸桜が散り始めた頃染井吉野が咲き、そののち八重桜、山桜と続く。

里庭は、これから、いよいよ春本番である。


作曲家の坂本龍一氏は、「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」と、思い巡らしたと聞くが、それを真似れば、「私はあと何回、春を迎えるこの期待に満ちた気分を味わえることか」と、考えることもがないではない。



2026年3月27日(金)
今年最初のグランドゴルフ
毎月、最終週の金曜日に開催される軽スポーツの日である。

昨秋11月に昨年最後のグラウンドゴルフが行われたが、 こちら→(2025/11/28)
その後は冬期に入り、屋内スポーツが実施されている。

そして今年、春を迎え、今年最初のグランドゴルフが催されて、参加してきた。


今日の参加者は14名。3組に別れてゲームが進められた。
私が所属したチームはCチーム。男性3名、女性2名のチームであった。

試合が始まる前、少し練習してみたらかなり調子が良い。ほぼ思った通りの球筋になる。
ところが、本番になるとガタガタ。結局総合で9位という成績で終わってしまった。


試合開始頃は少し寒い感じであったが、試合が進むうちに暖かくなり、最後の方では上着を脱ぐような状況。
成績は悪かったが、春の訪れを感じながらの一時を過ごし、帰ってきた。



2026年3月26日(木) ラベル326
私の履歴書 Alダイカスト事業への進出 その1
私の履歴書シリーズその35である。
前回は こちら→(2026/3/10)

前回まで複数回にわたり、同僚4人でスイスに出張し、BUHLER社でアルミダイカストの研修を受け、その後渡私一人米国に渡り、薄肉亜鉛ダイカスト技術のセミナーを受講した経緯について記述してきた。
40日間日本を離れていたわけで、戻ってきたのは昭和50年5月31日のことである。

帰国後、米国セミナー結果の国内での伝達講習会などあったりもしたが、仕事の中心はアルミダイカスト事業を社内展開することが本務となってくる。


ただし、そのことに触れる前に、これまでの記述で誤りがあったので訂正を入れることにする。
誤りがあったのはかなり以前の記事、 こちら→(2025/7/4)

亜鉛ダイカストの将来性に疑問を抱き、新しい事業(アルミダイカスト事業のこと)への動きが始まったが、そのことを私が承知したのは昭和50年になってからと記述しているが、そんなことはなく、昭和49年の新事業検討の初期から関わっていたのであった。

誤りを示す新資料が見つかったのである。
事の発端は、またもや以前に戻る。 こちら→(2026/2/1)
仕事に関係あるメモを記載した手帳が出てきたと記述した。

アルミダイカスト事業への進出記事を書くにあたって、今回その手帳を読み返してみると、昭和49年(1974年)から、私も深く関わって、新事業進出への検討を行っていたのである。


上の資料は手帳に残されたメモのうち、アルミ事業に関する中で主だった個所を抜き出したものである。
アルミ事業の5ヶ年計画を示した部分や、10月にはダイカストマシン2台の本店認可が下りた記述などが見える。
11月の記事では、現場班長とアルミ製造に係る鋳造機手(マシンオペレーター)を選任し、神岡部品(三井金属の子会社)にて実習をさせる計画も立てたりしている。

このような経緯をへてスイス・BUHLER社での研修になったのであった。


昭和50年に話を戻す。
2台のダイカストマシンが設置されることになった。
1台がBUHLER製660Tともう1台東芝機械製800T、の2台である。

据付けの日程を示すメモが残っていた。


800Tの方は、6月30日に打ち合わせたメモによると、7月1日から据付工事が始まり、諸々の作業日程をへて試運転の日は8月22日となっている。
一方、660T機は、6月16日にハンブルグ港から船積みで日本に向かい、7月中旬横浜に入港。2週間の通関手続きを経て、我が工場に入るのは8月3日なっている。その後据付工事が行われ、試運転は8月25日。本格的な操業開始は9月1日となっている。


当時の様子を示す写真が残っていた。


左は据え付けて間もない頃と思われる、800T機の後方に立つもの。アルミダイカストマシンが写る写真はこの一枚しかない。
中程に立つ3名は機械のオペレーター、そして右に立つワイシャツ姿は東芝機械の営業マンである。この営業マンとは、公私に渡りお付き会い願うことになり、今でも年賀状の交信が続いている。

右の写真は当時の課長以下、事務所スタッフが写るもの(社員旅行時のもの、仕事中の写真は見つからなかった)。写るメンバーから見て、昭和50年でなく昭和51年のものと思われるが、これらメンバーが、アルミダイカスト事業の推進を支えていくことになる。


予定紙面が尽きた。
続きは次回に回す。



2026年3月25日(水)
またまた 一汁二菜
今日はほぼ一日雨。ウォーキングもせず家にこもっていたのでネタがない。
またしても一汁二菜である。

それも、今日のものではない。
今日は昼食当番で、ラーメンを作り、昨日の夕食当番ではお好み焼きを作り、いずれも写真がない。
したがって、今日掲載の一汁二菜は、その前の夕食当番時のものである。


メニューはしめ鯖の刺身と麻婆大根、そして汁である。


まず、しめ鯖。
しめ鯖と生姜のすりおろしはMの手で冷凍して保存してあり、それを解凍して、しめ鯖は切るだけ。
添えたのは白菜のみじん切り。
至って造作はない品である。

次が麻婆大根。
参考にしたレシピは  こちら→
参考にしたのは大根の処理のところ。ただし電子レンジのみでは硬かったので、煮込むときに時間をかけて柔らかくした。
調味料も一応参考にはしたが、普段作る麻婆豆腐の味付けを思い出しながら、我流で最後は仕上げてみた。

最後が汁。
ねぎとちくわがあったので、入れてお澄ましにした。
だしは粉末だしと酒、味付けは我流である。

今回はあまり時間をかけなかったが、美味しくできたと思っている。



2026年3月24日(火)
枯れ木を 2本整理した
昨日と今日は、晴れて暖かな良い天気。冬の時期から、暖かくなれば実施しようと思っていた作業を行うことにした。
枯れ木が2本立っていて、それを倒して整理をするという仕事である。

1本は栗の木。昨年から枯れはじめ、雪の重みで少し傾いている。根元の直径は15CMあまりで、さほど太い木ではない。場所は「竹林跡」。孟宗竹を処分したのち自生した木で、そのまま残して大きくしてきたものである。

もう1本はヤマハゼ。かぶれの木である。場所は「義衛台」の一角。
枯れ始めたのは2・3年前であるが、この木は樹液が肌に着くとかぶれる。根元は30Cm程度ある太い木で、枯れ始めたからといってすぐに倒す作業を行うと、まだ樹液が残っていて、肌につく可能性もある。当分は放置と決めていたものであった。
ここにきて完全に枯れ、もはや樹液が出る可能性はない。思い立って倒そうと思った次第であった。



昨日はそれぞれ倒して枝を小分けにするまで。そして今日は、倒した木や枝の整理である。
2日とも、2本合わせて2時間を要した。

一昨日提起した「春迎え」の作業と言えなくもないが、定例的な、毎年行う作業ではないので、「春迎え」とはしなかったわけである。


だんだん春めいてきた。「冬籠り」も終わりである。
ただ、無理をせぬよう、ぼちぼち参ろう、と自分に言い聞かせている。



2026年3月23日(月)
酒量が減ってきた?
またしても酒の話。
ただし今日はビール(第3)ではなく、ウイスキーの方の話である。

飲む銘柄はニッカの「ブラック」、4L入りである。
この「ブラック」を、サントリーの「響」の瓶に詰め替えて飲む。
このことは以前も触れた。 こちら→(2019/2/16)

購入先はアマゾン。
先の記事の頃は、無くなったらアマゾンに注文をかけていた様であるが、数年前からは、「定期おトク便」に変更した。こちらの方が10%安いからである(最大割引率の時。3品以上注文で最大割引となる)。
月に1回、毎月16日に届くようになっている。


去る3月16日にも配達された。

この月1回の配達であるが、1・2年前までは、月に1回の配達では間に合わない時があって、途中で不定期で1回注文し、間に合わせるという事態が起きないでもなかった。


さて今日である。
「響」の瓶が空になったので、これまで入れていた「ブラック」のペットボトルを持ち出し、詰め替えたところ、丁度ペットボトルが空になった。
次回詰めかえるときは、新しいブラックのペットボトルを使うことになる。

これまでならこの時点で新しいペットボトルは1本のはずなのであるが、今日は新しいペットボトルが2本になった。
これまでの経験では初めての事である。


普段からウイスキーを飲むときは、あまり思いを巡らすことなく、気の向くまま自由に飲む。
したがって以前なら、足らなくなり、追加注文の必要が生じていたのだが、今回はあまりが出てきたという状況である。
普段自由に飲む酒の量が、ここにきていつの間にか減っているのかもしれない。

酒量が減ったということは、一般的には喜ばしく思えるが、減った理由が老化の性と考えれば、さみしいことでもある。


次回、4月16日に予定されるものは、1回スキップしようと思っている。



2026年3月22日(日)
「春迎え」 第2号
昨日に続いて外仕事を行った。第2号である。
行った作業は雑木の雪囲い撤去。
昨年11月「秋じまい」として行った作業 こちら→(2025/11/21)
の折り、設置したテープの除去作業である。

昨日は暖かな良い天気であったが、今日は打って変わって温度が低い。防寒対策をしての作業になった。
しかも、午後からは雨の予報。
したがって仕事をしたのは午前中である


(左が撤去前、右が後)

この撤去作業、昨年はいつしたのであろうと探してみると、3月31日に行っていた。
 こちら→(2025/3/31)
今回より10日ほど遅い着手であった。

それはそれで良いのだが、この記事の中にはもう一つ面白い内容が含まれていて、この時期、春先に行う作業を「春迎え」という、優雅な名前で呼ぼうと提案していることである。

この自分自身が提案したことをすっかり失念していたわけで、今回からは忘れず使おうと、今日の小欄タイトルを「春迎え」という用語を使って表示したわけであった。

その意味では、昨日が第1号、そして今日は第2号である。



2026年3月21日(土)
外仕事 第1号
少し以前、Mに頼まれて外仕事を行ったことはあるが こちら→(2026/3/5)
自発的に行う作業で、今年の外仕事 第1号である。

場所は、「別棟」と呼ぶところ。
数年前から野芝の株を植えているのだが、その一部は狙いが成功し、野芝が定着して茂っている場所がある。
その野芝、本来なら昨秋「秋じまい」の一環で、かり取れば良かったのだが、目の怪我の影響もあってそれができず、丈が伸びたまま枯れて冬を迎えたのであった。
その後雪となり、雪が溶けた後を見ると、雪の重さで枯れた芝は密集して横になり地面を覆っている。

このままでは根の部分に陽が当たらず、新芽が出ないのではないかと思い始めた。

そんな思いがあっての作業。
枯れた野芝の刈り取り作業である。


今年初めて使う草刈機。午前中に用意をしておいた。
草刈作業は午後から。晴れて良い天気。気温も上がっている。
作業をしていると汗ばむほどであった。

要した時間は丁度1時間。

終了後は爽快と言いたいところだが、大した作業でもないのに、少々疲労感が残った。
体力が落ちていると実感したのである。



2026年3月20日(金)
フィルムスキャナー
ただいま小欄に掲載中の、「私の履歴書」の事前準備に関係する話である。

これまで書き進めたのは30歳台初期までで、会社生活ではスタッフ的な業務に従事してきた時期であった。
スタッフ業務の場合、仕事の内容がイベント的なものであり、比較的多くの写真が残っていた。

ところが、これから書き進める内容は、会社生活ではライン的な業務が多くなる。
ライン業務は毎日同じ内容の繰り返しで、変化に乏しく、日常業務を写真に撮って残しておくという機会は極めて少ない。
今手元に会社時代に写した写真が未整理で残っているのだが、それを見ると宴会とか課内旅行とかそんな類の写真ばかりで、仕事をしている写真がほとんどないのである。

これから“履歴書“を書き進める上で、も少し仕事をしている姿を写した写真はないものかと思い始めた。


話しが少し転ずるが、
私は、会社入社時からPENTAXのカメラをいじっていて、それ以降に写したフィルムが保存してある(フィルム本数、200本余)。
結婚以降のものが中心であるが、必要な部分は、Mが焼付けをして家族アルバムにして保存してある。

一方、カメラを会社に持って行った記憶もあって、Mが焼付けをしたのは家族アルバムに必要な写真のみで、会社業務を写した部分は焼き付けがされてない、とも思われる。


残してあるフィルムをもう一度見直せば、会社業務を写した写真が見つかるかもしれないと思ったのであった。


残してあるフィルム類は、ポジフィルムも多少あるものの大半はネガフィルムである。
このままでは見ることができない。フィルムスキャナーなど見るための道具が必要になってくる。

買い求めるか少々迷ったが、息子が持っている可能性もあり、最初に聞いてみた。
息子の返事は「常々欲しいとは思っているが、まだ買っていない」という。
息子も欲しいなら、私の用済み後息子に回せば無駄にはならない。遊びついでにと、買い求めることにした。


調べてみる結構難しい。
方法が何種類もあり、その中でも初級からPro仕様までいろいろなランクがある。

相談する相手がいないのでチャットGPTに相談してみた(写真、左)。
2万円以下でネガ・ポジ両方対応できるフィルムスキャナーのお勧めを尋ねたところ、日本製Kenko KFS-14DF が良いとの回答である。


アマゾンで調べると確かに2万円以下(写真、右)。
買い求めることにした。
届いたのは1週間前。



以後数日かけて調べてみたが、中は風景や家族写真ばかり。
仕事の様子を写したものは何も見つからない。全体の2/3程度確認したところで作業を中断した。
この一連のフィルム群の中には、望む写真は入ってない模様である。


現役中、本社に出向いて業務報告をした事例が少なくとも2回はあり、この時使った写真が必ずあるので、どこかに保管したのであろうが、今回のフィルム群の中ではなかったようである。
もはや探しようがない。



2026年3月19日(木)
梅が満開
今日の午後ウォーキングに出た時の話である。
コースの途中、川向うに梅が群れて咲く場所がある。

1週間くらい前から咲き始めたと思うのだが、今日見るとかなり咲きそろっている。
9分咲きか満開か。


この梅の群れ、自分は勝手に“八色石の梅園”と呼んでいて、こちら→(2021/3/19)
梅の咲く時期には、一人愛でながら歩くわけである。


かなり春が近づいてきた。
テレビ報道では、今日東京で桜の開花宣言が出たという。
八色石で桜が咲くのはもう少し先になるが、それでも至近距離にあるのは違いない。

いよいよ春である。



2026年3月18日(水)
龍和会 総会
八色石集落の老人会である「龍和会」の、令和7年度年次総会が開催され出席してきた。

毎年この時期開催され、昨年は次であった。
 こちら→(2025/3/12)

今年も、ほぼ昨年と同様の形式で開かれる。


昨年まで、10年余り役員の形で関与してきたが、昨年度ですべての役職から離れ、今年度は無役。
役員は9時から集まったが、私は会が始まる10時に向けて参加。
ゆったり、のんびり、の参加になった。

総会資料で見ると、総会当日の在籍者数は24名。ただし施設に入所しておられる方もあったり、また不参加もあって、本日の総会出席者は13名であった。


総会のものと思われる昔の写真を探してみると、2018年3月28日付けのものが残っていた。


今日のものと見比べると、参加者数はかなり多く、一方、写っている方の2/3程度の方が今日の写真には載っておられない。
歳月の隔たりを感じた次第である。



2026年3月17日(火) ラベル317
左目、眼科検診
一ヶ月ぶりの左目眼科検診に行ってきた。今回が通算23回目の検診となる。
前回は こちら→(2026/2/17)

今回もMの運転で、我が家を8時半過ぎに出発しクリニックには10時少し前に到着した。
今日は、普段に比べ患者数がひどく多い。席を探すのにひと苦労するほどであった。


通常は受付の手続きを終えると、あまり時間をかけずに、最初の工程になる諸検査が始まるのだが、今回はそのお呼びがなかなか掛からない。10時をかなり回ってでも声がかからないのである。
何か手違いが起きておるのかもと思いつつ、次の呼び出しの中に名前が入っていなければ尋ねてみようと思っているところで、呼び出しがかかった。

検査はいつもの手順で手際よく進められる。
検査が終わって待合室で待っていると、医者の診察となるのだが、今度は検査終了後あまり時間をかけずに呼び出しがかかった。

眼球そのものの回復状態は、順調らしい。
現段階でもっとも回復の課題となるのは、左目と右目の画像がずれる問題である。
医者の判断は、今だ状況が落ち着いていないという考え方なのであるが、一方私の方は、この2・3ヶ月状況が変わらないので、手術など次の新たな段階に進み、事態の決着をつけたいという思いももないではない。
そんな主旨のことを私の方から少し言いかけると、医者は、今だ落ち着いていないと力説し、6月ごろまでは様子を見ましょうとの発言を持って、結論となった。

当分、今の生活が続くことになる。
まあこれも致し方ない。

太田で買い物し、昼過ぎに我が家へ戻った。



2026年3月16日(月)
本日休刊
2026年3月15日(日)
遅咲きのマンサク 咲く
少し以前、マンサクが咲いたと小欄に載せた。 こちら→(2026/3/3)

その際も触れたが、先のマンサクのすぐ脇に遅咲きのマンサクが植わっていて、その遅咲きのマンサクが咲き始めた。
前回記事では、「あと数日もすれば」と記載していたが、なかなか咲かず、ここにきて漸くのことである。


まだ満開ではない。満開になるまでには、それこそあと数日かかるのであろう。


ここのところ三寒四温が続いている。しかもそのうち“寒”の方はかなり強烈。
“温”が続く、本格的な春の訪れが待たれる。



2026年3月14日(土)
.ふたたび なごり雪
3月1日、小欄では“なごり雪”を掲載し こちら→(2016/3/1)
今冬の雪とは訣別したつもりになっていたのだが、3月8日に少量とはいえ雪が降り
 こちら→(2026/3/8)
大いに驚いた訳である。


ところが、その立春後の雪は10日にも降って、景色を白く染め上げたわけであった。


その2日に渡った雪の雪摺りの名残が、今日は消えた。
午前中に見たときは表庭と裏庭に、合計3個所小さな雪の塊が残っていたのが、夕方見るとすべて消え失せていた。


おそらく今度は、正真正銘のなごり雪であろう。



2026年3月13日(金)
こんどは おでん
最近小欄で流行りとなった、ネタ切れ時の窮余の一策、夕食作りの話である。
しかも、今夕作ったものではない。

今日は昼食が当番で作ったのは鳥ミンチの雑炊。
昨日は夕食当番であったが、作ったのはイカと豚肉の団子鍋。この鍋はつい最近(2月28日)に載せていて、これをここに載せるのは気が引ける。
したがって今日載せるのは、さらにその前の夕食、日付で言えば10日の火曜日に作ったメニューである。

で、何を作ったかというと、久しぶりの“おでん”である。
最近作った記憶がないので、この前おでんを作ったのは、1・2ヶ月は昔の事と思われる。

ただ今回のおでんには、ちょっとした異変がある。
普段、おでんを作るときは、袋詰めされたおでん用の練り物が、冷蔵庫に保管してある時作るのが常套なのであるが、今回はそれがない。
にもかかわらず作ったというところが、普段とは違うのである。


あとは普段通り。

参考にするレシピは、2年前の「あさイチ」で紹介さ出た荻野さんのもの。
以前はあさイチのレシピ集で見ることができたが、今回探したら、もはやレシピ集から削除されていた。
私はOneNoteに保存しているので、参考にここに写しを再掲してみる。


ただしわが方は、始める前に一度軽く読むだけ。あとは我流の部分がかなりある。


牛すじは鶏肉に変わっている。荻野さんレシピにある椎茸とトマトは冷凍トマトであるが入れた。荻野さんレシピにない皮付きのジャガイモと豆腐が入っている。


荻野さんのレシピにない方法でもう一つ我流は、一度煮込んだ後30分前後、火を止めて全体を冷やす。食べる前にもう一度加熱という手間を取る。
この冷ます過程で、具材に味がしみこむのである。

かなり昔、誰かのレシピを読んでいた時学んだ方法で、以後煮物の時にはよく採用する技法である。
その分早めに調理を始める必要があるが、出来上がった料理は味の染み込み具合が全く異なるので、できる限りこの手間を取るようにしている。

さて今回のおでんの結果であるが、私としては上等の部類に仕上がった、と思っている。



2026年3月12日(木)
Office Lens が使えない
2,3日前、備忘録を確認してみると3月9日のことであった。
「Office Lens」というスマホアプリが使えなくなった。

「Office Lens」とは、スクラップ写真などを撮るときのアプリで、斜めからとっても真上から撮ったように補正し、しかも不要な部分を切り捨てるトリミング機能が着いた便利なアプリで、この10年近く愛用して使っていて、
 こちら→(2016/5/15)
小欄を書く上でも必須のアプリであった。

それが、プリを開いても、普段使う画面が表示されないのである。
原因がわからず、スマホを再起動してみたり、我流の対策を試みるが復帰しない。
それなら、アプリを一旦アンインストールし、再度インストールして新規なものを入れれば使えるかと、アンインストールして、グーグルプレイを開くと、今度はOfficeLensのアプリ自体が表示されないのである。
もはや万事休すであった。

致し方なくネットを開いて相談をかけてみた。
次の表示が出る。


単独のOfficeLensアプリは停止され、OneDriveの中の一機能として変更になったらしいのである。

ならばとOneDriveを開いてあちこち探すと、確かにOfficeLensの機能は残っていた。
ただし、取り込んだ結果の表示される映像は、JPEGではなくPDFなのである。
私の場合普段使うのはJPEGなので、PDFをさらにJPEGに変換しなければならない。
このような手間はかけられないと判断し、OneDriveの使用は諦め、ほかのアプリを探すことにした。


これまで通り、GooglePlayを開いて直接に探す手もあるが、今回はチャットGPTに相談をかけてみた。
チャットGPTが答えた結果である。


Lensユーザーの移行先として三つのアプリが提案された。
いずれも試してみたが、私にとっては、3番目の「Clear Scan」と言うアプリがもっとも使いやすく、これを採用することにした。

使用結果の例である。


半日たっぷりかかる試行錯誤の結果として、得られた答えであった。



2026年3月11日(水)
東日本大震災15年
2011年3月11日午後2時46分頃発生した東日本大震災から、今日が丁度15年目にあたる。
新聞そしてテレビなど特集記事や番組を編集して、この大震災を追悼している。

わが方も、新聞・テレビにならい、15年前の3月11日をふり返ってみることにした。


まず備忘録。
現在は備忘録をExcelに記述しているが、当時は高橋書店の「5年日誌」に記載していた。


このページ、2011年以降の3月11日と12日の5年分が載っているが、読んでみると公表して不都合な内容が見当たらないので、そのまま掲載してみた。
現在はも少し詳しく記載しているが、当時はこんなものだったと、振り返ったりもする。

さて2011年の3月11日は、見出しのような形で「東北関東大震災」の文字が見える。
続いて展示会に行ったとの記載があるが、この日のことは今でもかなり鮮明に記憶が残っていて、車で20分程度離れた場所にある農機具等の展示会に行ったのであった。
その展示会から少し離れた場所に、もう一つ別の展示会が開かれていて、そこに立ち寄ったところテレビの前に人だかりがあったと言う経緯である。
急ぎ戻って、我が家でテレビを見ることにした。

家に戻ってみると来客がある。このことは備忘録に記載していない。
Mの友達が見えていて、2人でテレビに見入っていた。
普段生活の拠点としている居間とは違う部屋に、炬燵が出してあって、その炬燵に入ってテレビを見ていたわけである。
私もその炬燵に入り、しばらく3人でテレビを見た光景が今でも鮮明に残っている。


一方、写真に何か形跡はのこっていないか調べてみた。


我が家では、2001年以降のデジタル写真はGoogleフォト(補完的にアマゾンフォト)で管理するようにしていて、昔の写真も容易に表示できる。

上の写真は2011年3月の写真をGoogleフォトで表示させたものである。
結果としては、3月7日の写真が保存され、次は3月14日になっている。
3月11日の震災関係に関する写真は何も残っていなかった。

当時、我が家でデジタル写真が撮影できる機器はペンタックスの一眼レフのみで、スマホで簡単に写真が撮れるようになるのはかなり後年の、Kが2014年、Mが2017年からである。
震災関係の写真が残っていないのは当然のことかも知れない。


15年経った今でも、避難生活をしておられる方が多数に上るとか。
大変な大震災であった。



2026年3月10日(火) ラベル310
私の履歴書 米国ILZROでの亜鉛ダイカスト技術セミナーへの参加 その2
私の履歴書シリーズ その34である。
前回は こちら→(2026/3/6)

前回は米国でのILZROセミナーに参加した模様を報告したが、ここでは、そのセミナーの中心内容である、Battelleで行われた「薄肉亜鉛ダイカスト製造技術のトレーニング」内容を、帰国後日本のメーカーに伝える、伝達習会の模様について報告する。


ただ本論に入る前に、本来なら前回の記述で示せばば良かったのだが、それを怠ったので、ここで示すことにするが、なぜこのようなセミナーが開催されたかという時代背景について述べておく。

ただ文章そのものは、今流行りの“チャットGPT”に作成させた。私が条件を与えてそれに従って表示させたものであるが、内容は97%以上正しく記述されてると思われる。
少々長いがここに全文を載せてみる。


【我方からの指示文】
亜鉛ダイカスト製品は、精密でかつ表面処理ができるという特徴があり、しかも高速で生産できるという利点があった。そのため自動車のヘッドランプ枠など自動車外装品や電子レンジの枠など家電製品にも利用されていたのだが、比重が6.7程度あり出来上がった製品はかなり重い。したがって昭和40年後半から50年代に掛け、軽量化を目的とした「薄肉亜鉛ダイカスト技術」が叫ばれるようになってきた。
この動きを当時の時代背景、特にプラスチック製品との競合など含めて解説してください。
およそ千字程度に、箇条書きでなく、まとめて記述してください。
文末は「です。ます。」でなく「だ。である。」調で願います。

【チャットGPTの回答】
1960年代後半から1970年代にかけて、日本の製造業は高度経済成長のただ中にあり、自動車、家電、電子機器などの分野で生産量が急速に拡大していた。この時代、亜鉛ダイカストは寸法精度が高く、鋳肌が美しく、さらにメッキや塗装などの表面処理に優れるという特性から、外観品質が求められる部品に広く利用されていた。自動車分野ではヘッドランプ枠や装飾部品、家電分野では電子レンジやオーディオ機器の外装枠などに採用され、精密で量産性に優れた材料として一定の地位を確立していたのである。加えて、ダイカスト法は金型を用いるため生産サイクルが極めて短く、大量生産に適していたことも普及を後押しした。

しかしその一方で、亜鉛合金は比重が約6.7と比較的重い材料であり、完成した製品重量が大きくなるという弱点を持っていた。高度成長期の後半になると、自動車産業では燃費向上の観点から車両の軽量化が重要課題となり、また家電製品においても輸送効率や取り扱い性の観点から軽量化が求められるようになった。この流れの中で、従来の設計のままでは亜鉛ダイカスト部品は重量面で不利になるという認識が強まり、材料を変えるのではなく肉厚を減らすことで軽量化を図る「薄肉亜鉛ダイカスト技術」の開発が注目されるようになったのである。

さらにこの時期、工業材料の世界ではプラスチック材料の急速な発展が進んでいた。ABS樹脂やポリカーボネートなどのエンジニアリングプラスチックが実用化され、成形技術の進歩とともに自動車部品や家電外装に広く採用され始めた。プラスチックは軽量であり、複雑な形状を一体成形でき、着色も容易であるため、コスト面や設計自由度の面で大きな競争力を持っていた。従来は金属で作られていた外装部品の一部が次第に樹脂化されていったことは、亜鉛ダイカスト業界にとって無視できない脅威であった。

このような材料競争の環境の中で、亜鉛ダイカストの優位性を維持するためには、従来の厚肉構造を前提とした設計から脱却し、より薄肉で軽量な鋳物を高品質で安定的に生産する技術が不可欠となった。薄肉化を実現するためには、金型設計の高度化、溶湯の流動性を考慮したゲート設計、射出速度の高速化、温度管理の精密化など、多方面にわたる技術的改良が必要であった。また鋳造欠陥を抑えつつ薄い肉厚を確実に充填するためのプロセス管理も重要な課題となった。

このようにして1970年代を中心に「薄肉亜鉛ダイカスト」は、単なる軽量化技術にとどまらず、プラスチック材料との競争の中で亜鉛ダイカストの価値を再定義する技術として発展していったのである。金属特有の剛性、寸法安定性、表面処理適性といった特長を維持しながら重量を低減する試みは、その後のダイカスト技術の発展にも大きな影響を与えることとなったのである。


以上であるが、このうち太字で示した内容を解決しようとするのがILZROセミナーの目的であった、と思われる。


前置きが長くなった。今日の本題に戻る戻ることにする。
伝達講習会である。

昭和50年7月に、東京、大阪、名古屋の3ヶ所で開催された。
その講習会の依頼文と、終了後の私の出張報告書が残っている。


報告書によると、講習会参加者は3会場を合わせて110名。当時の亜鉛ダイカストメーカーの数からするとかなり盛況であったと思われる。講習会の講師役は前半部を私が担当し後半部を吉沢氏が担当したと記載されており、分業で行ったものと思われる(ここらあたりの記憶があまり定かではない)。

この時の講習会で使用したテキストが次である。


テキストの内容を今回改めて確認してみると、それは前回の記事の中で、帰国後「出張報告書」をまとめて提出しているが、その中で、「Battelleにおけるトレーニング」の内容とした部分を、原則そのままテキストの原稿として提出している模様であった。


その後少し間をおいて、Battelleでのトレーニング時に供与されたテキストの日本語全訳が出版されている(訳者は上田、吉田)。


日本鉛亜鉛授業研究会が「亜鉛ダイカストの用途シリーズ」として出版したもので、発行日は昭和50年12月となっている。

伝達講習会で使用したテキストは、Battelleの資料を参考にしつつも、我流でアレンジしているが、ここで示す全訳書は、供与されたテキストを忠実に日本語訳したものとなっている。ただしこちらの原稿は残っていない。

この伝達講習後日譚となるが、わが社で数型Battelleの研究成果を忠実に適用してみた。
ただしあまり良い成果が得られず、その後社内で広く普及することはなかった。
また日本全国においても、広く広まったと言う噂はあまり聞かない。



2026年3月9日(月)
反射する高齢者マークは違反
昨年左目を怪我してから1・2ヶ月経った頃と思うが、自分の運転する車に高齢者マークを取り付けた。

怪我する以前は、そのような気はさらさら起きなかったのだが、怪我して以降は車のスピードがあまり出せない。せいぜい5・60キロメートル/時間、程度である。
そんな次第で、後続車に自分の車の事情を知らせるために取り付けたわけであった。
大田の眼科に行った折り、ホームセンターに立ち寄って買い求めてきた。探したところ1種類しかなかったので、何も思わず買い求め装着したわけである。


この写真、別の目的で撮った写真であるが、高齢者マークを装着した写真が他になかったので、代用してここに貼り付けた。


さて、話が転ずるが、この度車検の時期となった。
車検を出す先は、車を購入した店。広島県にあるホンダのディーラーである。
誠に丁寧で熱心な社員がいて、クルマはその社員を通じて購入したのだが、以降車検の手配をすべて行ってくれる。
時期が来ると、案内があり、引き取りの日と納車の日を打ち合わせで決めて、引き取りも納車もすべてその社員がやってくれる。我が家に居ながらにして、車検が終了するわけでまことに有難い。

今回も車検になった。購入後13年目の車検となる。7日に引き取りに来て、今日の午後納車になった。

前置きが長くなったが、その時の話である。
その担当社員が言うに、「私も知らなかったが、反射する高齢者マークは違反になるそうです」と言い「代わりのマークを持ってきましたので、これに変えてください」と言いながら、新しい反射しない高齢者マークを2枚差し出してきた。


右が反射品

ディーラーにあったものを持ってきましたと言うが、自腹で買ってくれたのかもしれない。
明日は車に貼っておこう。


そのような思わぬ出来事もあって車検が終わった。次の車検は2年後である。

数年前までは、軽自動車にでも乗り換えるかと思った時期もあったが、今はこの車で最後まで行くつもりである。

に年に1回の車検。あと何回車検を受けることになるか。
これが最後という可能性もかなり大で、そうでない場合でも、せいぜい1・2回であろう。



2026年3月8日(日) ラベル308
予想外の雪
3月1日に“なごり雪”の儀式を済ませた身にとっては、予想外の雪である。
朝、一仕事終えて、カーテンを開け外を見ると一面雪景色であった。


7時台は曇っていたが、8時を過ぎると晴れ。日が当たり、温度が上がってきて雪も溶け始めた。
10時頃ウォーキングに出たが、そのときは、雪が消え始めたのであろう、。雪景色も少し薄くなっていた。
午後にはその雪もほぼ溶ける。

夕方は、雪ずりの下など、特別の場所を除いては、大半の雪が消えていた。

まさに淡雪であった。



2026年3月7日(土)
二季桜
ウォーキングの帰り道、今日も里庭の中を通りながら帰ると、二季桜が見事に咲いている。


この桜、我が家で、“二季桜”と言ったり“四季桜”と言ったりして、未だに呼び名が定まっていない。

春と秋に咲くとされ、秋に咲いた事例を小欄で探すと11月のものが見つかった。 
 こちら→(2019/11/24)

この時に比べると、現在の桜はかなり大きく成長している。

2018年1月に降った大雪で、一度根本から倒れたのだが、起こしてのち添え木で支えていたらなんとか復活したものである。


もともとはMが買い求めてきて植えたもので、買ってきたときは1m余りの苗木であった記憶があって、その時の写真を探してみたが見つけることができなかった。



2026年3月6日(金) ラベル306
私の履歴書 米国ILZROでの亜鉛ダイカスト技術セミナーへの参加 その1
私の履歴書シリーズその33である。
前回は こちら→(2026/2/25)

前回まで6回にわたり、スイスBUHLER社におけるアルミダイカスト生産技術の研修に触れた。
そしてその後、スイスに同行した3人と別れ、私一人が米国へ向かうことになる。
ILZRO(International Led & Zinc Research Organization;国際鉛亜鉛研究機構)主催のセミナーに参加するためであった。

昭和50年(1975年)5月17日、アメリカ時間で午後17時にニューヨーク・ケネディ空港に到着した。

ケネディ空港到着後の様子を、時折上司宛てに報告していた「近況報告その4」には次のように記している。
「空港のロビーで迎えに来ていただいたニューヨーク事務所高木さんに会う。空港よりホテルへ直行。ホテルで汗を流した後、高木さんと研修生の木下さんとで、近くの日本料理店で夕食をご馳走して頂きました。
翌18日高木さんの案内で午前中ニューヨーク市内の現物。日本で言えば「はとバス」のようなものに乗って2時間市内を見て回りましたが、汚い街で、高いビルがあると言うのみ。特に強い印象はありませんでした。
15時ラガーディア空港よりコロンバスに向け出発。17時頃コロンバスに着きました。そのままタクシーにてLoyal Inn に入りました。」



コロンバス市が今回のアメリカ出張の中心となる場所で、ILZROの委託を受けたBATTELLE-COLUMBUS LABORATORIES(以下、Battelleという)が位置するところである。


前出の「近況報告」によれば、19日の項で以下のように記述している。
「朝8時30分、Loyal Innのロビーに集合との指示からそこに行くと、数名の人がいて自己紹介。そのうちBattelleの人も見えて車に乗り、Battelleに行きました。
日本人は小生の他に玉川ダイカストの吉沢氏が見えており、同和の人は不参加ということでした。受講生は計13人で、当初オーストラリアと日本だけかと思っていましたが、その他にカナダ、イギリス、メキシコ、ブラジル、フランスなどと、各国より来ています。
弱るのは言葉、スイスではスイス人の喋る英語は聞きやすく、ほとんど聞き取れましたが、アメリカ人の英語は早いのと巻き舌とで非常に聞きにくい感じです。それでもダイカストの話になると、一度レポートを読んでいたので、なんとかついていけそうです。吉沢氏も英語は小生と似たもの、お互いに苦労しています。」
とある。


このような形でスタートしたアメリカでのセミナーであるが、帰国後報告書にまとめている。


62ページに及ぶかなり分厚い報告書となっている。

最初が出張目的。
今回の出張目的が具体的に述べてあるので、そのまま掲載してみる(拡大しお読み戴きたい)。
そして飛行経路図。スイスからアメリカに渡り、トレーニングを受けたのがコロンバス市。次にシカゴ周辺に移動するが、ここでは工場見学を行っている。
その後帰国に向かうが、上司の配慮でハワイのホノルルで一泊。観光してのち日本に帰国したと言う内容である。
余談になるが、ハワイ観光は一人である。一眼レフ持参で一人観光を楽しんだのだが、ホテルに帰ってのちカメラを確認するとフィルムが最初の時点で巻き取られておらず、結局一枚の写真も写っていなかった。
折角のハワイ観光が、記念の写真が一枚もないという結果に終わったのであった。


その間に要した日程表が次。


日々の行動結果が詳細に記されていて、どのように行動したのか把握できる。

日程表によれば、5月25日にシカゴにて市内見物を行っているが、このときは吉沢氏と一緒に時を過ごしたようで、その時の写真がかなりの枚数残っていた。その一部を抜き出してみる。


蛇足になるが、行動を共にした吉沢氏の略歴をメモしたものが残っていて、ここで併記する。
玉川ダイガスト(株)鋳型課課長(37歳)、三菱金属からの出向社員。玉川ダイカストへ出向して約1年。
それ以前は三菱金属、新潟工場に勤務。

そして報告書の主要部分は、受講したトレーニングの内容になるのだが、ここで紹介するのは内容が専門すぎる。ここでは割愛とする。
ただし、受講していた時の写真が残っている。
講習会の雰囲気を伝える一助として掲載してみる。


トレーニングの終了にあたっては、一種の余興ではあるが、ILZROから「国際インストラクター」としての資格を取得した、との証明書を頂いた。(写真、下段)


写真上段はこのトレーニングにあたって配布された資料である。基本的には、全てのトレーニングはこの資料をもとに行われ、英会話の不得手な私にとっては、この配布された資料が頼みの綱になった。


以上の経過を経て、ILZROセミナーを終了し帰国することになる。


日本に着いたのは昭和50年5月31日、午後17時30分であった。
スイスに向け日本を発ったのが4月22日の午後15時20分であるから、39日と2時間10分日本を離れていたことになる。

少し余談だが、当時は春闘の盛んな時期で、4月出発の際は春闘の真っ只中であった。1ヶ月以上経っての帰国になる。帰国時には春闘は終わっていると想像して帰国したら、まだ春闘は終わっていなかった。
そんな時代のことである。


後日、ILZROセミナーの伝達講習会を日本で開催することになるが、そのことについては次回報告の予定。



2026年3月5日(木) ラベル305
桜苗木の植樹
1週間くらい前のことと記憶するが、Mが江川沿いの街に買い物に出たおり、ついでにホームセンターに寄ったらしく桜の苗木を買ってきた。

種類はソメイヨシノ。高さが2m以上あり、少々大振りの苗木である。

根巻きがしてあり、しかもこの時期であるから枯れる心配はない。数日裏庭に放置されていたが、その後気になりはじめたらしく、私に「どこかに植えようよ」と声がかかってきた。
ただ、声がかかってきた当日をふくめ一両日は天気が悪い。曇りや小雨じりで、気温も低い。
天気予報を見ると木曜日が晴れの予報。木曜日に実施しようと両者で合意した。


そして今日の木曜日である。
最近の天気予報は精度がすこぶる良い。予報通りの、晴れで暖かい天候となった。
植樹の決行となったが、朝一は2人とも用事ができ、取り掛かったのは11時過ぎである。

Mによれば植樹の候補地は3案あるらしいが、決まったのは、候補地の中の第一案である。
場所は「二の畑」。

前に植えていた植木が枯れ、少し余地ができている。その余地を埋める場所に植樹することにした。


運搬車に必要な道具類一式を積み込んで作業に向かう。かかった時間は小一時間。
暖かな、気持ちの良い天気。作業を進めるうちに若干汗ばむほどの陽気であった。
気持ちよく作業をやり終えた。

今回植えたソメイヨシノの両脇には、数年前に植えた彼岸桜と河津桜があり、今年あたりからぼちぼち咲き始める可能性もある。
それにソメイヨシノが加わるわけで、3本揃って咲くことになれば、壮観な眺めであろう。
楽しみではあるが、その日を迎えることができるかどうかは定かではない。




2026年3月4日(水) ラベル304
Googleレンズに新機能
これまで何度か小欄でも紹介してきたが、スマホのアプリで「Googleレンズ」と言うものがある。
 こちら→(2020/5/4)

名前がわからない物体があるとき、その物体を「Googleレンズ」で写真に撮りアップすると、撮った物体に近い写真を名前付きで拾いあげてくれ、その中から自分の目で判断して、これはと思うものを探すことができるというアプリである。
(補足;当時は「Googleアシスタント」というアプリの中の一機能であったが、現在では「Googleレンズ」という独立したアプリとなっている)

その後も、名前がわからない物体に遭遇したときは、ちょくちょくこのGoogleレンズを起動し写真に撮って名前調べを行っていて、重宝して使用していた。


さて今回である。
先日スイスに出張して研修を受けた話題を載せた。そのうち、スイス観光を行った話を載せた回がある。
 こちら→(2026/2/23)

当時の写真を数多くアルバムに保存していて、その写真を使おうとしたのだが、当時の写真は現在のようにデジタル写真ではない。
現在のデジタル写真は、いつどこで撮影したか情報が添付されているので、情報を参照すれば、その写真の素性は簡単わかる。
ところが当時の写真は、印画紙にプリントされたものである。
どこで、いつ、何を撮ったのか全く分からない。途方にくれた。


その時思い出したのがGoogleレンズの存在である。


素性のわからない建物が写った写真を「Googleレンズ」で撮れば、それに近い写真を名前付きで探してくれるかと思い、操作してみたのである。

Googleレンズを起動し、意味の判らない写真を「Googleレンズ」で撮ってみた。
撮った写真に近い建物などが名前付きで表示されるかと思いきや、思いもよらないものが出てきたのである。


「AIによる概要」と言う項目が現れ、写真をAIが判定し、示された写真についての概要が合わせて表示されたのである。
以前のように、示されたデータをベースにして自分が判定する必要はなく、AIが自動的に判定評価をしてくれるのである。まことに便利であった。

もちろんAIの判定であるから、間違っている可能性もある。明らかにアメリカで撮った写真にも関わらず日本で撮った写真と評価したような例もある。
しかし概ね正確で、これまで試した結果では9割以上の正確さを持っていると思われる。

「不明なもの探し」はますます便利になってきた。



2026年3月3日(火) ラベル303
マンサク 咲く
今日は時折霧雨の降るような薄寒い天気。
その霧雨の合間をぬってウォーキングに出たが、今日の話ではない。

昨日も同じコースをウォーキングとして歩いていて、その帰り道、最後の部分で里庭の敷地内に入り様子を眺めながら戻ってきた。
その時写した写真である。


マンサクが満開と思われる。
3、4日前と記憶するが、Mが「マンサクが咲いている」と話していたので、咲きはじめは数日前のことであろう。

場所は「桜台」と名づけた場所の一角。
この場所で、すぐ隣に遅咲きのマンサクがもう一本あって、あと数日もすれば、その遅咲きの方も咲き始めるであろう。

この2本のマンサク、我々の手で植えたもの。当地に越してきて間もない頃のことである。
実はマンサクの木とは知らずに移植した。
秋の時期、赤く紅葉する木があるので目星をつけておいて移植したところ、春になると黄色い花をつけ、マンサクの木であったと気が付いたような経緯がある。

それ以降毎年、早春のこの時期に、花木としてはまっ先に黄色い可憐な花を付けてれる。

厳しい冬の終わりを知らせる、“春告げの花木”である。



2026年3月2日(月)
公民館 ひなまつり文化展
地元公民館で開催される”ひな祭り文化展”の初日であるが、午前中に行ってきた。

この文化展、2年前から開催されるようになって、
昨年は こちら→(2025/3/5)
一昨年は、(2024/2/27〜29)の間で、開催結果を小欄に載せている。

何ゆえ初日の、それも午前中に出かけたかというと、Mは開催前3日間程度展示の手伝いに行っているが、私にはそのような動きはない。
したがって、私が作成した応募作品
 こちら→(2026/2/26)
が、どう展示されているか、確認のためである。


過去の開催もそうであったが、今年もにぎにぎしく飾られていた。


玄関、玄関正面ホール、玄関から見て右にある体育館、そして玄関から見て左側にある和室、さらに研修室など、全ての部屋が賑やかに飾られていた。
研修室では、7日に行われるお茶会の準備も、部屋飾りとしては完成していた。

その中にあって、Mも何点か出品している。


まず、もっとも力を入れたのが襤褸(らんる)で作られたタペストリー。この作品の応募にはずいぶん時間をかけていた。

その他には編み物と葉書絵の2点。
絵葉書は、高原小学校の校庭にあった松が枯れ、切り倒される直前の姿を画いたものである。

この2点については、展示会の手伝いをしている応援者間で雑談をしている間に出品が決まったらしく、慌ただしく展示の準備をしていた。


一方、私の応募作品である。


単独の机が用意されて展示されており、それはありがたかったのだが、私が準備した説明書が、見本として開かれた冊子と同じ平面上に置かれ区別しづらい。
私が準備した説明書の形式が不味かったわけで、いったん自宅に戻り作り直して、展示責任者に断った上配置してきた。
作り直したものは、取り外し可能でぶら下げる形式にしたので、見本の冊子とは区別が容易である。


早めに訪ね、悔いの残らない格好に修正できて良かったと思っている。



2026年3月1日(日) ラベル301
なごり雪
今冬の雪は、北陸以北では記録的な積雪もあったと報じられているが、当地の積雪はさほどでもなかった。
2月8日から9日にかけて降った雪が最大で、その積雪量はおよそ50Cm程度であった。
以後雪は降らず、その雪が消えていくのみである。

その雪、我が家にあって最後まで残るのは裏庭に溜るもので、屋根の雪摺りが溜ったものが最後まで残る。

その残った雪が、ここにきて急に減ってきた。
減ったのに気がついたのは昨日のことで、これは“なごり雪”になりそうと、思わず写真におさめたと言うところである。


そして今日になるとさらに雪は減っていて、Mもそれに気がついたらしく写真に収めたという。

私も、夕方までには消えてしまうかと、時折気にしつつ写真に撮ったが、夕方までには無くならなかった。
そして日の変わる24時ごろ、起きた時確認に出てみたら、センサーライトに照らされる中で、雪は消えてなくなっていた。


今冬の“なごり雪”顛末である。